日韓併合100年(138)

このようなロシアの考えは、今の時代でも変わっていない。さらに厄介なことに

は、そのロシアと同じ考えのならず者国家が、その隣に存在していることであ

る、共産中国である。それなのに日本の民主党政権には、そんな危機意識は少

しもない。管も鳩山も小沢にも、日本を存続させようなどと言う戦略、長期的な

計画・企画など、全く持ち合わせていないのである。そんな政党が衆議院で過

半数を牛耳っている。誠に困ったことである。参議院は野党が過半数を確保して

いるだけ、希望があるというものである。


さて日本で「屈辱講和反対」の言論が渦巻いている頃、ポーツマスでは9/1の朝

を迎えていた。高平委員の部屋に、ロシア側の休戦条約案が届いていた。休戦

条約案は両国委員たちの検討を経てまとまり、午前11時30分、両国全権委

員の調印により休戦条約は成立した。しかし休戦条約は「講和条約調印後直ち

に実施する」事になっている。そのため講和条約を早く調印する必要がある。

そのため午後8時30分から小村、ウィッテ両委員は字句問題にまで踏み込ん

講和条約を討議・完成させた。2人とも本国での反対機運により、講和条

約が無効にならないかと気がかりであった。


9/2
、日本国内では各新聞に「反講和」の投書が増加した。政府系新聞の「国民

新聞
」は、償金のために戦争を継続することは不条理であり、世界の世論の支

えが必要である旨の社説を掲げて政府を援護したが、かえって批判を煽ってし

まいかねない状況であった。早期開戦論を唱えた「対露同志会」から発展した

講和問題同志連合会」は、講和条約調印前に調印阻止を目的に日比谷公園

で「国民大会」を開催する計画を立てていた。


14時間の時差のあるポーツマスでは、9/2の朝を迎えていた。満州撤兵条件

討議が残されている。会談は午後4時からである。そしてこの日で討議は終了と

なり、9/3条約文作成、9/4調印という予定となる。


撤兵条件で問題となるのは、撤兵時期鉄道守備兵の規模である。日本は早

満州からロシア兵を撤退させたいので、10ヵ月を提案したが結局ロシアの反対

にあい18ヵ月となる。守備兵力についても、1kmにつき5名の日本提案に対して

ロシア側は20名を提案し、結局は1km辺り15名で決着する。しかしウィッテは満

州から撤退した日本兵は朝鮮に留め置かれるのではないか、と疑問を投げか

けた。これに対して小村も、ロシアが沿海州に大軍を駐留させれば日本の脅威

となるではないか、と反論する。その上、ロシアは日本に朝鮮の最優先権を与え

ることを承認しているので、ロシアに「とやかく言われる」筋合いのものではない、

と言うことでこの件は沙汰止みとなる。次いで樺太関係の確認が済んで、講和

談判終了となる。


そして9/3中に条約書を作成して9/4午後調印というスケジュールが確認された。

大統領ルーズベルトは、日本国内での反講和運動の盛り上がりを知り、金子に

書簡を送っている。「講和では日本は莫大な利益を得ている。このことを国民に

公表
して国民の反感を静めたらどうか」と言うものであった。この考えは国民新

聞の社説と「軌を一にする」ものであった。


しかし日本各地で反対集会がもたれていた。「大阪市民大会」は最も過激で

あった。「政府は国民に謝罪して、講和条件を破棄して、戦争を継続せよ」といっ

た趣旨の決議を採択している。

(続く)