日韓併合100年(139)

9/3、日本国内では、益々反講和の気運が強くなっている。日本各地で反対集

会がもたれていた。「大阪市民大会」は最も過激であった。「政府は国民に謝

罪して、講和条件を破棄して、戦争を継続せよ」といった趣旨の決議を採択し

ている。


東京では「講和問題同志連合会」が各地の「講和憤慨」市民大会に刺激され、

2日後の国民大会の開催準備をせかされていた。花火や軽気球まで上げ、楽

隊まで準備し、大小の旗多数も準備され本格的なものであった。警視庁は情

報を得ると、すぐさま中止を指令した。


ポーツマスでは、条約文の作成が完成に近づいていた。ロシア本国では「講和

は戦勝を封止した」との声が高まり、日本では「償金と樺太半部の放棄」に憤

慨が激しくなっていた。


9/4
、「講和問題同志連合会」は、9/5,13:00開催の「国民大会」の開催届けを

12時間前届け出の規則に則り、9/4,23時過ぎに麹町署に提出した。


その時、ポーツマスでは9/4,9時過ぎである。前日の暴風雨の余波で雨模様の

湿気の多い、冴えない一日になりそうであった、と
日露戦争8」(児島襄)は述

べている。


すると、午前10時過ぎ、調印の延期が発表された。数箇所の書き間違いが発

見されたためであった。調印は、9/5,午後3時に変更された。


9/5
、東京では、国民大会開催の届けを受けた麹町署長は、すぐさま巡査を派

遣して禁止命令を伝達させた。しかし発起人は姿をくらまし行方不明となって

いた。そのため署長は同志連合会の主だった者達を連行し、禁止を伝達する

よう依頼した。更には連合会事務所にも麹町署の警部が直接禁止の伝達に来

たが、同志連合会側は主催者不明に付きとして、テレンクレンとした対応に終

始した。


国民大会への東京市民の関心は高く、日比谷公園には朝から市民が集まり

だしていた。警視庁は、350名の警官を公園の六門に配置していた。そのうち

に大勢の市民達と警官の間で、押し問答が開始された。集まった市民はおよ

そ3万人、麹町署長は「制止困難」と判断し、六門を閉じ杭と丸太で各門を封鎖

した。


午後1時
、炎天下の市民達の堪忍袋の緒が切れた。飲まず食わずで待機して

いたが群衆は人海で木柵を押し倒し踏み倒して、公園内になだれ込んだ、

「203高地占領だ」との叫び声が合唱された。講和問題同志連合会幹部は、

すばやく煙火2発を上げ垂れ幕つき軽気球を七個あげ、即席の演壇で「講和

条約破棄」「満州敵軍粉砕」「条約批准拒絶」
3決議文を朗読し、「君が代

を演奏し「万歳三唱」して、国民大会閉会を宣言した。


しかし3万人の興奮した大衆を放置できず、同志連合会幹部達は、群集たちを

宮城前まで引率して気を静めさせそこで解散させることにした。しかし群集の

一部は宮城と反対側、公園の東側に位置する「国民新聞社」を目指した。


そして宮城前では、群集と警官隊との大乱闘が発生してしまった。しかし主催

者側の解散宣言ですぐさま静まった。そして群集は皇居を後にして、大小2組

に別れ多数組は「国民新聞」へ、少数組は京橋の「新富座」(演説会場)へ

向かった。新富座は早々に解散させられたが、国民新聞社前ではこの新手が

加わり、その印刷工場が襲撃され破壊された。そして国民新聞社を襲った群集

は、その向かいにある「内相官邸」に押し寄せた。群衆は投石を始め、内相官

邸襲撃
が開始された。そして時刻は16:45、正門の警官詰所が放火された。

日比谷焼討事件」の発端である。そして官邸裏門が突破され、官舎に放火さ

れ官舎は全焼してしまった。内相官邸襲撃とほぼ同時刻に外務省も襲撃され

た。構内の外相官邸には渡米中の全権委員小村寿太郎の家族が住んでい

た。そして群集は石油に浸した桟俵(さんだわら、米俵の左右の蓋)に火を点

け、邸内に投げ込んできた。最初から焼打ちを目指している様であった。それ

までは投石、破壊が主体で、それから放火されていたが、外務省襲撃は様子

が違っていた。警官隊も抜刀して群集を追い払おうとするが、追い払えなかっ

た。そのうちに近衛歩兵隊が警護に駆けつけると、群集は次第に四散した。

しかし内相官邸を破壊した群集は、芝方面、神田方面と派出所や警官詰所を

破壊・放火し、更には上野・九段・築地・浅草方面と分かれて破壊して放火して

いった。


焼打ち
は、日が代わった9/6の朝方5:00頃まで続いた。


結局焼失は、警察署(2)、分署(7)、派出所(175)、民家(51)、学校(1)、

そして負傷者は、警官・消防・軍人で計約494人、市民側で528人うち

死者17名の多きに上った。


このときポーツマスでは、丁度9/5,午後3時日露講和条約の調印式が始まろ

うとしていた。

(続く)