日韓併合100年(147)

この鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンは、日本の戦時国債2億ドル(現在

の一兆円と言う)を引き受けてくれたジェイコブ・ヘンリー・シフのパートナーと

して、クーン・ローブ商会を経営する仲であった。


シフとは、昭和天皇が1966年新任の駐日イスラエル大使モシェ・バルトゥールに

対して「
かってわが国はヤコブ・シフ氏にたいへんお世話になりました」述べられ

たその人である。


シフ氏の英語名は、Jacob Henry Schiffと言い、ヤコブ・シフ氏とも呼ばれて

いる。フランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離住宅地区)で生まれ、後にアメリカ

に渡り銀行家として大成功する。ゲットーではロスチャイルド家と共に住んでいた

と言う。この件については'11/1/13,NO.55でも少し述べているので参照願う。

ドイツ名は、Jacob Hirsch Schiffヤコブ ヒルシュ シフである。


ハリマンとシフの関係を、
『「日露戦争」と「日米対立」と「日中戦争」の舞台裏』

参考にしながら、以下まとめて見たい。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_he/a6fhe150.html#04


それによると、「クーン・ローブ商会(Kuuhn Loeb & Co.)」は1839年にアメリカ

にわたったドイツ系ユダヤを起源に持つ。



1839年 ドイツ系ユダヤ人エイブラハム・クーンがアメリカにわたる。そして行商

人から身を起こす。

1849年 クーンはインディアナ州で衣類卸売業を営み、遠縁のソロモン・ローブ

を呼び寄せる。

------年 ソロモンはエイブラハムの妹と結婚し、共同経営者となる。 総合小売業

となる。

1861年~ 南北戦争での軍用毛布の取り扱いで莫大な利益を得る。

1867年 2人はニューヨークに移り、「クーン・ローブ商会」を設立し、国債や鉄道

債券を扱う。

------年 クーンは引退し、ローブの息子達もあとを継がず。

1875年 ヤコブ・シフが「クーン・ローブ商会」に加わり、ソロモン・ローブの娘テ

レサと結婚する。鉄道事業に積極的に投資を始める。今で言うベンチャー企業

の片割れ。

1881年 ペンシルバニア鉄道、シカゴ・ミルウォーキー・セント・ポール・アンド・パシフィック鉄道に

資金調達

1885年 ソロモン・ローブの死去に伴い、シフが「クーン・ローブ商会」の代表と

なる。

1897年 ユニオン・パシフィック鉄道事業再編に資金調達

1900年~ 「クーン・ローブ商会」は「モルガン商会」に次ぐ地位を占めるように

なる。

1901年 ユニオン・パシフィック鉄道の経営者のユダヤ系アメリカ人ハリマンと クーン

・ローブ商会のシフがノーザン・パシフィック鉄道の買収工作に乗り出すが、モルガ

ン商会
の介入により成功せず。

この過程で、ハリマンとシフ・「クーン・ローブ商会」はパートナーとなり、南西部

の鉄道を支配することとなった、と記されている。

1904年 ハリマンは日本の戦時公債500万ドル、シフが2億ドルの引き受け手

となる。

1905/8/31 ハリマンは日本(横浜)に着く。

1905/10/12 満鉄共同経営予備協定覚書を交換し、帰国の途に着く。

1905/10/23  ハリマンは予備協定覚書の破棄を通告される。


1977年 「クーン・ローブ商会」は、リーマンブラザーズに統合され、クーン・ローブ

・リーマンとなる。

1984年 アメリカン・エキスプレスに買収され、クーン・ローブの名前は消える。


と言ったところが、日露戦争に関係した「ヤコブ・シフ」と「エドワード・ハリマン」と

の関係であったが、ハリマンのこの満鉄共同経営問題は、日本を大東亜戦争

と引き込み、挙句の果てには広島・長崎への原爆投下へと繋がったのである。

(続く)