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米海軍次官・ルーズベルト→マハンへの手紙(1897/3)
「我々はハワイ諸島を明日にでも併合すべきだ。私の信念では、日本が英国に
発注した戦艦2隻が英国を離れる前に、我々はともかくもハワイのそこら中に星
条旗を掲げ、細々として問題はその後片付ければよい。そしてニカラグア運河
(後のパナマ運河)を早急に建設し、12隻の戦艦を作って半分は太平洋に配置
すべきだ。私は日本の脅威を現実のものとして感じている。」
ハワイ駐米公使・ハッチ→国務長官ジョン・シャーマンへ
「私には急速に日本人問題の危機が近づいているように思われる。どこかで断
固とした処置が講じられないと、あの国(ハワイ)を日本にやってしまうことになる。」
日本国首相・伊藤博文→米紙インタビュー
「日本がハワイを併合しようとしていると言うのは、全く根拠の無いことだ。日本
国民が望んでいるのは、公平な待遇であり、ハワイとの条約上の権利にしかる
べき配慮がなされることである。」
アルフレッド・マハンの主張
「日本とハワイの間の移民紛争は目覚めつつある東洋と西洋の来るべき大闘
争の前哨戦に過ぎず、真の争点は、太平洋の要を支配し優位を占めるのが野
蛮やアジアか、それとも西洋文明国のアメリカかと言うことである。」
「ハワイ共和国」より。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/sekaishigakuin/syokuminchikaco/hawai/kyowakokushi.html
セオドア・ルーズベルトは、1901/9~1909/3の間、第26大大統領であったが、
このことを見ても単なる良心で日露の講和談判の斡旋をしたものではないことが
判るであろう。ルーズベルトは大統領になる前から、日本を制圧することを考え
ていたのである。伊達や酔狂で日露講和の斡旋をしたのではない。日本がロシ
アからの賠償金で強くならないように、腐心するための講和斡旋なのである。
そして第1次世界大戦の「パリ講和会議」での国際連盟規約へ「人種差別撤
廃」条項の盛り込みを日本は提案し、過半数の賛成を得られ可決されたが、アメ
リカ大統領ウッドロー・ウイルソンが強権を発動して、この提案を葬ってしまっ
た。所詮人権、民主などの理念は「白人」の中だけで通用するものであって、
有色人種へは適用するものではないとする考えであった。この件は、2008/12/
28の「日本は侵略国家ではありません(8)」でも言及しているので参照願いたい。
さて話しをハリマン問題に戻そう。既に1905/10/23 ハリマンは予備協定覚書
の破棄を通告されていることは述べたが、小村はどのようにしてこの覚書を無
効にしていったのか。
1905/10/16,日本に到着した小村寿太郎は、午後遅く宮城に参内し明治天皇に
拝謁した。そして「・・・克く帝国の位置を確保し、交戦の目的を貫徹するに足れ
り。
朕、説にその労えいを思い、深く之を嘉賞す。」
講和は大成功であった、ご苦労であった、という言葉を頂いている。
天皇の勅語は、楚歌(四面楚歌のこと)に身をさらす小村委員にとっては、またと
ない理解の辞であったが、海外でもその想いは共有された、と「日露戦争8」(児
島襄)には記している。
(続く)