日韓併合100年(153)

官邸に付くや否や小村委員は「予備協定覚書」を一読し即座に「之れ、明らか

講和条約第六条に反す」と言った。第六条には「
ロシア帝国政府は・・・清国政

府の承諾を以て、日本帝国政府に移転譲渡すべきことを約す
」とあったから、清

国の譲渡の承知が条件であったので、厳密に言えば、その前にハリマンとの商

談は不都合なことではあったが、覚書をよしとすれば、そんなことはどうにでもな

ることでもあった。そして小村委員は、「ハリマン構想」に積極的に賛成した井上

元老宅をはじめ、各元老参謀総長山縣有朋元帥などの実力者を歴訪して、反

対の説得をして回った。


10/18
、小村委員は外相に復帰し、10/20の閣議で「ハリマン問題」を議題にし、

強硬に反駁してハリマン計画の否決を議決してしまったのである。そして協定取

り消しの通告の電文をサンフランシスコ領事館に送ったのであった。


10/27
鉄道王ハリマンの乗った「サイベリア」号はサンフランシスコに入港した

のである。そしてこの話しは、
'11/9/8,NO.148の冒頭につながってゆくのである。

満州鉄道の復旧や運営に対しては、相当額の資金が必要となる。そのために

元老はじめ桂首相など日本政府は、鉄道王ハリマンの提案に飛びついたので

ある。この資金問題については、小村は、ルーズベルト大統領より融資の話を

受けていたのであった。だから「ハリマン提案」も簡単に、反対出来たのである。

満鉄投資について」(http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj080111.htmlによる

と、この話しはこのようになる。


ルーズベルト大統領の従弟
のサミュエル・モンゴメリー・ルーズベルトという銀

行家が、金子堅太郎のもとにやってきて、「ハリマンにやらせると大変なことに

なる。資金が必要ならこちらの銀行家達と協力して提供する」ともちかけてきた。

当然金子は、この話を小村にも伝えているはずである。だから小村も、「ハリマン

に支弁してもらう必要はない。自分に支弁のあてがある。何なら自分がその任

に当ってもよい」とまで閣議で述べているのである。サミュエル・ルーズベルト

モルガン商会系の銀行家であったから、大統領にしてもハリマンだけに良い思

いをさせたくなかったのであろう。


しかしながら、1907年に満鉄社債を募集した時には、モルガン商会に交渉する

のではなく、クーン・ローブ商会と交渉しているのである。もちろんクーン・ローブ

商会からは断られている。そのためこの社債はロンドンで起債しているのであ

る。だからこのS.M.ルーズベルトの提案には、悪く言えば「騙された」のでは

ないか、とも述べている。騙されたものでなければ、モルガン商会はこの日本の

起債を受けていなければならないからである。


小村は、満鉄など権益が(いくら日米平等とはいえ)アメリカの財力に乗っ取られ

てしまうと危惧を抱いていたので、到底承服できなかったのであろう。しかしこの

ときに日本や世界の情勢をつらつら考えてみると、ハリマン資本を受け入れて

満州鉄道を共同経営に突き進むべきであった。今だから言えることではあるが、

この「ハリマン提案」の否決は、小村寿太郎一生の不覚ではなかったかと思

えるのである。アメリカと満鉄を共同経営していれば、満州の経営もそれなりに

うまくいっていたのではなかったかとも、思えるのである。そうすれば、コミンテ

ルン
による泥沼の日中戦争に引きずり込まれずに、更には大東亜戦争にも突

入することなく、原爆を投下されることも無く自主防衛能力を剥奪されることも

無く、ひょっとしたら核武装も含む完全な国防軍を保持した美しい完全な独立国

として、日本は現在存在していたことであろう。歴史にもしもと言うことはないが、

今のように共産中国やロシアに脅かされることも無かったことであろう。なんとな

れば、米英が中国国民党蒋介石軍に莫大な援助することにより、間接的に共産

毛沢東軍を支援することになり、共産中国の成立をなさしめることも無かった

のである。米英は敵を間違えたのである。

(続く)