なんと言ってもルーズベルトは、カラーコード戦争計画を1904年に下問し1908
年には白い艦隊を世界に派遣し10月には日本にも寄航させ、日本を恫喝し
ている程である('11/8/9.NO.127参照)。だからタフトからの電文を見たルーズベ
ルトは、7/31に「桂・タフト会談は全ての点において正しい」との返事をタフトに
送り、タフトはそれを桂に、桂はそれをポーツマスの小村に送っている。この時点
で米国も日本が韓国を保護国化すること認めたのである。William Howard
Taftは、セオドア・ルーズベルトの後を継いだ第27代大統領でもある。アメリカも
日本が韓国を保護国とすることを、積極的に認めたのである。
駐韓米国公使であったホレイス・ニュートン・アレンHorace Newton Allenは、
敬虔な宣教師であり有能な医者でもあったが、1884年駐朝米国領事館付き医
師として朝鮮に派遣され医術で朝鮮国王の高宗の信任を受け、1897年に駐韓
米国公使になっている。親韓派でどちらかと言うとアンチ日本でもあったアレン
は韓国擁護をワシントンに説いたために、ルーズベルトに1905年に更迭された
のであるが、そのアレンでも「韓国は自己を治め得ないから日本が統治する
のがよいだろう」とも言っている。一寸長いがそのことを、「小村寿太郎とその
時代」(岡崎久彦)より引用する。
「感情的な理由で米国が韓国の独立を支援すれば米国は大きな過ちを犯すであ
ろう。今国民は自己を治めえない。私は・・・親日派ではないが、過去の征服の
権利と伝統とによって韓国は日本に所属すべきものと考える」「今の戦争が終
わったときに日本は韓国問題を片付けるだろうと想像する。日本の韓国併合
・・・は、韓国民にとってもまた極東の平和にとってもよいであろうと考える」とワ
シントンの担当者に書き送っている、と記しているのである。
ことほど左様に李氏朝鮮はどうしようもないほど腐敗し陰謀が渦巻いていたの
であろう。だから、親韓派のアレンと言えども、朝鮮の現状には大いに幻滅し
日本に任せるしか平和を維持する術がなかったのである。さもなければ、ロシア
に限らず他の列強が必ずや中国から韓国にまで手を伸ばしてきたことであろう。
だから日本が何とかすれば、朝鮮管理が落ち着くので極東は平和となろう、言っ
ているのである。
そして1905/8/12には第2次日英同盟が調印されている。第1次日英同盟
(1902/1/30)では、他の一カ国と戦争した場合にはお互いに中立を守る、と言う
ものであったが、第2次日英同盟では、イギリスのインドに対する特権と日本の
朝鮮に対する支配権を認め合うとともに、清国に対する両国の機会均等を定
め、他の一カ国以上と戦争した場合にはお互いに助けて参戦する義務があると
言う攻守同盟となったのである。これでイギリスも日本の朝鮮支配を認めたの
であり、日本を極東の強国としてみとめて日英同盟を攻守同盟としたのであった。
以上見てきた様に、全て韓国の頭ごなしではあったが、日露戦争の結果世界の
列強が日本の韓国支配を認めたのであって、そして日本は韓国に対する優先
権を列強が認めたことで、ロシアの脅威から韓国を守り、日本の独立を強固に
することが出来たのである。
そして日本は、1904/8/22に第1次日韓協約を締結する。1904年の4月には鴨
緑工渡河作戦実施され、1904/8には蔚山沖海戦が戦われている。朝鮮からは
ロシアの陸軍も海軍も駆逐されて、日本軍は遼陽へと軍を進めているころであ
る。遼陽会戦は1904/8/24~9/4であるので、韓国は既に日本軍の占領下に
あった。
協約の内容は、「韓国は日本の推薦する日本人財務顧問と外国人外交顧問
をそれぞれ一人ずつ雇い入れて、その意見に従い、また、外交案件は日本政府
と協議して処理しなければならない」と言うものであった。これにより、大蔵省主
税局長の目賀田種太郎が財務顧問に、外交顧問には米国駐日公使館顧問の
ダーハム・ホワイト・スティーブンスが就任することになる。
外交案件処理に関する事項は、次のようになっている。
「韓国政府は外国との条約締結其の他重要なる外交案件即ち外国人に対する
特権、譲与若しくは契約等の処理に関しては予め日本政府と協議すべし」
韓国はそれまでの歴史からも判るように「外国と軽々と約束を結ぶ従来の習慣
に戻り、戦争前と同じように国際問題を惹起する」からと言う理由であった。
「小村寿太郎とその時代」(岡崎久彦)によれば、「韓国当路者は誠心誠意国家
のために慮(オモンパカ)るものはなく、あるいは黄白(金銭)、あるいは自家の権勢
維持のためには、いかなる約束もあえてするものにして、殊に宮中はこれらの
陰謀の淵薮(えんそう、ものごとの集まるところ)なるが故にもし外政を為すがま
まに一任せんには闇黒裏にいかなる危険なる事態の成立を見るやもはかるべ
からず」と、述べられている。先に述べたアレンの「幻滅」も同じことが原因であ
ろう。
(続く)