日韓併合100年(159)

この3人の密使は高宗の委任状を持ってはいなかった、と言われている。

Wikipediaの「ハーグ密使事件」の中の「委任状の偽造疑惑」項目に”
オランダ

国立文書保管所の担当者によると「3人がハーグで皇帝の委任状を提示したと

言う記録はまったく存在していない」と語っており、委任状の存在自体の確認が

正式には取れない状態である。
”と書かれており、更にはこの3人は、それぞれ

バラバラにハーグに向かったようで、委任状などがもらえる事情には無かったも

のと思われる。もちろん日本政府もその動きを把握していたため、高宗にはそん

なことはするな、と盛んに忠告をしていたと言う。だから高宗も委任状などは出

せなかったのかもしれない。3人の密使らが投宿したハーグのデ・ヨングホテル

の跡地には、この密使に関する記念館があるようで、その中には高宗の「委任

状」の写真が飾られていると言う。しかしそれぞれの専門家が、これは後で作ら

れたものではないか、と言っていることもあり、朝鮮人特有の偽造・捏造・欺瞞の

何ものでもないものであろう。ちなみにこのデ・ヨングホテルは、「晩餐五十銭位

の安旅館」との脚注もある。


このため初代統監となった伊藤博文は当然怒った。高宗に電報の写しを見せ

ながら「
かくの如き陰険な手段を以って日本保護権を拒否せんとするよりは、む

しろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるは捷径(早道)なるにしかず
」(韓国は

日本人が作った 黄文雄
より)と、その怒りをぶつけた。


さらにそこには次のような引用文もある。これは深谷博治著「明治日本の対韓

政策」(友邦協会)よりの引用としている伊藤博文の言葉である。


・・・自分は実に日韓の親睦を厚くするについては、自分の赤誠(真心)を貢献し

ようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をなしたか。

陰謀の外に何をなしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本

が、にわかに来たって、韓国を滅ぼすならんと思うのは、果たして何に基づくの

か聞きたいものである。

 日本は韓国の陰謀を途絶するため、韓国の外交権を譲れというた。だが、

日本は韓国を合邦する必要はない。合邦は甚だ厄介である。韓国は自治を要

する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治は遂げ難い。これが

今回の新協約を結んだ所以(ゆえん)なのである


まさにここに日韓協約真髄がある。韓国は独自には何もできない国に成り下

がってしまっていたのである。ただ単に韓国宮廷の専制、横暴の結果社会体制

が役に立たなかった、と言うだけではなく、千年属国否千五百年の間、周辺諸

国の属国として甘んじてきた国柄(
'10/11/1,NO.12参照)であったため朝鮮人

のものが真髄から腐っていたために、体制どころか生身の朝鮮人自らでは何事

も主体的にはできないようなフヤケ状態であったからであろう。


丁度今の日本人のように、自分や自国の安全保障を他国に委ねてしまって、

なんの問題も感じないような頓馬な日本人と同じ状態であったのであろう。特に

今の民主党はそんや輩だらけなのだ。


このハーグ密使事件の結果、責任を問われた高宗は1907/7/20皇帝を退位し、

直ちに長男の純宗にその皇帝の地位を譲った。ちなみに
純宗の母親は、閔妃

である。


この密使事件に懲りた日本政府は、1907/7/24第3次日韓協約を締結する。

第2次日韓協約で、韓国は既に外交権は失っていたが、この第3次日韓協約で

は統監の監督権は、内政にまで及ぶこととなった。密使事件を起こしたために、

韓国は内政までも譲ることになってしまったと言うこと。


「資料:日韓議定書・第1~3次日韓協約・韓国併合条約」


http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/kindai_kyozai/SKyouyaku.htm

による第3次日韓協約を次に示す。但し句読点などは独自に振ってある。

(続く)