日韓併合100年(165)

こんな状況の李氏朝鮮に、目賀田種太郎は財政顧問として赴任したのである。

目賀田の苦労が目に浮かぶと言うものであるが、彼は次々と改革を実施して

言った。次に重要な財政経済に関する治績を説明しよう。


先ず第1に「皇室関係と一般行政関係」との金の流れを分けたことである。

次の1つは「貨幣の整理」であり、もう1つは「租税、地租制度の確立」であった。


以上見てきたように当時の朝鮮は、国内産業は興っておらず物々交換の時代

のような有様で、交通網と言えば宗主国の明、清の使者が通る道が幾ばくか道

路と言えるものだったようで、李氏朝鮮人民は塗炭の苦しみの中にあった。宮中

でも、府中(一般)でも区別なく貧乏であり、財政、税制、幣制(貨幣制度)、其の

他全般にわたって混沌として収拾がつかない状況で、一言で言ってしまえば総

てが御話にならない状態にあった。これは『
目賀田種太郎(二)』に述べられてい

李氏朝鮮末期の姿である。
http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10000765621.html#main


ちなみに
「4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮」は、このブログでも言及され

ている。


こんな状況の韓国がわずか30年足らず(1905年~1935年頃)で隆盛を見るに

至ったことは、日本の朝鮮政策が良かったことに尽きるのであるが、特に目賀

田種太郎財政顧問
の達見による諸般の改革がその基礎をなしたことに負うと

ころ大である、と『
目賀田種太郎(二)』は続けている。


30年足らずでの朝鮮の興隆は、その人口増加を見ればよくわかる。


ねずきちの ひとりごと」によれば、朝鮮半島の人口増加は次にようになって

いる。

(http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-220.html)


1753年   730万人(1.00)

1850年    750万人(1.03)

1906年    980万人(1.34) (1.00)

1910年  1,312万人(1.80) (1.34) (1.00)

1920年  1,691万人(2.32) (1.73)

1930年  1,968万人(2.70) (2.01)

1940年  2,295万人(3.14) (2.34) (1.75)

1944年  2,512万人(3.44) (2.56) (1.914)


この人口増加は、先にあげた
「歴史再検証日韓併合韓民族を救った「日帝

36年」の真実-」(祥伝社黄金文庫)
にも記載されているので、間違いない事実

である。要約を下記する。


韓国の教師用国定歴史(国史)教科書によると、李朝時代の総人口は

1777年 1,804万人(1.00)

1877年 1,689万人(0.9362) -6.38%   李氏朝鮮時代


これに対して日韓併合時代は

1910年 1,313万人(1.00)

1942年 2,553万人(1.944)+94.4%  日韓併合時代

という数字を挙げている。


李氏朝鮮時代の人口は「ねずきち」と「教師用国史教科書」では、「教科書」の方

倍以上のサバを読んでいるが6%以上も人口は減っている。これに対し

日韓併合時代では、減るどころか倍近く人口は増えていることがわかる。

日韓併合以降の両者の人口の数字は似通っているので、韓国併合以降で人口

が爆発的に増加していることは事実なのであり、如何に日本の統治が韓国社会

の発展に寄与したかを物語るものである。

(続く)