日韓併合100年(168)

「歴史再検証日韓併合韓民族を救った「日帝36年」の真実-」(祥伝社黄金

文庫)
によると、朝鮮の国家歳入は1907年度で748万円であったと言う。

そして実際に必要な歳出は3,000万円以上だったと言う。


このころの台湾の歳入は2,542万円だったと言う(
「かつて日本は美しかった」・朝鮮

の財政を救済した日韓合邦、http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100701/1277937194)。


だから朝鮮でももう一寸は歳入があったと思われるが、国家収入が宮内府に

入っていたり、両班や小役人などに掠め取られたりして、李朝大韓帝国)の財

政・経済は完全に破綻状態であった。事実3千万円以上の歳出が必要だったも

のが、750万円の歳入しかなかったわけだから、日本が介入する前はいわゆる

一般会計は既に破綻し、李朝大韓帝国)の一般人はなんの保護も受けること

はなく塗炭の苦しみにあり、秋に採れた米は相当量が両班に徴収されてしまい

冬があけ春になると農家は残った僅かな食料も食い尽くしてしまい、毎年餓死

者が出ることの繰り返しであったと言う。


国家歳入が台湾の1/3以下であったが、
黄文雄氏の「韓国は日本人がつくった」

から引用すると、


宮内府へは国家歳入750万円から80万円ほど納められたいたが、宮内府の

実質的な収入はそれだけではなかった。造幣利益金、人参専売金、営業免許

料金、外国人に対する特許料金、諸税、鉱税、雑税、山林税、砂金収入名な

ど、本来なら国家収入であるべきものが宮内府に入っていたのだ。その年額は

焼く240~250万円にのぼった。


宮内府の収入は、更にある。中央や地方からの多額の献金、買官収入、ワイロ

など。また、太子妃葬儀費やら陵墓・宮殿改修費の未払い金として、さらに国庫

から280万円もの支出を要求していた。


当時の宮内高官たちは、何かにつけ勅令を乱発し、・・・上納金を強要する。

・・・そして私腹を肥やす。・・・このように、誰もが私利私欲に走り、・・・多くの負債

を抱えていた。債権者もほとんどが御用商人で・・・長期にわたる高利貸と高額

の納品代で、宮内府の各宮を食い物にしていた。・・・大韓帝国の宮内府は国家

を食い物にする汚職構造の巣窟であった。


と、とてもではないがひどいの一言に尽きる状態であった。


そのため目賀田はまず、「宮内府関係と政府一般行政関係」の金の出入りや

権限を分けていった。そして各種の弊害や既得権益を取り除きつつ、中央政府

と地方官庁の予算の立案を実施していった。そして税金や印税などの歳入を整

理しても当然不足が発生するが、その不足分は日本からの無利子、無期限の

資金「立て替え」を実施し、さらには韓国社会の建て直しのために(日本は)司

法、警察、病院などにも直接支出をしていった。


先に挙げた「
歴史再検証日韓併合」によれば、日本の朝鮮への財政負担として

次のような数字を挙げている。

      日本の支出   朝鮮の税金・印税
1907年 約2,700万円  ・・・・・
1908年 約3,100万円  ・・・・・
1909年 約2,100万円  ・・・・・
1910年 約2,500万円  ・・・・・
1911年 約2,235万円  1,330万円
1912年 約2,725万円  1,468万円
1913年 約2,110万円  1,562万円
1914年 約1,664万円  1,854万円
合計     19,134万円


このように韓国の財政の2/3は日本からの持ち出しで賄われていたのである。

そしてこの8年間での日本政府の持ち出しは、1億9千万円以上となっている。

当時の1円は現在の3万円と換算されると言われているが、現在の金額に換算

すると、この8年間で6兆円近い額が朝鮮に投入されたのである。その結果よう

やく朝鮮の近代化が進むことになったのである。


そして更にこの書物には、1910年から1944年までの間の朝鮮への日本政府の

持ち出し額は、今の価値で、約60兆円を超えると言う数字も表示されている。

当時の1円は現在の3万円に換算される、と言う。


朝鮮に対する日本の投資額
 
立替金その他 1億 400万円
 補充金      5億3521万円
 公債未償還  14億3971万円
  合計     20億7892万円


3万円で現在の価値に換算すると、62兆4000億円と言う巨額になる。だから

朝鮮の経済がまともになり、円滑に回転しだして成長路線に入り、人口も爆発的

に増加したのである。だから黄文雄氏の言う「朝鮮は日本人がつくった」ので

ある。

(続く)