だから、日本の韓国併合は日本帝国主義の侵略政策の産物であったと糾弾す
るが、これは真っ赤な虚偽・捏造であり、如何に朝鮮人の「歴史を無視した身勝
手な自己中心的な捏造」が、ひどいものであるかを示しているのである。朝鮮は
日本人がつくったのである。このことを言いたくないので、朝鮮人はいつも真っ
赤な嘘をついているのである。
そして次の目賀田種太郎の業績は、貨幣整理である。貨幣整理とは、当時韓
国の通貨たる白銅の濫造偽造を禁止して、新貨を発行して旧貨を新貨に替えて
いったことである。濫鋳偽造は、官吏が原版を持ち出したり、私鋳が盛んに行わ
れたり、もうどうしようもない状況だったようだ。それを目賀田顧問は一部人民の
反対を押し切って新貨に替えていった。さらには、兌換券発行の権利も韓国銀
行に移し、併合後は朝鮮銀行に移し貨幣管理(整理)を成し遂げ、朝鮮の財政
経済の基礎を作り上げていった。これがなければ、朝鮮の開発は10年も20年
も遅れていたのではないか、といわれている。だから「千古不磨の一大事業」と
いわれなければならない、
と獄長日記、目賀田種太郎(二)、http://ameblo.jp/dreamtale/entry
-10000765621.html#main には述べられている。
次なる目賀田種太郎の業績は、農工銀行を設立したことである。これにより中
小農工業者への金融が可能になった。農工銀行は不動産を担保に、長期貸付
を行う銀行である。もともと地方役人達は、自分達が徴収した税金を国庫に納
入するまでの間他人に貸し付けて利ざやを稼ぐとか、税金をねこばばして貸し
付けるなどの悪事が横行していたという。その資金を農家は種蒔き時に借りて、
種を買ったりして農業を営んでいたため、徴税が正しく行われると農業資金の
循環が無くなってしまい、農家達は種蒔きなどができなくなってしまう。そのため
目賀田顧問は、土地を担保にした長期貸付を行う農工銀行を設立したもので
ある。そしてその下に日本政府が出資し、各人からも出資した金融組合なども
作り、農工業者などへ小口の金融を行っていったと言う。これが当たり、たちま
ち全道に行き渡り、朝鮮の産業開発にどれだけ役立ったか判らないほどであ
る、と言う。今の信用組合や殖産銀行の役割である。
この、獄長日記、目賀田種太郎(二)、http://ameblo.jp/dreamtale/entry
-10000765621.html#main
が引用している京城日報の記事は、全文が次のURLに載っている。全文を通し
て読んでみるのも、目賀田種太郎の業績や日本が朝鮮をつくったと言うことがよ
くわかる、と言うものである。
新聞記事文庫 朝鮮・台湾・満州(14-160)
京城日報 1935.7.11-1935.7.12(昭和10)
「 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?
METAID=00474859&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA 」
馬場英一氏、勧業銀行総裁のインタビュー記事(英は金偏にに英である。)
そして目賀田の最大の業績は、朝鮮を近代農業国に変身させた「科学的全国
土地調査」であった。
'11/10/10,NO.168でも言及しておいたが、朝鮮では春になると食料が不足する
ことが常態化していた。このことを春窮期と言うようで、黄文雄氏の「朝鮮は
日本人がつくった」にも、「草根樹皮で生命をつなぐ朝鮮農民」として、次のよう
に記述されている。
「李朝時代の朝鮮では、三月から六月までは食料が不足する春窮期であった。
当時の人口は農民が約八割を占める。飢餓の春窮期を迎えると、朝鮮総人口
の約六割が山野で草根樹皮を採集して生命をつなぐと言う状態だった。」
そして次のように続く。
「朝鮮の農書、農史を読むと、朝鮮農民は中国農民と酷似しているのがわか
る。旱害、水害、風害、雹害(ひょうがい)、病虫害が間断なく年中行事のように
各地を襲い、農民はこじき、農奴同然である。その上、第3章で述べたように、
両班と酷史(こくり、民を苦しめる無慈悲な官吏)に食い物にされ、小作農は大な
り小なり慢性的な食糧難と借金苦にあえいでいた。」
(続く)