さて読者諸氏は、この土地調査が果たして公明正大なものだったのか、と幾分
疑問を持っておられるかもしれない。事実、頓馬な朝鮮人は、これまた超頓馬な
朝鮮の為政者の作った次のような法螺話を、信じているかもしれない。
黄文雄氏の「韓国は日本がつくった」の「第7章-飢餓の国を近代農業国に変
心させた」の「2 土地強奪の歴史捏造」で、次のように述べている。
[両班こそが土地強奪の犯人-日帝による朝鮮半島の土地強奪は、「日帝
七奪」のひとつとして教えられている。よく言われる例は、日本人が小高い丘に
のぼってあたりを見渡し、土地を指差して手当たり次第に良田を奪っていったと
いう話だ。
しかし、これはおそらく両班時代の土地強奪から連想して日本人に罪をなすりつ
けたものであろう。ダレ神父は『朝鮮事情』のなかで両班の土地強奪の実態を次
のように述べている。
「両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で
農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしに済ませてしまう。
しかも、この強盗行為を阻止できる守礼(知事)は一人もいない」
戦後、日本人が韓半島で行ったといわれる土地強奪は、ほとんどがこの両班を
モデルにしてでっち上げられた作り話である。そもそも、日本とは法治国家で
ある。この大前提を、戦後の韓国知識人はどうやら忘れているようだ。
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今でも、中国人や韓国人などによる日本への不法入国が相次いでいるのを見
ると、かれらの国外流出はまだ終わっていないのだろう。要するに、大航海時
代以来、この人口移動ブームは水面下でずっと続いているのだ。
これをもって、なぜ日帝が朝鮮半島の土地を強奪したと言う論調になるのだろ
うか。土地強奪は、むしろ韓国人のお家芸である。終戦直後、焼け野原になっ
た日本で、「第三国人」の朝鮮人がいかにして大都市の土地を強奪したか。そ
の事実は、最近あまり語られていない。]
(日本人に土地を奪われたために、祖国を捨てて外国へ出ざるを得なかった、などと言う
トンデモ話がある。)
ダレ神父の『朝鮮事情』の言葉は、'11/10/12のNO.170でも紹介したものであ
る。この黄文雄氏の指摘だけで、「日帝七奪」何ぞがチャンコロ朝鮮人の作り話
であることが判ると言うものである。
そして、先に述べた「歴史再検証日韓併合-韓民族を救った「日帝36年」の真
実-」(崔基ホ・著)には、次のような指摘もある。それは「四章 併合で生き返っ
た朝鮮経済 ”日本の統治を見直す新たなる歴史認識”」に次のような指摘が述
べられているので、引用したい。
[「日帝植民地時代は、日帝の一方的収奪の下、植民地朝鮮の民衆は窮乏と
桎梏にしん吟していた」と言うのが、1987年の「六・二九民主化宣言」以降、韓
国で共通した歴史認識であり、国定教科書でも、このとおりかかれている。
ところが最近、学会の一角で、こういう認識は植民地時代に朝鮮の実情とは、お
よそかけ離れていると言う主張が台頭している。特に経済的発展が顕著であ
り、当時蓄積された近代的資本主義の土壌が、1960年代以降の飛躍的経済
成長の大きな礎となったと言うものだ。
このような主張を掲げている代表的な人物が、落星岱経済研究所所長で、ソウ
ル大学経済科教授でもある李栄薫氏である。以下に、韓国日報(2004/4/22日
付)のインタビューに答えた李教授の主張を、要約して掲げることとしよう。
「私が日帝植民地時代のイメージを修正するようになった個人的動機は、
1990年、日帝の〈土地調査事業共同研究〉のために全国を巡回し、土地台帳
など原資料を蒐集したことだった。
慶南・金海市地域には、大量の原資料が残っていた。それらの資料を検証し
て、教科書とは余りにも異なる内容に驚いた。
『土地申告をやらせて、無知な農民達の未申告地を容赦なく奪った』と教科書の
記述にはあるが、実際はまるで異なり、未申告地が発生しないよう綿密な行政
指導をしており、土地詐欺が発生することのないよう、繰り返し指導と啓蒙を進
めていた。
農民たちも自身の土地が測量され、地籍簿に記載されたのを見て喜び、積極的
に協調した。その結果、墳墓・雑種地を中心に0.05%程度の未申告地が残っ
たにすぎない。それを知った時、私が持っていた植民地朝鮮のイメージは、架空
の創作物にすぎないものであっことを自覚した」]
(続く)