世の中、何だこれ!(TPP,21)

推進派、反対派、それぞれに求められていること

 これまでの議論を聞いていると、推進派も反対派も、それぞれが我田引水の都合の良い

データを用意して
ひたすらけん制し合ってきただけに見える。


 推進派は、交渉参加のメリットだけでなく、デメリットにも触れるべきだ。物事には必ず

メリットとデメリットの両方があることを国民は知っている。それとも「今話しても刺激するだ

けだ」と考えているのだろうか。もっと国民を信じるべきだ。そしてデメリットに関わる課題と

ともに、どう対処していけばいいかを提案する義務がある。


 一方反対派は、参加を取りやめるのであれば、その後世界とどう付き合って行くつもりな

のか、展望を示すべきだ。まさか各国が参加を表明してからも鎖国を続けるつもりではあ

るまい。また「農業は国の未来にとって大切だから、税金で何とかして」と永遠に国民にお

ぶさるつもりではあるまい。この国は既に財政再建と震災復興の負担で息絶え絶えなのだ。


 JA(全農:全国農業組合連合会)の経営理念にはこうある。

「営農と生活を支援し、元気な産地づくりに取り組みます。」

日本の農業を強く、生活を支援するためには、いつまでも保護主義を掲げている場合では

ない。


 明治維新と同じように、遠くない時期に間違いなく
経済開国は迫られる。身内をかばう保

護主義は、日本の農業から戦う力を失わせる。それでは“その日”が来た時に、愛する農

業を頓死させることにはならないか
一次産業はいつまでも弱者として「国民に負担」を求

めるのではなく、強くなって
国民を支援していく姿を目指すべきだ。


 おいしい米を作ってもTPPでダメになるという。本当においしい米なら、高くても買いたくな

るはずではないか。コシヒカリは日本人には珍重されても、カリフォルニアロールを食べる

米国の味覚をどれだけ満たしているだろうか。


 牛肉にしても同じことだ。日本では松坂牛は「高くても買いたい」肉だが、毎日大量に食す

る米国人にとって、価値ある肉になっているのだろうか。オージービーフで日本に攻勢をか

けるオーストラリアは、既にTPPへの参加を表明している。オーストラリア人が「高くても買

いたい」肉を、日本は作れているだろうか。


 国内のビジネスにおいては、関税障壁など一切ない。大手が資本力にものをいわせて

シェア争いをしている一方で、業界に生まれたばかりのベンチャーは大手とほぼ同じ環境

で戦っている。それでも彼らは、大手にできないこと、自分たちの強みを意識しながら、

正々堂々と戦っているのだ。


 ちなみに農業従事者すべてがTPP参加に反対しているわけではない。日本の農業を変

えていこうと、従来の仕組みから離れて自立を目指している人は、TPP参加に肯定的だ。

彼らは新たな顧客の声に耳を傾けて、未来に対して前向きだ。


 一次産業の人たちは勘違いしているかもしれないが、日本経済団体連合会が代弁してい

る二次、三次産業にとっても
TPPは必ずしも“おトク”なわけではない勝つことを約束

された条件ではなく、不利にならないための、やむにやまれぬ選択肢だ。共通条件での戦

いがこれから始まる点では農業と変わらない。


 しかし経団連は自らの都合を主張するだけでなく、これから世界と戦う同志として、一次

産業と積極的に組むことはできないのだろうか。日本の産業が、一次、二次、三次といっ

た壁を超えて互いのノウハウを密に交換し合えれば、
世界に負けない日本らしいモノ

作り、サービス作り
が可能になると思うのだが。それぞれの産業の現場と関わってきた身

としては、残念でならない。



野田さんには、現状と未来を国民に説明してほしい


 TPP交渉参加の是非を問うアンケートが、さまざまな団体によって取られて結果が発表さ

れている。推進派と反対派が均衡しているものもあれば、どちらか一方が大勢を占めてい

るものもある。調査対象が異なるからだろうか。本当の民意はどこにある?


 国民の“現場”は混乱し、不安を抱えている。そんな時、組織のトップはどうあるべきだろ

う。一般企業でいえば、トップがやるべきことはただ1つだ。現状を明らかにし、未来を見せ

ることだ。


 TPP交渉参加へのメリットとデメリット、取り組むべき課題と具体策について、野田さんは

まだ一度も国民に語りかけてはいない。テレビに映る姿はいつも横を向いている。国会議

員に対して回答してはいても、カメラ(の向こうの国民)に向かって説明してくれてはいない。


 参加の是非について、政治家同士でどれくらい議論したのかは知らない。けれどもその

中身については、国民にはほとんど届いていないのだ。いったい国民の中に、“個人の

利権”と“感情論”を抜きにして、冷静にメリットとデメリット、課題について語れる人がどれく

らいいるだろうか。


 そもそもTPP交渉の現状は、既に参加している国にしか分からないと言われている。

日本政府がさまざまなルートをたどって探っている状態だ。日本政府に米CIAほどの調査

力があれば別だが、メリットとデメリット、課題と対応策について、結局は参加するまで分か

らないのではないか。


 野党と与党の一部は、政府の説明が足りないという。私も同感だが、明確な説明は今の

段階ではできないのだろう。それでも野田さんは、政府は、国民に説明をするべきだ。比較

して申し訳ないが、国にとって重要な決断場面では、米国のオバマ大統領も、中国の胡錦

国家主席も、韓国の李明博大統領も国民に説明してくれる。


 既に国民との間に信頼関係があるなら、少し話は別だ。一時期の小泉さん(小泉純一郎

元首相)は、国民に説明なく先走っても支持率は低下しなかった。日本の場合「あの人に

任せてみよう」という信託があれば、国民は細かいことは言わない。国民への説明が不必

要となるわけではないが、時間がなければ事後でいい。トップには目の前のことに邁進して

もらいたい。


 けれども野田さんには、国民からの信託がまだ十分あるとはいえない。「TPP推進」を宣

言してAPECに乗り込む前に、国民に丁寧に説明するべきではなかったか。「参加してみ

なければ分からない」ことは正直に話し、現状とこの国が今後迎えようとしている未来につ

いて。


 TPPという言葉自体はようやく浸透してきたが、国民はいまだに「TPPって何?」とつぶや

きながら、置いてけぼり状態になっている。


 こうなったら、帰国後すぐにでもいい。国民に直接語りかけて説明してほしい。会社でい

えば、野田さんは社長で、実際に動くのは現場の国民だ。自分たちの雇用を維持し、生活

を良くするために、TPP締結に向けてどんな覚悟と準備をすればいいのかを知りたい。


 それこそが1億3000万人のメンバーを率いるリーダーに、今求められていることではない

だろうか。



交渉力には、日本としての明確なビジョンが欠かせない


 APECから帰国後の野田さんの説明に期待しながら、話を「交渉に参加しても、主張でき

なければ意味がない」に戻そう。


 今回の枠組み作りからの“滑り込み”参加は、日本の考え方を主張する良い機会だととら

えるべきだ。とりわけ
米国に対しては同盟国とはいえ属国ではないのであれば日本の

考え方を主張し、より理解してもらうための絶好のチャンスだ。


 主張も交渉も、決してケンカではない、大人の議論だ。日本と米国は同盟国といいなが

ら、歴史も文化も宗教も、恐らく国としてのビジョンも異なっていながら、これまで十分な議

論をしてこなかった。相手は(建前上も含め)胸を開いてきたが、少なくともこの国の政権と

政府は、本気で胸を開いて発言してこなかった。


 民間ビジネスにおいても、政府の姿勢を反映するかのように米国の考え方に追随して

きた。


 1990年代以降の急激なグローバル化によって、海を超えて押し寄せてきた株主市場

主義。日本市場に参入した外国人投資家たちは、利益に対する高い配当性向を要求。

日本企業の高い内部留保を、資本効率の悪さとして批判した。「株主への配当が少なす

ぎる」「資本の塩漬けはもったいない」という主張は分かる。資本効率を重視し、配当を見

直すこと自体は悪いこととは思わないが、利益をすべて吐き出すことが経営の継続性につ

ながるのか。


 これに対してトヨタ自動車は、国際化に向けて「内部留保は、終身雇用を基本とする日本

型経営の良さを守るために必要なものである」と説明して回った。


 その後2008年にリーマンショックが勃発する。前年に2兆円の利益を挙げて販売台数世

界一を目の前にしていたトヨタは、翌2009年度の決算で58年ぶりの赤字に転落した。同

業のホンダも前年度の過去最高益から暗転。復調の兆しを見せていた日本経済全体が冷

え込んだ。


 注目すべきは同じようにリーマンショックの波をかぶった米ゼネラルモーターズGM)が

破綻し、トヨタは破綻することなくわずか1年で黒字化したことだ。2008年度は皮肉にもGM

の落ち込みの方が大きかったことで、トヨタは初めて世界一の称号を手にする。同社は潤

沢な内部留保のお陰で、正社員の雇用だけは確保できた。


 今では海外投資家たちにも、日本企業における一定の内部留保への理解は進みつつ

ある。内部留保は人材の安定雇用と育成とともに、モチベーションを担保し、安定成長する

日本的経営を支えているとの認識が広がってきた。内部留保の程度についての議論はあ

るものの、トヨタが海外に向けて、日本を代表して堂々と主張したことの意義は小さくない。


 グローバルで自国の主張をすること、交渉力を高めることは、練習し場慣れすれば可能

かもしれない。しかしその主張が説得力を持ち、交渉の成果に結び付けるためには、それ

だけでは足りない。相手に理解してもらうためには、目先のノウハウではなく
明確な根拠

が欠かせない。

 トヨタが主張できたのは、交渉術に長けていたからではないだろう。自分たちが
何を大

切にしながら、何を目指したいか
」を明確に持っていたからではないかと想像する。


 小学生の子どものサッカーチームのコーチは、試合の際、ベンチにいるサブ(控え)メン

バーにいつも「アピールしろ」と言う。「アピールのない奴は使わない。だってアピールがな

いと、試合に出たいのかどうかも、何をしたいのか(どこのポジションをしたいのか)も分か

らないだろう」。


 「そんなんじゃ、これから生きていけないぞ」


 近所に、留学生や帰国子女ばかりが通うサッカースクールがあるそうだ。そこに子供を

通わせているお母さんに聞いた話だが、「サッカーそのものよりも、アピールすることを勉強

させられています。世界を知る子供たちは、“自分はどう考えどうしたいのか”をアピールす

る力を持ってるんですよね」。


 江戸時代の鎖国にでも逆戻りしない限り、10年後、20年後、間違いなく日本はグローバ

ルでボーダレスな世界の中にいるだろう。未来から今を見る際には、TPP交渉への参加時

期よりも、この国の「主張し交渉する力」に注目するべきではないか。


 世界で“生きていく”には、「主張し交渉する力」が必要だ。そしてその力を鍛えるために

は、スキルとしての交渉術だけでは足りない。国として説得力をもつ「何を大切にしなが

ら、何を目指すのか
」というビジョンを、明確に描くことだ。


 国だけではない。子供たちでさえ「お前はどうしたいんだ?」と問われる時代だ。私たち大

人1人ひとりにも、それは問われている。グローバルでボーダレスな世界の中で“生きて

いく”に当たって、「あなたはどうありたいのか」と。

(続く)