世の中、何だこれ!(巨人ゴタゴタ、5)

 ◆肝据わった性格

 清武氏立命館大学卒業後、昭和50年に読売新聞入社。警視庁捜査2課や国税庁

担当するなど主に社会部畑を歩み、中部本社(現支社)社会部長などを務めた。「人情家

で肝の据わった性格。『背広の番長』とも呼ばれた」(同社関係者)。


 東京本社運動部長時代の平成16年に、巨人がドラフト候補の投手に200万円を渡した

問題を受けて、球団代表に就任。「巨人が変われば、球界が変わる」と語るなど、ファンサ

ービス強化など、野球人気回復を狙った改革を打ち出した。


 渡辺氏は清武氏が生まれた昭和25年、東京大学から読売新聞に進んだ。中曽根康弘

元首相ら政界大物と太いパイプを作るなど政治部記者として名をはせ、平成3年に社長に

上り詰めた。


 巨人軍のオーナーに就任した8年以降は、球界の“ドン”としても指導力を発揮。清武氏

は会見で、「覚悟をもって話さないと物事は変わらない」と、背水の陣で臨んだと説明した。


 「渡邉恒雄 メディアと権力」の著作もあるジャーナリストの魚住昭氏は「清武氏の行動は

異例中の異例。それだけに告発の意味は重く、コーチ人事に止まらない根深い問題があ

ることを感じさせる」と指摘した。


 新聞社時代の部下の一人は「隠し事や、上だけで物事を決めたりするのが嫌いな清武さ

んらしい」と理解を示す。だが、関係者らに同調の声は広がらず、「清武氏も人事で手腕を

振るった。ワンマンぶりはどっちもどっち」という声も。


 清武氏と同じく社会部出身の桃井恒和オーナー兼社長(64)は告発について「何も知ら

なかった。非常に残念
」と困惑。清武氏は会見で桃井氏のことを「
同じ気持ちを持って

いるのでは…
」と語ったが、桃井氏は「若干見方が違うところがある。渡辺会長としては

コーチ人事の(当初案からの)見直しが必要という判断だった」と、渡辺氏寄りの姿勢を示

した。


 読売新聞東京本社広報部は「巨人軍の人事をめぐる話であり、読売新聞社としては対応

しない。球団に聞いてほしい」と、距離を置いた。


 一方、渡辺氏は午後9時前に読売新聞本社を出ると、そのまま都内の自宅マンションに

直行。報道陣に口を開くことはなかった。

                   ◇
 ◆「野球人気 さらに落ちる」

 「白球残映」など野球をモチーフにした作品が多い直木賞作家、赤瀬川隼さんの話「

辺恒雄
さんは筋が通らないことを押し通そうとする人。人事に介入したとしても不思議は

ない。不満があるなら力を合わせてクビにすればいいのに、そんな覚悟がある人はいない

のだろう。野球界はくだらないごたごたばかり。野球に興味のない人が増えているのに、こ

れでは野球人気はさらに落ちるだろう」

                   ◇
 ◆「奇妙な体質 脱皮チャンス」

 巨人ファンの漫画家、黒鉄ヒロシさんの話「渡辺恒雄球団会長は、幼いころにキャッチボ

ールをしたことがあるのだろうか。野球が好きというより、勝ち負け、あるいは異なる価値

観でご覧になってきたのではないか。オリンパス大王製紙もそうだが、オーナーを殿様

のように勘違いしている
タイプがいる。この機会を、奇妙な体質から脱皮するいいチャン

スに変えてほしいものだ」

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111112/trd11111207370001-n1.htm

  
この「清武の乱」は、報道陣から「巨人内部の問題ではないか」と質問されている。先に小

生も、この問題は(株)読売巨人軍経営管理のマネジメントの問題である、と指摘してい

る。このことを裏返せば、まさしく「巨人内部の問題」なのである。


企業の法令遵守責任
とか企業の社会的責任とかに、さも仰々しく言及したが、これこそ

まさに一企業の内部問題である事の証しではないか。だから外部がそれほどがたがたす

る問題ではないのであるが、たかが巨人、されど巨人である。かつて巨人はプロ野球界の

一世を風靡(ふうび、その時代の人々をなびき従わせる)していた、と言われていた。その

巨人がここ数年優勝から遠ざかっている。今年はあわやBクラス転落か、と言った状態で

あった。その巨人内部の「ゴタゴタ」なのである。だから面白いのである。


こんなゴタゴタを見るにつけ、その原因が(株)読売新聞グループ本社
代表取締役会長

主筆
で且(株)読売巨人軍取締役会長渡辺恒雄にあることが、浮き出されてきた

のである。しかもこの問題に対する巨人軍の3人の役員の身の振り方が、それぞれ特徴

があり興味をそそるのである。


3人の役員とは、ナベツネと清武氏と読売巨人軍の桃井恒和オーナー兼球団社長であ

る。特に桃井社長は清武英利専務取締役球団代表兼GMとは、本来は同じ立場にあった

はずである。それが、清武氏の告発に対しては「何も知らなかった。(自分の見方は清武氏

とは)若干違うところがある。」と言っているのである。清武氏は「(桃井氏とは)同じ気持ち

をもっているのでは」と確信していた(?)のであるから、ある意味はしごを外された感じで

はなかったか、と思われるのである。特に桃井氏の変わり身の早さには、感嘆するほか無

いのである。


この清武氏の会見の後、桃井社長はすぐに反論の会見を開いている。なぜか即座にナベ

ツネ派に寝返ったのである。このため清武氏は、見事にはしごを外されてしまったので

ある。

  
3G・桃井オーナー、清武の乱「かばえない」
2011年11月12日(土)08:00
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桃井オーナーは反論。清武代表の独断を批判した(写真:サンケイスポーツ

 前代未聞の反逆に対する反撃が始まった-。巨人・清武英利球団代表兼GM(61)の

会見を受け、桃井恒和オーナー兼球団社長(64)が東京・大手町の球団事務所で急きょ

会見を開き、「球団のコンプライアンスでいえば、とんでもない話」と清武代表を批判、渡辺

恒雄
球団会長(85)を支持する姿勢を明らかにした。「桃井とは盟友」とした清武代表は援

軍を失い、孤立無援となった。巨人は今後どうなっていくのか。ドキュメントで追う。


 声高らかに、威勢良くこぶしを振り上げたまではよかったが、清武代表は球団内部では

完全に孤立してしまったようだ。桃井オーナーは清武発言を受けて急きょ会見を開き、

“部下”の反逆劇を痛烈に批判した。


 「個人的には、非常に残念です。専務取締役が、(代表取締役社長の)私の知らないとこ

ろでああいうことをやったのは、球団コンプライアンスでいえば、とんでもない話」


 この日の午前9時過ぎに、会見開催を告げるリリースを見て驚いたことを明かした。清武

GMは桃井オーナーと同意見であることを示唆していたが、「私とは若干見方が違うとこ

ろもある
」と厳しい表情を浮かべた。


 2人が岡崎ヘッドコーチを留任させるなどの来季コーチ人事案を渡辺会長に提示した

のは、レギュラーシーズン中の10月20日だった。しかし、原巨人はその後、クライマック

スシリーズ(CS)ファーストステージでヤクルトに敗退。桃井オーナーは「CSで大惨敗し、

会長としては(人事の)見直しが必要という判断。見直しは当然で、鶴の一声というわけで

はない」と、渡辺会長寄りの姿勢を鮮明にした。


 また、「渡辺会長は親会社のトップ。だからヒラの取締役が(一存でオーナーを解任)、と

いうのは違う」と清武代表の見解に反論し、オーナー職を解かれることを通告されている

ことには「2年連続で優勝を逃し、けじめをつけないといけない」と、渡辺会長に従う考えを

明らかにした。


 桃井オーナーと清武代表は読売新聞社会部記者時代からの付き合い。2004年8月に

共に巨人のフロントに入った。だが、文科省での会見を終えて球団事務所に戻った清武代

表には「極めて残念。きょうの会見をかばうことはできない」と伝えた。


 清武代表は「桃井は盟友であり、大先輩」と強い結びつきを強調したが、援護を得られな

かった格好。原沢敦球団副代表ら、ほかの球団幹部の考えも不透明で、球団内部の立場

はきわめて微妙になっていると言わざるをえない。


 渡辺球団会長という“大権力”にかみついたという事実から、世論は清武代表に味方をす

るかもしれない。だが、渡辺会長に負けず劣らずのワンマンぶりで、球団を牛耳ってきただ

けに、球団内部には敵が少なくない。今回のスキャンダルによって、清武代表と対立する

勢力が顕在化する可能性もある。


 桃井オーナーは当面は清武代表に現職を続けさせるとしたが、一方で「処遇について

は、取締役会などで協議しないといけない」とし、近く処分を決める方針を示唆した。


 読売や巨人は、早急にお家騒動の幕引きを図っていくだろうが、その過程では、壮絶な

駆け引きが繰り広げられそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111112-00000003-sanspo-base
http://www.sanspo.com/baseball/news/111112/bsa1111120506014-n1.htm
http://topics.jp.msn.com/sports/baseball/article.aspx?articleid=757516

   
盟友と思っていた桃井氏に、(清武氏の考え方は)「私とは若干見方が違うところもある」と

か(
清武氏が独断で会見したことは)「極めて残念。きょうの会見をかばうことはできない

と言われてしまった清武氏には、立つ瀬がなくなってしまった。しかも清武氏はナベツネ

同様なワンマンだったようで、ますます(清武氏への)逆風が強くなっているようで、援軍な

どはなく孤立無援となったのである。

(続く)