世の中、何だこれ(巨人ゴタゴタ、13)

ついでに「加藤コミッショナーの全文」を次に記載する。これを読むと、さらに「たかが野球

と言うことが確信出来る。

   

28加藤コミッショナー声明全文
 [2011年3月17日22時40分]   【ファンの皆様へ】

 被災者の前代未聞の苦境に思いをはせない、心を揺さぶられない日本人等おりません。

物心両面でできるだけの支援をしたいと皆思っています。実際行動に移している人も沢山

おられるでしょう。


 日本の未曽有の困難を克服し、復興を軌道に乗せるための責務を一人一人の国民が

負っていると思います。被災者を直接救助する人の働きにはめざましいものがあります

が、その人達を助ける人達が必要であり、さらにそれを可能にする人やシステムが要り

ます。そうしないと国が回りません。日本全体が沈滞化してしまいます。会社員なら通勤、

その他に多大の不便があっても頑張ってそれぞれのプロフェッショナリズムを発揮してい

ます。そういう状況のなかで、プロ野球の果たすべき役割は何なのでしょうか。プロ野球

は何ができるのか、プロ野球は何をすべきなのでしょうか被災地が復興することを祈

り、復興にメドがつくまで、公式戦を行わず、練習だけを行い、ただじっと待っているだけで

いいのでしょうか。私は、私たちプロ野球界、球団、プロ野球を職業とするプロ野球選手に

とっては、むしろ、この困難な状況においてこそ、気力を振り絞って、真剣勝負をお見せす

ることこそが、プロ野球に期待
される社会的責務であり、そこでプロフェッショナリズムを

発揮することによって、被災者、被災地、そして日本のために貢献できるのではないかと考

えます。


 私は、地震発生後から今日まで、プロ野球の果たすべき役割について、私なりに熟考を

重ねてきました。被災地の状況、電力供給問題などが未確定のまま、いつ開幕するという

ことを発表してよいものかどうか、悩みもしました。プロ野球界のみならず、多方面の方々

から貴重なご意見を拝聴いたしました。12球団の現状を踏まえた上で、文化的公共財

しての
日本のプロ野球
果たしてきた歴史的な役割を考えると、苦しいときにこそ、必死

でプレーする姿勢をお見せすることこそがプロ野球界に求められている使命であり、責務

ではないかと確信するに至りました。


 いわゆる、「風評」もあって、外国資本が日本から逃避したり、居住外国人が日本の西

部、南部へ転出したりする事例が続き、株価も下落していると承知しております。こうした動

きがまた、海外にも増幅して伝えられ、東京が日本全土が極めて不安な状態であるとの過

大で、誤った認識を与え、その結果、日本全体がさらに沈滞するという負の連鎖を招きか

ねません。


 こういう状況においてこそ、野球の出番があるのであり、プロ野球被災地の人々にでき

る限りの勇気を届け、日本国全体に夢と希望を伝え、海外に対しても「日本は野球がやれ

る位
落ち着いているではないか
」「日本全体にはまだまだ底力があるではないか」との冷

静で正確な事実認識を持っていただくための発信を行う役割を担うべきものであると、私

は思います。プロ野球は、プロ野球の世界のためだけのものではありません。それは、

日本国及び日本社会とともにあるべきものです。


 球場にご来場いただきますファンの皆様にも義援金活動などのご協力をお願いすること

があるかと思います。また、通常に比べご不便をお掛けすることがあるかもしれません。そ

の際にはぜひ、ご理解・ご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。


 2011年3月17日 日本プロフェッショナル野球組織 コミッショナー 加藤良三
(原文のまま)
 [2011年3月17日22時40分]

http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110317-749659.html

  
 
加藤良三とはどんな人物かは知らないが、こいつもよっぽど頓馬の部類に入るのであろ

う。加藤本人が作成した文章では無いかもしれないが、加藤良三が了承して発表した文章

なのだ。


この文章には、加藤やNPBには現状の把握が全く出来ていない状況が見え見えだ。


第一に
プロ野球は何をすべきか、ただじっと待っているだけか、と自問自答している割

には、自分達の置かれている状況への理解が全く無い。ただじっと待っていればよいので

あるが、少しまともであれば、その間選手を含む全員を被災地へ派遣
させててボランティ

ア活動
をさせればよいのである。もちろん野球のプロの選手として注意しなければならない

ことは、注意すればよいのである。しかしこのことは他のボランティアでも同じことである。

野球をしない、と言うことも大切なことである。


第二に
、現状で、野球に期待されていることは何か。それはわかりきっている。野球をしな

いことである。このTPOを弁えていないレトリック(この場合自問自答した)には、全くあき

れ返ってしまう。何でもかんでも野球を真剣にやることが、社会的責務と考えていることに

あきれ返ってしまう。なぜ数週間くらい開始を遅らせることが出来ないのか。


第三に
、野球なんぞは文化的公共財なんかでは、全く無い。もし本物の文化的公共財

あったなら、TPOを弁えて、わずか20日足らず遅らせることが正しい選択なのである。

この文章は、図らずもプロ野球文化的公共財でないことを証明したようなものだ。その

間一日でも被災地に行き、自分達ができるボランティア活動をしたのなら、それこそ文化

公共財となる資格の一つくらいは得たものと思われるのだが。


第四に
、野球がやれるくらい落ち着いていると思うよりも、こんな時に野球をやると言う暴

挙を日本政府や日本国民がよく許しているなあ、と軽蔑の眼で見られるのではないかと、

加藤やナベツネは考え付かなかったのか。全くあきれ返ってしまうよ。こいつら(プロ野球

人は
思い上がっていないかプロ野球まで、東日本大震災に協力している、日本はすご

い国だ、きっと立ち上がるであろう、と言う風には考え付かなかったものか。有体に言え

ば、こんな時にプロ野球なんぞはなくてもよいのである


第五に
ナベツネの考え方は、日本のプロ野球は日本国及び日本社会と共にないことを

証明していることなのである。コーチ人事の鶴の一声と同じ発想なのである。要は井の中

の蛙以下なのである。


もう一つプロ野球日本国日本社会共にないことの証しと思われることがある。


それは2011年の日本シリーズ中日ドラゴンズ優勝できなかったことである。中日落

合監督や選手には、日本のプロ野球が日本社会と共にあるという意識がなかったから、日

本シリーズと言う大舞台で力が発揮出来なかったのではないかと、小生は感ずるのである。

大舞台で実力を発揮するには、それなりの哲学を持っていることが必要となる。その哲学

が自分の技を支えるのであるが、中日の落合監督や選手達は、単なる金儲けの手段(

だ勝てばよい
)としか見ていなかったために、緊張を強いられる日本シリーズで力が出せ

なかったのではないかと、小生は踏んでいる。

(続く)