上海からの中国軍の退却先は、直線距離で約270km西北西に位置する南京であった。
当初日本政府は和平交渉を行うため南京への進撃は禁止していたが、中国各地での
日本居留民への殺害や日本権益に対する妨害などのため、結局は南京攻略を進めざる
を得なかった。ここでも蒋介石軍は逃げてしまい大規模な戦闘にはならなかったが、蒋介
石は「南京事件」を南京で布教していた宣教師達に捏造させたのである。世に言う「南京大
虐殺」であるが、これも全くの捏造である。いまだに中国共産党政府は、その捏造事件を
吹聴している。
さてWikipediaによれば、上海事変における中国人による日本人捕虜への虐待写真が
CNNで紹介されたと言う。更には、2010年放送の「池上彰の戦争を考えるSP~戦争はな
ぜ始まり、どう終わるのか~」では、次のように(間違った内容が)放送されていると書かれ
ている。
「盧溝橋の銃声に始まった日中戦争の戦火は拡大。短期決戦と見ていた日本は早々に上
海を攻撃。そして、国民党政府の首都南京を攻略した。」
これは全くの間違いで、以上説明してきたように、状況はこのナレーションと全く逆で日本
は、中独合作により上海の日本居留区が攻撃され、やむを得ず南京も攻めただけであ
る。盧溝橋事件も劉少奇が引き起こしたものであり、後日彼が誇らしげに語っている。
池上彰ともあろう人物の本意ではないかもしれないが、池上彰本人もコミンテルンの
毒牙に噛まれてしまったのか、と疑われても致し方ないであろう。評判が良いだけに、
コミンテルンから何らかのアプローチもされている可能性もあろう。そんな疑いが周囲に感
じられ始めたので、当座の表舞台から降りたのではなかろうか。
これは勘ぐりすぎか。
「通州事件」については、'07.5.28の当ブログに詳しく載っている。
「南京大虐殺の虚構宣伝」については、'07.6.6~9の当ブログ、
「日中戦争は中国共産党が惹き起こしたものだ」については、'07.7.4~17の当ブログ、
日本居留民虐殺事件は、「中国の虚妄のプロパガンダ」'08.2.8~20の当ブログに載って
いる。中国での日本居留民の虐殺事件は、通州事件だけではなく、S2.3月の南京事
件、S3.5月の済南事件、S12.7月のこの通州事件と頻繁の発生している。
後述するフライング・タイガースについては、「日本は侵略国家ではありませ
ん(9)」'08.12.29に掲載されているので、是非参照願う。'08.12.27の「日本は侵略国家で
はありません(6)」も参照願う。
また、当ブログの各主題(題名)は2012.2.17の当ブログを参照願う。そこにはブログの題
名と簡単な解説が記載されているので、是非参照願う。
何はともあれ、調べれば調べるほど中国と言う国は、馬賊・匪賊の性格丸出しの国であ
ることがよくわかる。日本は早急に憲法9条を破棄して、普通の国に戻らなければやがて
は中国の属国になりかねない。自分の国は自分で守る、ことをして、今すぐにでも美し
い国を目指さなければならないと言うことである。
さて話を元に戻そう。 チャイニーズベイビーの写真が撮られたのは1937(S12)年8月28日
と言われているが、実際にはその翌日の8月29日である。8月30日には東京に至急増派
を要請していることを見ても、日本軍は数倍の敵を相手に悪戦苦闘している最中であった。
この一枚の偽造写真が1937('S12)年10月に「ライフ」に掲載されると、タダでさえ米国民
の対日感情が悪かったところへ(1924年反日的な排日移民法を制定)、決定的に米国民
と米国を反日へと追い込んでしまった。そのため米誌には日本軍による残虐行為を特集し
た写真記事やイラスト(大半が捏造されたものであろう)が頻繁に掲載されることとなり、
日本のイメージは「中国を侵略する残忍な国家」としか見られなくなってしまったのであ
る。蒋介石とその夫人宋美齢の対日プロパガンダが、見事成功した格好の事例となった
のである。
アメリカは自国の正規軍を義勇空軍として組織し、中国大陸に進出させたのである。
これが「フライング・タイガース」であり、更には大っぴらに「援蔣ルート」を通じた反日・
親中援助を行っていったのある。これは明らかに国際法に違反している行為なのである。
ここ(「Files No.01 The child」 http://sky.geocities.jp/pac_remix/honron/child.html )
には、次の写真も載せられている。したがってこの赤ん坊は、「爆撃の結果一人ぼっちに
なってしまった」のではない。この写真には兄と見られる男児も一緒に写っており、赤ん坊
をそこに座らせようとしているように見える。兄と見られる男児が横にいるということは、
多分一人になるため赤ん坊を安心させるためであろう。兄と見られる男児は側頭部にガー
ゼが当てられており、明らかに手当てを受けた後であることが窺える。爆撃直後ではない。
下の写真は、「Files No.01 The child」 http://sky.geocities.jp/pac_remix/honron/child.html
にも掲載されていますが、
次の写真は
「国民党「対日謀略工作」
ニセ写真のカラクリを暴く」(http://www.history.gr.jp/~nanking/books_shokun0204.html)
に掲載されていたものです。
ここには次のような解説がある。
『 まず、日本海軍爆撃隊が上海南停車場を8月28日午後3時に爆撃した。
それから、1日以上隔てた後であるにもかかわらず、いかにも爆撃があったばかりで被害
をうけた恰好(かっこう)に扮装させた赤ん坊をホームへ連れて行く。
発煙筒を準備し赤ん坊をカメラ撮影をする際に死角となる赤ん坊の左側に置く。
これはあたかも爆撃直後でまだ煙が出ているかのごとく装うためである。
ところが発煙筒の燃焼時間が短いためか、セットに時間が掛かりすぎてしまったのかは
分からないが、発煙筒が倒れてしまった。
その瞬間、赤ん坊は泣き止み、発煙筒の方に振り返ってしまうのである。
その一連の流れが「激動日中戦争史録」に丸々映像として収まっていたのである。
これらの映像を見る限り、「ライフ」の写真が事実上都合よく切り貼りしながら意図的に作
られたモノであることは疑問の余地がない。
なにしろ、その赤ん坊の脇には、その父親らしき人物も登場しているのだ。
こうなると子役タレントと付き添いのマネージャー役の親といった構図も想像可能であろう。
とにかく、全くの"作りごと"なのだ。
だが未だ不思議な事がある。
何の為に、なぜこのようなヤラセ撮影を行ったのだろうか? 』
そのヤラセ写真のお陰で日本の(米国における)イメージは完全に「悪」とされたのである。
ここでは次のように説明している。
(続く)