第2次上海事変(8)

『日本はこの1枚の写真によって「悪」のイメージを、対外的に特に米国において決定づけられたといっても過言では無い。

 この写真が発表されて以降、日本人というのは、残虐であるというイメージが世界中に蔓延していったのである。

 この裏にはもちろん当時の中国(国民党)が、反日のためのイメージ操作を行っていた事実がある。

 例えば、写真以外にも、蒋介石夫人、宋美齢は中国における日本軍の残虐行為を米国内で精力的に訴え続けていた。』


そしてアメリカはUS Air Forceの正規空軍フライングタイガースと言う名称で参戦させたのである。

義勇空軍
とは名ばかりでアメリカの正規空軍を参戦させたのであった。だから真珠湾のだまし討ちなんぞは言い訳で、だまし討ちしていたのはアメリカ側であった。


『 そのために、参戦こそはしないものの、義勇空軍(フライング・タイガース)等がアメリカで組織され(現在ではアメリカ政府が秘密裏に組織させた正規軍として判明しており、国際法違反であったことが明白である)、"援蒋ルート"を通じて中立に反するような直接的な反日・親中援助政策が行われても米国民の多くは反対はしなかった。

 これらの根底には、米国民は日本に対して持った「悪」のイメージが強く働いたからであろう事は否定出来ない事実であろう。』

 
  
このようにこのChinese Babyの写真は「やらせ」そのものの偽造写真であり、この1枚の写真で日本は中国での内戦の泥沼に引きずり込まれたのである。まあこの一枚の写真だけで、米国政府反日・親中になった訳ではないが、米国市民・米国世論は完全に反日となったのであり、そのことを背景に米国は(中国に権益を拡大させたいがために蒋介石・国民党政府を支援したのである。そしてそのことが中国コミンテルンに手を貸すこととなり、中国の共産革命を成就させてしまったのである。その後米国は朝鮮戦争ベトナム戦争などで、手ひどい仕打ちを受けることになる。


ちなみに米英の蒋介石・国民党政府への援助ルートを遮断するために、日本は広州(香港ルート)や仏領インドシナベトナム仏印ルート)やビルマビルマルート)に、更にはイギリスの植民地インドを経由して昆明までの自動車道・レド公路を米英が建設したので、インド近くまで進駐せざるを得なかったのである。このことは'08.12.29「日本は侵略国家ではありません。(9)」などを参照願う。ちなみに日本がインド附近に進駐したことが、インド独立につながった事は特筆に値する。

  
しかしながら、世の中にはこれが偽造写真であるとすることに反対の意見の持主もおられます。例えば次のURLの作者は、この2つの写真は「やらせ」のものでなく、「有りのまま」のものだと述べていますが、その論理はなかなか難しくて複雑です。


「写真2 空襲後の上海南駅の幼児(p79)」
http://www.nbbk.sakura.ne.jp/p2/143/143_002.html」)

 

 
下の写真を見るとこの写真は周到に準備され用意されて撮られた「プロパガンダ」用のものであることがよく分かる。それでも偽造でないと言っている意味は理解できない。


Files  No.01  The  child」 の作者も、丁寧にこれらの写真は「やらせ」のものであることを証明しています。

 

次の写真は
写真判定の基本 1」(http://www.nextftp.com/tarari/nanshi/nanshibakugeki3.htm) 

に載っていたものである。このようなものはWikipediaにも、似た写真が載っています。

f:id:altairposeidon:20200530184009j:plain

これらの写真はキャッスル・フィルムズが販売する「ニューズ・パレイド・一九三七年版」よりスキャンしたものである、とのコメントがある。


⑥は、これから赤ん坊を反対のプラットホームへ移動させようとしている写真であり、⑦は移動中のものであり、⑧は反対側のプラットホームへつく直前のものである。赤ん坊は上から垂れている柱の陰に入っている。


⑥の写真には、ホームを歩いている子供かだれかが写っているし、大人2人もそれほど急いでいるようには見えない。のんびりした感じがする。爆撃直後のものとも、到底思えない。

プロパガンダ用に多分爆撃の翌日あたりに、それ相応に準備して撮影したものであろう。


このURLの作者は、この写真(映像)を撮った中国系アメリカ人の王小亭(H.S.ウォン)が、爆撃直後に上海南停車場に行って撮影したものだと信じて疑っていない。


しかしながらこれらのことを鑑みるに、これは明らかに爆撃直後の様子を表しているものとは信じられない。更に白シャツで帽子の男が王小亭(H.S.ウォン)だとしているが、ここには王小亭(H.S.ウォン)は居ないとする判断の方が正しいようだ。


例えば、産経新聞社発行の雑誌・「正論」2012/2月号の『写真の罠と戦い続けて』(日中問題研究家 松尾一郎氏)によると、これらの写真の白シャツの男は王小亭(H.S.ウォン)ではない、と言っている。当時のウォンと白シャツの男は、明からに体形が異なっている。


更に「ライフ」には同じChinese baby のものだとして、左手をなくして治療を受けている担架に載せられた赤ん坊の写真が載っている。しかしフィルム動画の写真を画像解析ソフトで分析すると左手の指先を確認できた、と言う。

更には担架に載せられて治療を受けている写真は、「1937年9月16日(AP)に日本軍に砲撃により重傷を負った子供を手当てするボーイスカウト」、と言う解説付きで出てきている。

これは1998年にAP通信社が共同通信に売却した日中戦争時の写真の中にあったものである。



例の
Chinese baby の写真は、初回で説明したように1937(S12)年8月28日の第2次上海事変でのものである。

(続く)