だから「ライフ」などに載せられた写真やそれに関する動画などは、明らかに偽造された
ものである。戦後王小亭(H.S.ウォン)のChinese babyの写真は、トラックで逃げる家
族が駅前で爆撃に会い、母親は即死して父親は年上の子供を運び妻の死体を引き
ずっていた時に撮ったものだと、本人が述べていると言う。
しかしこのChinese babyは明らかに駅の中のプラットホームの上に座っているのであ
り、駅前で撮影されたものではない。明らかに王小亭(H.S.ウォン)の話の状況と
Chinese babyの写真は異なっている。
このことからこの論考は、次のように述べている。
『あくまでも現時点における1つの可能性の話ではあるが、ウォンは写真①を撮影してお
らず、実際は中国の宣伝工作(プロパガンダ)組織が撮影し、それをウォン名義で発表
したと考えるのがもっとも合理的ではないだろうか。』
将にその通りである。ここで言う写真①とは、このブログの冒頭に提示した一人でプラット
ホームで泣いているChinese babyの写真を指している。
しかしながらこの「写真判定の基本 1」の作者は、これらは(あくまでも)真実の写真である
と言っている。しかしながら言わんとするところが、なるほどとはどうしても頷けないのであ
る。小生にはこじつけているとしか感じられないのである。
しかしながら、シカゴ・トリビューン・プレス・サービスのポウェル記者が、赤ん坊をあとから
連れてきてポーズさせて撮った偽造写真であることを、写真で証明している、と言ったもの
もある。
(http://www.tamanegiya.com/eigasyasinn20.5.5.html)
次の2つのサイトは、Chinese babyの写真は巧妙に作られたものだ、と言っている。
国民党「対日謀略工作」
ニセ写真のカラクリを暴く
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_shokun0204.html
教科書が教えない歴史
自由主義史観(代表 藤岡信勝) 公式サイト
http://www.jiyuushikan.org/tokushu/tokushu4_iijima.html
しかし下記のサイトの作者の考え方は異なっている様に思われる。
「考察日本」(http://jseagull.blog69.fc2.com/?mode=m&no=518)
更には、
「偽造された」と言うよりも、写真の説明文が悪意に満ちた文に改鼠させられている写真
はまだある。
それがこれだ。
NO!自虐史観
【日中歴史研究】自虐史観の売国官僚は要らない
http://ameblo.jp/hironk2005/entry-10447311203.html?via_ameba_id=mizki-yonakuni&via_pocket_id=1897278
に掲載されているものを下に掲げる。この写真は1937(S12)年11月10日号の「アサヒグ
ラフ」に掲載されたものである。これも朝日新聞の記者本多勝一が1971年に当時鎖国状
態だった中国に渡り、中国共産党政府側から全くの作り話を吹き込まれて、日本に帰って
から「中国の日本軍」や「中国の旅」などの反日書籍を発行して、写真の説明文を悪意に
満ちた文に改鼠してありもしない南京大虐殺などの虚構話を広めたのである。
下の写真はその本多勝一の「中国の日本軍」や中国の『日寇暴行実録』にその説明文が
改鼠偽造されて掲載されたものである。
作業から帰る農婦
この写真は「アサヒグラフ」の1937(S12)年11月10日号に掲載されたものであるから、
この雑誌は多分1937年10月には発行されていたであろう。そのためこの写真は少なくと
も1937(S12)年10月以前に撮影されたものであろう。この写真は、だから、南京開城の
2ヶ月前には撮影されていたものである。南京問題とは全く関係がない。
このブログと共に、次の「深谷隆司氏」のブログの一文を参照されたい。深谷隆司氏は
元通産大臣で自民党の東京都連最高顧問を務めている。
ちなみに、上海から南京に敗走した中国軍を追って日本軍(上海派遣軍は中支那方面軍
に再編されていた)は、1937(S12)年12月9日に中国軍に対して無血開城を勧告したが、
中国軍はそれに応じなかった。そのため12月10日に南京城への攻撃を開始し、
12月13日に蒋介石や中国軍司令部は南京より遁走したため中国軍は便衣兵化してし
まい、日本軍は南京城に無血入城している。
(続く)