第2次上海事変(11)

南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去

2008年12月21日 | news
南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去
2008.12.17 21:04

 中国・南京市にある南京大虐殺記念館が、信憑(しんぴょう)性が乏しいと指摘されてい

た写真3枚の展示を取りやめたことが17日、政府関係者の話で明らかになった。「連行さ

れる慰安婦たち」「日本兵に惨殺された幼児たち」「置き去りにされ泣く赤ん坊」の3枚で、

日本の研究者らは南京事件と無関係だと指摘していた。中国が同館の展示について

“是正”に応じたのは初めて。ただ、30万人という犠牲者数の掲示や“百人斬(ぎ)り”など

事実関係の疑わしい展示多数はそのままになっている。

 

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南京のものとして展示されていた「上海南停車場」の写真

  
 撤去された3枚の1枚は、南京攻略戦の前に撮られ、「アサヒグラフ」(1937年11月10

日号)に掲載された写真で、農作業を終えたあと、兵士に守られて帰宅する女性や子供が

写っている。これを中国側は旧日本軍が女性らを連行する場面と紹介し、「農村婦女は連

れ去られ陵辱、輪姦、銃殺された」と説明していた。この写真は戦後、朝日新聞記者、本

多勝一氏の著した『中国の日本軍』や中国系米国人作家のアイリス・チャン氏の著書『ザ・

レイプ・オブ・南京』でも、残虐行為と関連づけて紹介されるなど、国内外で繰り返し誤用さ

れてきたことで知られる。

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慰安婦連行の場面として展示されていたアサヒグラフの写真「日本兵に守られて農作業から帰宅する女性や子供」

   
 また、幼児たちの写真は、朝鮮現代史の学術書に掲載されたもので、匪賊(ひぞく)(盗

賊集団)に殺された朝鮮の子供たちの遺体。赤ん坊の写真は米誌「ライフ」に掲載された

報道写真で、撮影地は上海。いずれも南京の旧日本軍とは関係ないが、愛国主義

育の“模範基地”と指定される同館は「悲惨な史実」と紹介してきた。


 日本側は、事実無根だったと判明している“百人斬り”関係の展示品のほか、誤用や合

成と指摘されている写真について、さまざまなルートを通じて撤去を求めてきたが、これま

で同館は応じていなかった。

 85年に開館してからの同館の参観者の累計は1897万人。日本の修学旅行生らも訪問

している。

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/90fd6a3ddbba84e3fe4aa317d98453de

下のsankei.jp.msn.comにはすでにこのニュースは見当たらないが、一応掲げておく。だか

らブログなどでは参照でなく、記事そのものの掲載が必要となるである。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081217/acd0812172107008-n1.htm

 
 

もともと南京での大虐殺なんぞもなかったことなのだが、共産党独裁の中国は、その捏造

話をあいも変わらず後生大事にしている。そうでもしなければ中国共産党が中国を開放し

たと言う、作り話が信用されないからである。


名古屋市長の河村たかしの「南京では虐殺はなかったのではないか」と言う、名古屋を

訪問した南京市の要人への話し掛けは、全くの南京での事実を話しただけなのである。


「南京問題」などについては、当ブログの'07.6.6~9の「温家宝来日の虚構」や'08.2.8~20

の「中国・虚妄のプロパガンダ」などを参照願う。


南京では日本軍による虐殺などは一切なかったのであり、中国一流の捏造話なのであり

その最高の捏造改鼠の館が「南京大虐殺記念館」なのである。日本にも「通州大虐殺

記念館
」を中国大使館前に建てるべきである。


ついでに言っておくが、以上のようにプロパガンダではなく、ヒストリーとして日中の歴史

を見ればいわゆる「日中戦争」は、けっして日本による侵略戦争ではなく、中国共産党

による日本軍と日本居留民への攻撃暴行に対する防御行動であったことがわかる。

共産党軍がなぜ日本軍を攻撃した(させた)のかと言うと、それは蒋介石の目を共産軍か

ら逸らすためであった。日本を挑発して蒋介石と戦わせて、その陰で中国での共産党軍の

力を温存・拡大をはかり共産革命を達成させるためだけのものであった。

(終り)