尖閣諸島問題その2(35)

そして1920年(大正9年)の中国からの感謝状に関する記事を、次に掲載する。とくとご覧あれ。

 
 

96.9.23
石垣島で貴重な資料
大正9年、漁民救助の感謝状に明記

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【写真説明】保管されている「感謝状」の写し。中国尖閣諸島日本の領土と認知していた

ことを裏付けている

    
 日本が実効支配する東シナ海尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権について、中国当局

日本固有の領土であることを公式に認めていたことを裏付ける史料が、沖縄県石垣市役所に

保管されていたことが二十二日までに明らかになった。領有権をめぐっては、中国、台湾など

から対日批判が高まっているが、この史料が中国や台湾の主張を崩す有力な資料として注目

される。


 史料は中華民国九年(一九二〇年、大正九年)
五月二十日中華民国駐長崎領事が中国

漁民救助に対する「感謝状」として、当時の沖縄県石垣村(現、石垣市)村民に贈ったもの。 

内容は「中華民国八年(大正八年)の冬、中国の福建省恵安県(現、泉州付近)の漁民、郭合順

氏ら三十一人が遭難し、日本の尖閣列島(現、尖閣諸島)にある和洋島(魚釣島のこと)に漂着

した。石垣村の玉代勢孫伴氏(後の助役)が熱心に看病し、皆元気に生還することができた。

こうした看護は感謝に堪えず感謝状を贈る」というもの。


 領事氏名の馮冕(ひょう・めん)の下に「華駐長崎領事」の公印と年月日の上に「中華民国

長崎領事印
」とある。


 注目されるのは、この漁船が遭難した当時、中華民国政府の外交当局が、感謝状の中で

尖閣諸島のことを「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している点。


 この点について沖縄の歴史を研究、編さんしている財団法人「沖縄協会」(本部・東京都千代

田区)は、「このころまでに、中国が領有権の主張をした事実がないことはもちろん、むしろ積

極的に尖閣諸島日本領と認めていた何よりの証拠」と説明、第一級の史料価値があるとし

ている。


 石垣市在住の元同市助役で郷土史家の牧野清氏(八七)によると、感謝状は玉代勢氏のほ

か、石垣村長(当時)の豊川善佐氏、古賀善次氏、与那国島出身の通訳で女性の松葉ロブナス

トさんら計四人に贈られた。現存するのは、玉代勢氏あてのものだけで、同氏の長男、冨田孫

秀氏が今年一月、自宅に飾っていたものを石垣市に寄贈した。


 同市の話では、中国人らが魚釣島近海で遭難しているのを当時、同島でカツオ漁を営んでい

た古賀氏が見つけて救出。八重山島庁(当時)、石垣村役場が総出で救援活動を行った、とい

う。遭難者の中には女性や子供も数人ずつおり、漁業を専業とする海上生活者だったとみられ

ている。


 石垣市では、市史編集室で保管しているが、近く一般に公開する方向で検討している。

http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/syasin.htm

  
  

この1996.9.23の時点では、感謝状はこの一通だけが見つかっていたのであるが、2010.11.

28には、当時の石垣村長に贈られた感謝状見つかったのである。この感謝状は当時の

ままのもので、先に紹介した感謝状は掛け軸に貼るために両端が少々カットされていると言

うが、今回見つかった感謝状は、当時中国中華民国)から贈られたままの物であり、しかも

石垣村長宛てのものであることでも、大きな価値があるものである。

 

 
八重山郡尖閣列島」中国からの感謝状に明記 石垣市内で発見2010年11月28日

 【石垣】中国と台湾が領有権を主張している尖閣諸島について、中国政府が「日本帝国

沖縄県八重山郡尖閣列島
」と明記して石垣村長に贈った感謝状が27日までに石垣市内で

見つかった。同じ内容の感謝状は、別の人にあてたものが石垣市八重山博物館に所蔵され

ているが、今回発見された感謝状は保存状態が良く、村長あてという点でも価値がある。

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中華民国から第2代石垣村長に贈られた感謝状=27日、石垣市役所

 中国側尖閣日本固有の領土であることを公式に認めていたことを裏付ける貴重な

史料となり、27日に会見を開いた中山義隆市長は「新たな歴史的証拠が出てきた。石垣市

行政区域として尖閣をしっかり守りたい」と語った。


 感謝状1919(大正8)年冬、中国福建省の漁民31人が遭難し尖閣諸島魚釣島に漂着

した際に、石垣村(現・石垣市)の住民が救助したことに感謝の意を表し、翌20年に中華民国

駐長崎領事が石垣村長の豊川善佐氏(1863~1937)に贈ったもの。領事名の馮冕

(ひょうめん)
の下に「華駐長崎領事」の印と年月日の上に「中華民國駐長崎領事印」の印

も押されている。


 同博物館所蔵の玉代勢孫伴氏
たまよせそんはん)あての感謝状は掛け軸用に加工されて

いたが、豊川氏あての感謝状は贈られた当時の状態も分かる。


 今回の発見は、今年9月7日に尖閣諸島沖の日本領海内で石垣海上保安部の巡視船に

中国漁船が衝突してきた事件以降、同博物館に感謝状の問い合わせが相次いだことから、

あらためて資料を収集。豊川氏のひ孫に当たる豊川喜世子さんと夫の敏彦さんに依頼し探し

てもらったところ、和紙に巻かれて見つかったという。


 感謝状は豊川家から同博物館に寄託された。


 玉津博克市教育長は「2枚の感謝状を市の文化財に指定し、管理していきたい」と話した。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-170673-storytopic-227.html

  
この漢文の読みくだし文も次に示す。

(続く)