尖閣諸島問題その2(47)

ついでに言っておくが、あの「ソフトバンク」の孫正義が流している「白い犬のお父さん」

CMも,また違った意味での宣伝工作なのである。詳しくは小生のブログ2010.8.2~8.4の

「おのれ!孫正義」を参照願いたいが、韓国では「犬の子」とか「白」などは侮蔑とか侮辱を

意味する言葉なのである。だからあのCMで、孫正義は「日本の犬畜生め」と言うことを日

夜TVで垂れ流しているのである。それに白い犬から始まり、白戸家の白(ホワイト)割引と

白づくめなのだが、朝鮮ではこの「白」は白丁を意味しているのであり、この白丁(ペクチ

ョン、ペッチョン)とは、朝鮮では賎民を意味するのである。朝鮮では奴隷制度があり奴婢

が存在していた。奴婢などは最下位の賎民階層に属していたが、その最下位の階層内に

も更に階層がありその最下層に位置していたのが白丁であった。


当然この賎民の中には妓生(キーセン)などの娼婦もいた。だから朝鮮は中華帝国の属

国として1,500年ほどの歴史があるが、その間ずっと中華帝国へ妓生を贈り続けていたの

である。これを「貢女」と呼び、元の時代頃からは身分の高い家柄からの貢女が求めら、

わざわざ法律まで作って若い娘達を集めては中国へ献上していたのである。この制度は

ずっと続き、日清戦争で清国が日本に負けた結果、下関条約でようやく日本がこの「貢

女」の制度を止めさせたのである


これらの白丁などの身分制度日本によって解消されたのであるが、それは日本が朝

鮮にてこ入れしたからである。日韓合邦は1910年であったが、その前年の1909年には韓

国統治のために韓国統監府を設置して、戸籍制度を導入している。このときに賎民の身

分制度を撤廃させたのである。北朝鮮が韓国に対して今でも大統領の事を「人間白丁」と

罵ると、Wikipediaには記されているから、このような階級意識は朝鮮には根強く残ってい

るものと思われる。だから孫正義も白い犬を使っているのであろう。


だからこの「白い犬のお父さん」CMで孫正義は、毎日「日本人の犬畜生目、日本人のこ

じき野郎め
」と言った内容を流して、ほくそ笑んでいるのであろう。それと同時にこの「白

い犬」CMや韓流ドラマは、電通のトップの成田豊・最高顧問が韓国のある筋の結託して企

画したとも、想像されている。それは嫌韓感情を変えるためのマスメディアを動員した日本

への「意識操作工作」であると言われている。


だからこれらのテレビを通じて朝鮮は、在日朝鮮人への宣伝工作と日本人への意識操作

工作を続けているのである。そのため李明博の大言壮語も生まれたものと感ぜられるの

である。


だから日本人はあの「大東亜戦争」が無駄な戦争であったなどとは思わずに、東亜の諸

国を列強の手から開放した「植民地解放戦争」だと評価すべきなのであり、日本が韓国

を合邦
植民地とは異なる)した結果アジアでは日本に次いで近代化を果たせたのであ

る。韓国は日本人が作ったのである(当ブログ2011.9月~10月の「日韓併合100年」を

参照のこと)。


これら植民地解放の事実は小生のブログ「靖国神社に参拝しよう(5~6)」2008.9.15,17

も参照願いたいが、その一部を次に引用する。

 

(6)ククリッド・プラモード 元タイ国首相
  (「サイヤム・ラット紙」12月8日、多分2005年頃か、年不明)

「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本と言う母さんは難産して母体をそこ

なったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等

に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは
身を殺して仁をなした日本

と言う母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれた

お母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」


(7)バ・モウ 初代ビルマ首相

  (バ・モウ著「ビルマの夜明け」より、ビルマは現在ミャンマーと名前を変え、首都ラングーンヤンゴンに変わっている。)
http://1st.geocities.jp/cutenao104/biruma.htmのキャッシュより

「真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく1943年(S18年)8月1日に行わ

れたのであって、真のビルマの解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、
東条大将と

大日本帝国政府
であった。」

「歴史的にこれをみるならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献

た国はない。しかしまた、その開放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示して

やったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない。」


(注)
ビルマは19世紀初頭よりインドを侵略した英国の圧力を受け続けていたが、抵抗む

なしく1886年に全土を英軍に占領され、英領インドに編入されてしまった。大東亜戦争

戦後、アウン・サンは日本軍の「南機関」の支援を得て、ビルマ独立義勇軍を創設。日本軍

と共に戦い、1942年7月にイギリス軍をビルマから駆逐する。翌年3月に日本で旭日章

受賞し、この年1943年8月1日にバ・モウを首相とするビルマ国が誕生し、アウン・サン

は国防相となる。

戦後イギリスからの完全独立を目指すビルマは、アウン・サンを主席とするビルマ行政参

事会代表団と英国政府との交渉の結果、1947年1月、アウン・サン=アトリー協定を締

結、アウン・サンはその後ビルマ国内を、英領ビルマ全域を連邦制国家として独立させる

方向でまとめる(パンロン協定)。そして1947年12月英国両院でビルマ独立法案可決を

経て、1948年1月4日英連邦から離脱した共和制国家として、完全独立を果たしている。

しかし現在ビルマにおいてはパンロン協定の内容は実現していない。


以上、注書きはhttp://www.mekong.ne.jp/directory/history/panglong.htmおよび
http://homepage3.nifty.com/htunktt/index1.htmlより引用。

 
(戦後の初代ビルマ首相となったウー・ヌらビルマ指導者達の言葉、「同著」より)

「それは言葉では言い表させないほど幸せな日々だった。人々は喜びに胸を膨らませて、

いたるところで歌った。国民こぞってこれを祝うために、各地域社会を代表する委員会が

設けられた。くる日もくる日も群集がパゴダを訪れて灯明を挙げ、花を捧げた。僧達は、町

中で振る舞いを受け、催物は果てしなく続いた。人々は集い、日本語で「万歳」を叫んで、

日本に対する深い感謝を現す決議をした。同時に、喜びと感謝の気持ちを綴ったメッセー

ジを東条首相と日本政府に送られた」
 

 
 
だから我々日本人は、あの栄誉ある「大東亜戦争」を勇敢に戦った国民として、胸を張って

よいのである。いまさらあの「War Guilt Information Program」なんぞに騙されてはなら

ないのである。大東亜戦争には負けたけど、東亜の諸国を開放する戦争には勝った

のだ
、と胸を張ればよいのである。だから尖閣諸島は絶対に守らなければならない日本の

固有の領土なのである。攻めて来れば戦う必要があり、自衛隊尖閣諸島を守ることは何

も後ろめたいことではないのである。堂堂と鉄砲や大砲を撃てばよいのである。

(続く)