尖閣諸島問題その2(49)

まあ若干理不尽な感じがしないでもないが、今まで中国系の人物なんぞに売却せずに保有

していてくれたことを感謝すべきではないか、とも思えるのである。だが普通の日本人

ら、どこの馬の骨ともわからない人物にはけっして売らないであろう、と言うことも当たり前

のことである。


まあ尖閣諸島の地権者が日本人だと言うことは、尖閣諸島日本固有の領土であるこ

との、紛れもない証拠なのであるが、あまりにも中国側が「尖閣諸島か中国領土だ」などと

言うから、その証拠を見せてもらいたいものである。次の写真などは尖閣諸島が「古くか

ら日本のものだ
」と言うことの明確な証拠なのである。


だから我々日本人は、全国民にこのことを知らしめなければならないものである。


これらの写真は「尖閣諸島の写真と地図集」
http://senkakusyashintizu.web.fc2.com/index.html より引用している。


アサヒグラフ・昭和53年5月5日号「特報、尖閣列島波高し・無人島ではなかった」、1908年(41年)5月の写真。(原文・魚釣島全景 10戸あまりの家がひとかたまりになっている。)

(原文・当時の住民達が総出でカツオブシ工場前で記念写真をとった。)これは良く見る写真であるが、別の同じ写真の説明文には「鰹節工場の前で記念写真を撮る古賀商店の面々。」とある。

船着き場での記念写真、この船着き場は古賀辰四郎氏の未亡人の花子さんが、「船着き場を作るのに十年かかったそうです。機械を使わないで硬いサンゴ礁を砕くのですから。」と記者に語っておられると資料もある。とすれば、これが事実なのだろうか。・・・との説明もある。魚釣島の写真にはこの船着き場が良く見える。
細部は上記のURLを是非訪問して、確認願う。

 
 
ついでに、古賀辰四郎について。


彼は安政3年(1856年)製茶業の古賀喜平氏の三男として、現在の福岡県八女市字山内

に生まれる。明治12年(1879年、23才)に八女茶の販売のため沖縄に渡り、当時棄てら

れていた夜光貝に目をつけ、高給ボタンの材料として輸出することで莫大な財を成す。こ

の資金で明治17年(1884年)頃から尖閣諸島などの探検を行い、明治29年(1896年)

尖閣諸島の30年間の無償貸与を得る。そして魚釣島を中心にして、鰹節工場やアホウ

ドリの羽加工工場、鳥フン石採掘場などを設けて、魚釣島に古賀村(通称)をつくり当時

284人が定住していた。


その後古賀家が尖閣諸島を売りに出していることを知った埼玉の土地持ちの栗原家が、

その話に乗ることになる。たまたま栗原家は土地売却で金があったのでその話に乗ったの

である。そして栗原家の長男である栗原國起氏(70才)に、1972年に売却されている。ど

んな形で売却されたかは知らないが、現在テレビなどに顔を出すのは、栗原家の三男で弟

栗原弘行氏(65才)である。


しかし週刊文春の2012.9.20日号によると、この栗原弘行氏は相当だらしのない人物のよ

うだ。弘行氏には離婚した元妻に娘が一人いる。と言っても現在41才というが、彼女達の

話がこの週刊文春に載っている。それによると、
「父は、領土を守る国士のような顔をして

テレビに頻繁に出ていますが、そんな人物ではありません。金と女にだらしなく、虚言癖も

あって、一度としてまともな仕事に就いたことがありません。そして私たち家族を苦しめ続け

ました。・・・離婚の慰謝料もまともに支払おうとしない。わが父ながら恥ずかしいことに、お

金のためなら何でもやりかねない人です。

都と国を天秤にかけ、のらりくらりと交渉を長引かせてきたのは、尖閣を高く売りつけるた

めでしょう。」
この元妻とはいまだに離婚についての揉め事もあるようだ。それに今の妻と

子供達には粗末な共同住宅に住まわせいると言う。週刊文春はこの栗原家の2人に取材

を申し込んでいるが、実現していないと言う。


また週刊新潮2012.9.20日によれば、なぜ栗原國起氏が国に売却を決めたかの理

由は次のようだと言う。


先ず栗原家には多額の負債があるという。これも三男の弘行氏が事業に失敗した結果だ

と言う。そのため地権者は尖閣諸島の売値を「吊り上げ」に「吊り上げ」たかったのである。


それに東京都に売った場合には、都としての難しい手続きがありおいそれとは買値は決ま

らないことになる。それに対して国に売った場合には、閣議決定すればすぐに支払い手続

きが取れると言う。それに国の方が交渉に際しては、一枚上手だったようだ。国としては地

権者の「あることない事」を調べ上げることが出来るので、それも交渉材料として使うことが

出来る。


そんなこんなで栗原國起氏は、石原都知事を踏み台として、国と価格交渉をして「吊り上げ

勝ち」となったものだ。しかしこの20億5千万円は、我々の税金から支出されるものであ

る。だからこの尖閣諸島の実効支配は、確実なものとしてもらわなければならないのであ

る。しかしこの週刊文春は、次のような文言を載せている。


「国有化という美名のもとに都から奪い取るような真似をしておいて、島には何も手をつけ

ないというのは、つまりは中国と”共同管理”しましょうと言うこと。結局この攻防は、日本人

代表の石原さんと、中国の意を受けた野田・玄葉(外相)両人の戦いだったわけです。

田久保忠衛氏)」


そのため「
中途半端な契約のツケは、隣国の更なる増長という形で回ってきてもおか

しくないのだ。
」と言う言葉で文を終えている。これでよいのか、日本は。


後ほど紹介するが、中国はこのような状況になるような要求を日本にしていたのだ。


・・・とまあ、尖閣諸島の地権者である栗原家については、いろいろなことが言われている。

これらの事を鑑みるに、それほど国の事を思っている御仁とも思えないが、中国系の人

に売却されなくて良かったと思わなければならないのであろう。後は今の民主党政権

は期待できないので、早く総選挙をやってもらって自民党政権が誕生することである。そし

て東京都の寄付金を使って尖閣諸島に船溜まりや無線中継基地などを設置して、実効支

配を具体化
してもらいたいものである。

(続く)