尖閣諸島問題その2(63)

●超拡散《故中川昭一先生の酩酊記者会見の闇を知る原聡子が「バンキシャ」に出演》
2012年05月20日 19:50

■日本人の忘れやすい性格を逆手にとって、あのイタリアでの「仕組まれた酩酊記者会

」の裏側を見ていた日テレの原聡子記者が、ほとぼりが過ぎたと判断してか。ノコノコと

日テレ日曜日の「バンキシャ」で、ニュース原稿を読んでいました。

当時、イタリアでの重要会議を終了して、故中川昭一先生が軽い昼食を済まして記者会見

に臨んだのだが、その食事に同席したのは、男性は中川氏玉木林太郎財務省国際局

長他1名
、女性は、日テレ・原聡子記者、読売新聞・越前屋知子記者他1名だった。

その時飲んだ赤ワインは、6名で一本だけだったにも拘わらず、中川氏はあの状態に陥っ

たのです。中川氏本人もあの一瞬自分がどうなっていたのか「帰国してテレビを観てはじ

めてわかった
」と、中川義雄先生に語っていたのです。

誰れが一服もったのか。


当時のマスメディアは、異常を通り越し、すべてが謀略機関に成り下がっていたことを忘れ

てはいけない。

あの謀略報道がなければ、中川氏が死に至ることにならなかったのであり、
一服もった犯

人は、間接的に中川氏を殺した犯人になるからです。


あの記者会見後、バチカン美術館で非常ベルを鳴らしたとか、彫像に触れたとの報道もす

べて嘘だったのです。

それは、故中川昭一先生の叔父さんで参議院議員だった中川義雄先生から聞いたことだ

が「
郁子さんにバチカン美術館を最初から最後まで案内したバチカンの神父さんから手紙

がきていて、日本で報道されているようなことは一切なかった。ずっと間近にいて一切お酒

の匂いはしなかった
」と、綴られていたとのことでした。

皆様方は、我が国のゴミマスコミと神に仕える神父さんのどちらを信じますか。

一国の財務大臣を失脚させたスキャンダルの現場にいたジャーナリストの原聡子記者と越

前屋知子記者は、国民に対する説明責任があるのだ。

ところが、越前屋知子記者は、帰国後姿を消したと思いきや、米国へ転勤になり未だに隠

れている状態です。そして、原聡子記者は週刊誌などからの取材を逃げ回り、未だに一切

取材に応じていない。

よほど都合の悪いことを知っているから逃げ回っているのであろが、ことは、我が国の将

来の首相を嘱望されていた政治家を、死に至らしめるきっかけのスキャンダルの現場にい

た当事者として、きちっと国民に説明責任を果たさないかぎり、ノコノコ素知らぬ顔でテレビ

に出ることは許されないだよ原聡子記者。

覚醒されていらっしゃるインターネットユーザーの皆様、
原聡子記者と越前屋知子記者は

ジャーナリストですので、説明責任を果たすまで絶対許してはいけません。これからも逃げ

回るのであれば、地獄まで追いかけるしつこさが日本人には必要なのです。


※「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」代表 ジャーナリスト水間

政憲;ネットだけ転載フリー
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-591.html?cr=ba5237382c263b508786a3b46575c7c8》(条件;上記全文掲載)

http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-868.html

 
 

次のWikipediaの説明も参照されたい。これによれば、中川の事務所も、また鈴木宗男

の質問に対する答弁書でも、その様に回答しているが、その何れもが中川本人の行為に

よるものか判らないような文言である。一般的に広い館内でのことであり、多分、他の見学

者もいたことであろうことから、後から警報が鳴ったかどうかと聞かれれば、「鳴ったかもし

れないが鳴らなかったかもしれない」的な答え方となろう。だからこのことはあまり信用なら

ないものである。中川氏の近くにいた神父和田誠の話の方が正しいと言うことである。

 
 

バチカン美術館でのトラブル [編集]

G7における「朦朧会見」の直後、中川らはバチカン美術館を約2時間観光したが、その際

にも中川は美術品に触れる、柵を越えて警報を鳴らす、彫像・ラオコーン像の台座に座る

などの不適切な行動をとっていたことが報じられた。

これを受けて中川の事務所は、「体調が悪く、入ってはいけない区域に入ってしまい、警報

が鳴ったのは事実」と発表した[113]一方、中川自身は 「非常に事実と違う」「(博物館を)

案内してもらい、つつがなく終わったと思っていたらあの報道。(バチカン側も)全く警報機

も鳴っていないし、私に注意もしていないとお怒りになっている」と報道内容を否定した

[114][出典無効]。通訳として中川に同行していた神父和田誠は中川の最も近くにいた

が、報道にあったような非常識な行為を見た記憶はないという。和田によると、中川から

酒のにおいはせず(和田は酒が苦手なため、匂いには敏感であると述べている)、中川の

言葉は非常にはっきりとしており、中川が立ち入り禁止エリアに足を踏み入れることは無

く、中川が触ってはいけない展示品を素手で触る場面も無く、中川は博物館の説明に非常

に熱心に耳を傾けており、ラオコーン像の周囲には柵は設置されていなかったとした。

和田は、日本のマスコミに対して「中川の行動に非常識な点は無かった。あれは間違

いであると繰り返し抗議したが徹底的に無視された
」と主張した[115]。

その後の日本政府による答弁書は、中川が同美術館で立ち入り禁止区域に入り、警報が

鳴ったとしている[116]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E6%98%AD%E4%B8%80#.E4.B8.AD.E5.B7.9D.E7.A7.80.E7.9B.B4.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

 
 
中川本人はそんなことをしたという記憶も記録もないので、かなり当惑したはずだ。だから

あの朦朧会見を演出させたのである。中川も帰国してから初めて朦朧会見を知ったような

ので、よほどうまい具合に効く様な催眠剤なのであろう。普通の催眠剤であったならあのよ

うに意識が残っている筈はないでしょう。記者会見もある程度はまともに出来ていたわけで

あるから。


だからそれなりの専門機関から調達された催眠剤なのでしょう。それにしても中川のあ

のような状態を見れば、財務省の取り巻き連中が、記者会見なんぞはさせない筈

ある。それを平然とさせていたと言うことは確信犯なのでしょう。

(続く)