支那事変の真相(2)

(2007.7.4の「日中戦争中国共産党が惹き起こしたものだ。」からの続きである。)

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2007-07-12 01:32:10

かくして(1937年)9月2日、日中の戦争は一括して「支那事変」と改称された。

日本は事態の不拡大方針をとり、平和交渉を求め続けていたものの、不本意ながら

泥沼の戦争に引きずり込まれて行ったのである。


5.コミンテルン中共軍の拡大戦術。


1937年9月23日、中共は再び国共合作を成立させた。中共の底意は日支の戦争を利用

して己の勢力拡大を図ることであり、いわゆる抗日戦は国民党軍に押し付け、その間に党

勢拡大に努め、やがては国民党を圧倒して支那の政権を奪取することであった。

汪精衛(汪兆銘)はこのコミンテルン中共戦術の危険を見抜いていた。そのため「反共

和平」の意思を持って日本側と最初に接触したのである。この汪精衛工作は日華の戦争

を拡大長期化して支那の赤化を目論むコミンテルンの謀略を封殺する為の反共工作で

あった。この工作はコミンテルンの戦術に対して東亜の反共和平を確立せんとする真剣な

和平工作であった。しかしこれは成功しなかった。誠に残念なことであった。

支那事変の責任は、戦争により国内を混乱に落し入れついに革命の目的を達せんとする

親ソ派日本軍人の仕業とする向きもあるが、それは間違いであくまでもコミンテルン中共

にあると見るのが妥当である。日本が支那事変に深入りすることは極東ソ連の安全上スタ

ーリンの歓迎するところであり、蒋介石軍にはつねにコミンテルンから派遣された軍事顧

問団がいた。


6.日本からの「謝罪・反省」は全く必要なし。


日中戦争支那事変は、日本の軍部の暴走がもたらしたものとの見方があるが、それはあ

まりにも一方的な偏見と独断である。日本の支那事変以前の対中国政策は、元は幣原外

交に代表される不干渉の宥和政策である。しかし中国排日・侮日運動はかえってそれ

によって助長され、更に激しくなってゆく。
度重なる日本人居留民への暴行・虐殺事件

見ればわかるであろう。


コミンテルン
中国共産党が、嫌がる日本軍に無理やり始めさせたのが支那事変

のである。
従って、日本がなぜ「謝罪と反省」をしなければならないのか、全く理解できな

い。日本は一切、謝罪も反省もするべきではない。するべきは胡錦濤温家宝なのである。

7.日中戦争は防共の戦いである。

日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府(汪精衛)、アメリカが支援する重

慶政府(蒋介石)、ソ連が支援する延安政府(毛沢東)の三つ巴の内戦の様相を示してい

た。その中で日本は南京だけでなく、重慶に対しても、内戦の早期終結と、「共同防共」と

の希望を捨てなかった。


日中戦争の本質を客観的に言うならば、中国内戦に対する日本の人道的、道義的介入だ

ったと言うことが出来るだろう。


だがそれに対してスターリンコミンテルンは、何としてでも日中戦争の長期化で国民党と

日本を弱体化させ、共産党の拡大と日本のソ連攻撃の阻止を行い、中国で、そしてうまく

いけば日本でも共産政権を樹立させようと狙っていたのだ


マッカーサー朝鮮戦争を経て、日本が中国で戦っていたのは侵略でなく防共の戦いだっ

たと悟った話は有名である。


8.靖国問題国家の品格


アメリカのハドソン研究所主席研究員の日高義樹氏は、2006年6月2日付けの夕刊フ

ジで、次のように述べている。


ホワイトハウスの)みんなが心配しているのは、日本の次の首相が中国の要求を

受け入れて靖国)参拝をやめるようなことがあれば、アジアでは誰も日本を信用しな

くなる
。それだけではない。日本を屈服させたというのでますます中国を恐れるように

なる。


更に、

「世界の人々は、中国がなりふり構わずゴリ押しして日本の首相に参拝をやめさせるかど

うかをじっと見ている。小泉首相やその後継者が中国の言いなりになれば日本の権威

は一挙に地に落ちる
ことは間違いない。」とも言っている。


いやおうもなく、靖国問題国家の品格と日本人の尊厳を国際的に問う試金石になってし

まっている。


1979年から1985年までの6年間,大平、鈴木、中曽根と3代の首相が春、秋、終戦記

念日と繰り返し参拝しているにもかかわらず、中国は全く無反応だった。

即ち、首相の靖国参拝で中国人の心は傷つかなかったし、今も傷ついていない。

対日外交のカードとして効果があると思って使っているに過ぎない。


歴史問題は始終強調しなくてはならず、永遠に話さなくてはならない。

とは、

江沢民が1998年、対日政策の基本方針として述べたものである。2006年8月10日に

売り出された「江沢民文選」に書かれている。チンコロ中国は永遠に日本と和解する気が

ない国である。

(続く)

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2007-07-17 17:15:33

9.安倍首相の靖国参拝

安倍首相は、昨年(2006年)の9/1の記者会見で「国のために戦った人に尊崇の念を表

すると言う思いは持ち続けてゆきたい。行くか行かないかを外国から指図されるものであっ

てはならない。」と強調。


又、その著書(美しい国へ)で「戦う政治家とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあ

れば、批判を恐れず行動する政治家のことである。初当選して以来、私は、つねに戦う政

治家
でありたい
と願っている。」

と言っている。


中国が靖国外交カードとして使ってきている以上、日本もこれを外交問題として正面か

ら打ち返し、カードを無意味にしてしまう
必要がある。


それには、


歴代首相は断固として靖国神社継続して参拝し続ける我慢較べをすること。

 そして

国連や国際会議などあらゆる機会を捉えて、中国の「靖国批判」のまやかしを暴き

小泉時代の「日中首脳会談拒否」や「反日教育反日政策」の幼児性を指摘し続ける

こと。


チンコロ中国は小泉首相靖国参拝を理由に、首脳や閣僚の日中対話を拒否してきた。

中西輝政京大教授は、日中外相会談再会を、中国の靖国批判に屈しなかった小泉外交

の勝利と位置づけ「関係修復の必要性を感じているのは、日本より中国のほうだ」と分

析している。


安倍首相は'07年4月、春季例大祭に「内閣総理大臣 安倍晋三」名で真榊(まさかき)を

奉納し、更に7月13日からの「みたままつり」に、戦没者の御霊を慰める提灯を献納した。


日本の首相が「日本と言う国のために戦った人たちに尊崇の念を表わすこと」は至極当然

のことであり、大いに結構なことである。

しかし、そのためには、直接靖国神社を参拝して、直接尊崇の念を表すことのほうが、

もっともっとふさわしいことではないのか。


安倍首相には是非戦う首相として、適切に判断していただきたい。

米下院外交委員会での従軍慰安婦問題についても、日本国として一致団結して、非難決

議に反対する攻勢をかけるべきであった。民間に任せてばかりでは困る。

国を挙げて
、プロジェクトチームを作り、継続的に反対活動をしてゆくべきである。


ブッシュに単に説明するだけでは、まことに情けない。これでは参院選も負けて当たり前で

はないか。


また、アメリカのリベラル系の常連が「靖国反対」を喧伝してているが、これなど中国の遠

隔操作による宣伝工作の何物でもないのであり、コミンテルンに敗退した過去の歴史に

学び、断固戦って頂きたい。ちなみに現実の米国社会ではリベラル派より保守派がずっと

多い事も知っておく必要がある。


10. 日本国首相としての鎮魂と慰霊


もしある国が自国のために命を捧げた人たちに感謝し、その鎮魂と慰霊をないがしろに

する
ようになれば、必ずその国は滅びる。これは近代国家ならばいずれの国民もよく理解

し承知する理論だ。いま日本人が靖国を否定すれば、日本は崩壊し、その宗教文化は破

壊する。安倍首相はそのことを条理を尽くしてじゅんじゅんと国際世論に呼びかけて欲しい。


中国が、そのために日本を非難しようが、脅かそうが、首脳会談を拒否しようがよいではな

いか。われわれは靖国神社参拝する首相を最後まで支えてゆく心算である。

(以上で引用終り)

 
 
さて以上で「支那事変」、いわゆる日中戦争と言われるものの概要は、お判り頂いたこと

と思う。それにしてもこの「日中戦争中国共産党が惹き起こしたものだ。」は、2013年

安部晋三政権への言葉としても通用するのではないか。


さて支那事変の概要を頭に入れたところで、今一度「山口那津男」の言動に戻ってみたい。

(続く)