支那事変の真相(16)

(1)中共コミンテルンに迫害された日本人

この危惧は1937.7.29通州事件として起こってしまう。北京の東、通州にて日本居留民

が260名が暴行を受け虐殺された。残りの居留民約120名は暴行を受け負傷した。居留民

全380名全員が死傷したのだった。

http://poseidon.blog.ocn.ne.jp/blog/2007/05/を参照のこと)


しかも共産軍は、このとき第十九路軍を上海に派遣し、上海共同租界各国英米日伊、

)に攻撃を仕掛けてきたのだ。共産軍の主攻撃先は日本居留地だった。日本を中国の内

戦に引っ張り込み、蒋介石の国民党軍と戦わせて、その陰で共産党軍は力を培(つちか)

い、蒋介石の力を殺(そ)ぎ中国に共産革命をもたらし、中国を共産党国家にするためであ

った。


当ブログの最初に引用した小生が'07.7.4~17に載せた「日中戦争中国共産党が引き起

こしたものだ。(1~3)」は、そのことを述べている。


そのため事あるごとに日本居留地を襲ってきたのだった。それが先に述べた南京事件

(1927年)
済南事件(1928年であり、第1次、第2次上海事変であり、1937.7.29にはあ

の有名な通州事件を引き起こしている。これらはすべて
中国共産党が引き起こしたもので

ある。国民党軍の中にはコミンテルンの意を受けた共産党員が数多く巣食っており、彼らが

コミンテルンの指令を受けて日本軍や日本居留地を攻撃してきたのである。張治中などは

その中心人物で、筆頭格であった。北京でも満州でも共産党員が暗躍していた。特に満州

ではソ連経営の東清鉄道が営業を続けており、その組織が共産党工作員の隠れ蓑となっ

ていた。(「第2次上海事変」は当ブログ'12.5.28~6.9を参照のこと)


だからマッカーサーが、「日本が中国で戦っていたのは侵略でなく防共の戦いだった」と語

った話は有名である。(当ブログ'13.2.4のNO.2参照のこと)


日本
の中国における防共の戦いを、太平洋にまで引っ張り出してコミンテルンに力を貸し

たのは、アメリカであった。当時のアメリカのルーズベルトトルーマンは、世界における

コミンテルンの動きが全くわかっていなかったのである。安倍首相は、このことをしっかりと

あのバラク・フセインオバマ大統領に理解させることが必要である。

(2)偏向しているリットン報告

さてリットン調査団報告は、このような事情を正しく報告していたであろうか。


満州国建国に異議を唱える中華民国は、これを国際連盟に提訴した。日本も満州の事情

を正しく世界に報道してもらうべく、調査を要請した。


2013.2.19のNO.12でも言及してあるが、1932.10.2の「
国際連盟日支紛争調査委員会

告書
」は次のような構成となっている。これはWikipediaを参照した解説である。


序説 委員会設置及び他の過程

第1章 中国混乱の概略。清の没落から国民党結成、共産党の跳梁の説明

第2章 満州国の説明。中国の満州への無関心と日本による満州の発展、張作霖・張学良

に関すること

第3章 日本の満州における権利、鉄道、商租権その他緒争点、事変勃発前数年間の重

要問題(日本人への迫害・虐殺)解説

第4章 9.18の柳条湖事件は日本軍の計画的行動で、張学良側には攻撃計画はなかっ

た。従って当夜の日本軍の行動は正当防衛ではない。しかし日本軍将校は自衛のためと

考えて行動したのであろう。

第5章 第一次上海事変の概略

第6章 満州国の独立は、自発的な独立とは言い難く、在満中国人はこれを支持してい

ない。しかし満州にとってはかなりのメリットはある。

第7章 支那ボイコット運動は不法であり

第8章 満州の経済的価値を述べ、満州発展には日中の親善回復が不可欠であり

第9章 諸般の事情を鑑みるに満州国の建国は単なる侵略と呼ばれるべきものではないが、

日本軍は撤退して
中国の主権を認めて、満州の自治を行え

第10章 支那中央政府はある程度満州の自治政府へ口出しできるが、各国からなる諮問

会議を設置して調整する。日本軍は完全に撤退して替わりに日本より顧問を派遣する

 

結論を言えば、次のようになるであろう。

(1)柳条湖事件や日本軍の満州平定は、自衛行為ではない。

(2)満州国の独立は、地元民の自発的な意志によるものではない。

(3)満州における日本の権利は尊重されるべきであり、日中で話し合え。居留民の安全は

他国の手に委ねて、方法はその都度見直せばよい。



簡単に言ってしまえば、

「日本軍の行動は自衛とはいい難く、満州国の独立も自発的なものではない。しかし事変

前の状態に戻るもの現実的ではない。(だから満州は日中ではなく、欧米の任せなさい)」

と言った(どちらかと言うと)中華民国側寄り列強寄りの内容であった。
(続く)