尖閣諸島問題その3(8)

第2回パラダイム・シフトは、満州事変以降の「大陸進出」パラダイムである、と言う。この

大陸への進出は、後発の帝国主義国であった日本が「
帝國主義的侵略の大先輩」である

アメリカイギリス勢力圏拡大を真似しただけであった。ここで言う帝国主義

Wikipediaによれば「領土や資源の獲得を目指して自国の勢力を拡大するために、軍事

力などを背景に他国や他地域に押しいることを進める思想や政策」と言うのであるが、この

大陸進出(満州からの拡大)は次の理由で失敗だったと言う。

 

ひとつは、行為自体は列強諸国のやり方を真似しただけであったが、コストが掛かりすぎ

て日本の手に負えないことであったと言う。日本の中国への進出はそれなりに条約に基づ

いた物ではあったが(
日本は侵略国家ではありません。」第1節の解説)、それをやり切る

体力と外交的賢さがあれば成功したのであるが、そのパワーが不足していた。大陸での

長期間の戦闘は、軍事コスト、外交コスト、経済コストが過大で、利益の少ない政策であっ

た。さらには戦域の拡大は、
中国だけでなく米ソ両国も敵にまわしてしまうという結果となっ

てしまった、と言っている。このことは、バランス・オブ・パワーの計算から見て明らかな失敗

あった。更に地政学的にも、日本は米中露と言う三覇権国に包囲されていると言う非常に

不利な立場に、現在もある。このことがアメリカをして、東京裁判でごり押しをしてでも、日本

を悪者に仕立て上げる原因ともなったのである。

 

外交における第3回目パラダイム・シフトは、強制的に押し付けられたパラダイム・シフト

である。ここで伊藤 貫氏は、次へのように述べている。



米政府は1942年(昭和17年から「戦後の日本を、2度と独立した外交政策が実行でき

ない国にする。日本から、永久に自主防衛能力を剥奪しておく」と決めていた(★)。

アメリカが敗戦国日本に押し付けてきた平和憲法東京裁判史観は、「日本から、永久

に自主防衛能力を剥奪しておくと言う目的のため設定された政策である。1947年(昭和

22年)の国務省の内部文書には、「日本が独立国としての運命を歩むことを許さない。

日本をアメリカの衛生国として機能させると記述されている。つまり「形式的には日本に独

立を回復させた後も、自主防衛能力を剥奪された属領にしておく」ことが、米政府の真意で

あった。

日本は1952年(昭和27年)に「独立」を回復したが、当時、
ダレス国務長官は「対日講和

条約は、アメリカの日本占領が継続することを意味するとイギリス政府高官に説明して

いる。米政府は日本を独立国として扱うつもりはなかったし、日本政府が真の独立を回復し

ようとする動きを許容するつもりも無かったのである。

(★)Michael Sherry, “Preparing for the Next War”, Yale University Press

 

 

 

1951年9月8日、サンフランシスコ対日講和条約が調印され、日本は独立国となった。

そして10月18日、吉田茂首相は閣僚等をつれて靖国神社に参拝している(「
映画「靖国

に物申す'08.8.22の第3節)。しかし吉田は、後に言われだした「吉田ドクトリン」の「日本

の復興を優先して
経済重視、国防は二の次と言う経済中心の商人国家の道」を歩ませて

しまった。必ずしも吉田の本意では無かったかもしれないが、この吉田ドクトリンと呼ばれた

奇形の国家観に従って、アメリカに
自主防衛能力を剥奪された状態を当然のこととして経

済成長だけを優先させる国家観を信奉する政治家ばかりが、日本の首相になってしまっ

た。今からだから言えるのかもしれないが、経済と国防は半々、もしくは少しでも国防重視

の国づくりを進めるべきであったし、現在も進めるべきであると思う。

 

「米中朝露・四核武装国に包囲され、中国の軍事予算は4年ごとに倍増しているにも関わ

らず、自主防衛能力を剥奪された状態を不思議とも思わず
カネ儲けだけを国家の大事と考

えている。」「日本は自主防衛しなくてよい。アメリカの保護に依存していれば良い。」と言う


安易な国家観が定着している、この状態をもたらしたものは元はといえば「吉田ドクトリン」

なのである。吉田は日本が独立した時に、靖国神社に参拝しすばやく憲法も改正すべきで

あった。それができた筈でありその意志もあったと思うのであるが、それをしなかった事で


吉田は日本に最大の禍根を残したのである。その意味で彼は最悪の謀反人といわれて

も、致し方ない。

 

櫻井よしこ氏「週刊新潮'08.10.2日号によれば、次の通り。)

であれば、麻生氏は、経済再建、社会保障などとともに、少なくとも、集団的自衛権の行使

を可能にする道を切り拓き、日本国の安全保障体制をまともな民主主義国の体制に近づけ

ることを使命として打ち出すのが良い。

http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2008/10/02/%e3%80%8c%e6%94%bf%e6%b2%bb%e3%81%af%e5%9b%bd%e6%b0%91%e3%81%ae%e5%bf%83%e3%81%ae%e7%b3%a7%e3%81%ab%e3%81%aa%e3%82%8c%e3%82%8b%e3%81%8b%e3%80%8d/#trackbacks

 

    
(2)新たなパラダイム・シフトを、「日本は生き残れるか」
 

   
 

 

しからば日本再生の「パラダイム・シフト」は何か。

 

現在の国際構造は、米ソ二極構造からソ連崩壊を経てアメリカ一極構造となり、今は多極

構造へと変化している、と言う。即ち21世紀の国際政治は、米欧露中印による五極構造に

移行しつつあると言う。この五極はいずれも
を持っている。これに日本を加えて六極構造

とするためには、
日本が自主的な核抑止力を構築して自主防衛すれば、日本はサバイバル

出来て、国際政治は六極構造となる。

 

しかし日本が今後も米政府からの圧力に屈服し続けて自主防衛能力を持たないならば、

日本2020年代に中国の勢力圏に呑み込まれてしまう可能性が強い、と述べられて

いる。その場合には、世界は五極構造であり、世界地図から日本国と言う独立国は消滅し

て大和族自治区の文字が載ることとなる。
日本がサバイバルできるか否かは、日本人の

知性決断に掛かっている、と言っている。

 

最高学府で学んでいても「日本は核武装すべきだという論理を主張して、近隣諸国と付き合

うことが可能だと考えてるとしたら、あまりに世間知らずだ。」などと戯言(たわごと)を唱え

る馬鹿がいるのも確かだか、こんな戯言に耳を傾けていたら日本は早々に滅ぼされてしまう。

 

そして伊藤 貫氏は次のように言っている。

 

この「日本が自主防衛すべきか否か」と言う問題は、日本人が国際政治学の主流派である

リアリスト学派のパラダイムを受け入れるか否か、と言う点に懸かっている。

 

リアリスト学派のパラダイムと言うことで、政治学の学説を言っているのではない。国際政

治の中での一般的なあり方を言っているのであり、国際政治での考え方を言っているので

ある。即ち国際政治の中で、国家が生存してゆけるかどうか、と言うことであり、
生存してゆ

くためにはどんな考え方をしなければならないか、と言うことなのである。

 

国家として生き延びてゆくために、「自分の国をどのようにして守ってゆくか」と言う大問題

を検討することが、国際政治学なのであると小生は理解するのである。

 

日本の生存を確保するために、「日本は自主防衛をする、自主的に核抑止力を持つ」と考

えてそれを実行することが大切なのである。

 

現在のチベットウイグルを見ていただきたい。19~20世紀のポーランド然り、ポーランド

は1918年に独立したが第2次世界大戦ではドイツとソ連に侵略されて国土が分割されて

しまった。戦後の1952年に国家主権を回復したが、冷戦時代にはソ連に蹂躙された歴史

をもつ。ソ連の崩壊を受け、1989年に民主化を果たし共和国となる。自主防衛力を持たな

い国ほど悲惨な目にあう。既にチベットウイグルと言う国は、中国に滅ぼされてしまって

いる。それらの国では漢民族は好き勝手なことをやっていると言う。国が滅びると言うこと

は、まことに惨めなことなのである。
(現在ではチベットやウィグルでは、同国の若い女性達は強制的に

中国圏へ移住させられて、漢民族の男性と結婚させられていると言う。いわゆる民族抹殺を実行されている

のだ。2013.5.31記入)

 

日本が生き延びるために、このこと、即ち、「日本が自主防衛をする」、「そのために核を

持つ」、「そして同盟関係を多角化する」と言う政策が必要だ、と言う考え方(パラダイム)が

必要なのである。このようにきちんとした外交パラダイムを構築しないことには、国際政治

の権力闘争(パワー・ストラグル)に負けてしまう。覇権主義国(戦勝国)から無力化パラダ

イムを何時までも押し付けられていれば、ポーランドチベットウイグルと同じ運命をたど

ることとなってしまう。

 

「日本はミニマム・ディフェンス(必要最小限の自主的核抑止力)をもつべきだ。日米同盟を

維持しつつ米国に対する依存度を低減し、
同盟関係を多角化すべきだ」と言うパラダイム

へシフトしなければならない、と言っている。将にその通りである。

 

以下日本の自主核と同盟の多角化が如何に必要か、の理由を述べる。
(続く)