尖閣諸島問題その3(10)

3.三つ目のポイント

国が生き残ってゆくためには、当然のことながら「自分の国は自分で守る」と言うことにな

る。これが三つ目のポイントだ。

 


条約や同盟関係は、当てにならない。国家の意図は、何時変わるか予測できない」ので

ある。「永続する同盟関係など存在しないし、永続する敵対関係も存在しない。永続するのは

自国の国益だけだ」とは、19世紀のイギリス首相のパーマストンの言葉。自国の国益に都

合が悪くなれば同盟関係は破棄されたり、形骸化・空洞化したりする。これは当たり前のこ

とである、とこの筆者は結論付けている。

 


ここに一つのサンプルを提示しよう。

 


日本は、1941年(昭和16年)4月13日に、ソ連との間で「日ソ中立条約」を締結した。

相互不可侵及び他国から攻められた場合にはお互いに守りあい、更に満州国とモンゴル

人民共和国の領土の保全と相互不可侵を定めた物である。有効期間は5年であり、廃棄す

る場合には満了1年まえに通告することになっている。

 


そのソ連は、1945年8月8日の深夜、「日ソ中立条約」の破棄を宣言し、8月9日午前零時

をもって突如 満州国及び南樺太千島列島奇襲攻撃を開始した。日本大使館から日本

への電話回線はすべてソ連政府により切断されていた。日ソ中立条約は当然有効であっ

た。ソ連は「屁理屈」をつけて踏みにじったのである。1945年2月のヤルタ会談(ルーズベ

ルト、チャーチルスターリンによる首脳会談)での密約を楯に、満州南樺太千島列島

占領するために侵攻したのである。このため多数の中国残留孤児問題、60万人の不法な

シベリア抑留問題と10万人近くの過酷死の発生、北方領土問題が発生したのである。

 


この一件を見ても、如何に条約や同盟関係が当てにならないか、と言うことがわかるであ

ろう。現在の日本国の基本中の基本である「日米同盟」も、いつまでも効力を発揮する物で

もないことを認識すべきである。現に北朝鮮に対しては、日本の要求に逆らってまで、
アメリ

カはテロ支援国家指定を解除
しているではないか。それよりも、アメリカは「北朝鮮の核武

装をきっかけとして日本が核を持つことを、どうしたら阻止できるか」と言う点に努力を集中

していたのである。慌てて日本に飛んできた「コンドリーザ・ライス」の血走った顔が思い浮

かぶ。アメリカが北朝鮮に妥協的な態度を取り続けるなら、日本は核武装論に傾くかもしれ

ないと、当時の麻生外相はライス米国務長官に内々示唆したと見られている。それにライ

スは驚愕して慌てて日本に飛んできたのである。どうして驚愕したかと言うと、1972年に

当時のニクソン大統領が北京を訪問し、周恩来との間で日本には核武装させない
とす

る密約
を結んでいたからである。この密約は今でも生きており、日本が核武装論に傾けば

米中間に亀裂が生じて六カ国協議は瓦解する。だからライス長官は血相を変えたのであ

る。これは、正論(2009)1月号日下公人の文章に書かれているものである。だからアメ

リカは日本を中国に売り渡すかもしれないのである。

 

条約や同盟関係は、当てにならない。国家の意図は、何時変わるか予測できないと、

前述したが、もう一つその良い例がある。前章の【6】の(4)「ケサン」の地名のところ

で、1972年に開始されたハノイなどへの北爆による脅威にさらされた北ベトナムはやむな

くアメリカと停戦協定を締結する。1973年1月27日に結ばれたパリ和平協定である。

これにより南北ベトナム間に停戦が成立したのであるが、1975年3月10日北ベトナム

パリ協定に違反してベトナムに大攻勢をかけて、ベトナムを併合してしまう。この協定

違反に対しても国際社会は何も言わなかったし、言えなかった。強い軍事力持つ国が結

局は生き残ったのである。紙に書かれた約束なんぞは国益の前では、
反故同然なので

ある。

 


4.
四つ目のポイントの前に

 

今まで述べた三つのポイント(国際政治での注意点)を考察すれば、「永遠に信頼できる同

盟関係など存在しない。自国のサバイバルは、自分達で確保し、保障するしかない。
」と

言うことがお分かり頂けたことでしょう。これに反して、リアリスト外交を実践し最強の核装備

を有して自国及び自由陣営を守ろうとしているアメリカは、
日本から自主防衛の権利を剥

奪しておきたい
のである。アメリカのこの日本に対する植民地政策は、一体全体どこからど

んな理由で出てきたのであろうか。欧米諸国以外では、言ってみれば有色人種のチビッ子

の日本人が唯一の近代化を達成したが、その結果アメリカは日本と東アジアで衝突するこ

ととなる。「
よくもこの偉大なアメリカの思いを踏みにじってくれたな、邪教を信ずるような異

教徒のジャップには、一人前の顔をさせるものか。
」と言ったアメリカの有色人種日本人

に対する蔑(さげす)み感情から出て来たとしか思えないのである。

 


その証拠に、アメリカのウッドロー・ウイルソン大統領は本人提案の「国際連盟」規約委員

会の議長を務めていたが、日本はその規約に「人種差別撤廃条項」を加えるように提案し

たのであるが、議長を務めるウイルソンは全会一致を理由にそれまでの多数決の原則を

無視して本提案を葬り去ってしまったのである。この議決は、出席者16名中11名の賛成

多数を得たものであった。しかもウイルソンは挙句の果てには、その議長役も放り出して帰

国してしまったのである。そして自ら提唱した「国際連盟」にも参加しなかったのである。

1919年(大正8年)2月13日のことである。(前回のブログ「
日本は侵略国家ではありま

せん。
'08.12.19~での「田母神論文」の第11節の解説でも述べているので、そちらも参照

願いたい。
http://poseidon.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/12/ の12/28分を参照のこと。

 


時代は下がるが、1941年(昭和16年)8月14日フランクリン・ルーズベルト米大統領と

ウィンストン・チャーチル英首相とは大西洋上で会談し、「大西洋憲章」と言う共同宣言を発

表した。

 


その内容は次の通りの物であったが、

 

 1.領土不拡大

 

2.政治形態選択の自由

 

3.公海の自由

 

4.武力行使の放棄

 

5.侵略国の武装解除

 


と言った一見するとすばらしい物であるが、その実、欧米列強の植民地制度を前提とし

た中での原則であって、有色人種には適用しない物であった。

 


例えば、

 

第3項では、「米英は、、主権や自治を奪った者に対しては主権や自治を返還することを希

望する」と言っているが、チャーチルインド主権は「大英帝国が有している。」と議会で

も答弁してインド人には主権を返還する必要が無いと言っているし、

 


第2項では、「米英は、関係国民の自由意思と一致しない領土変更は行わない。」と領土の

現状維持をうたっているものの、関係国民とは欧米列強を言っているのであり、有色人種

には適用されないのである。

 

要するに、この「太西洋憲章」は、あくまでも欧米列強(白人国家)にのみ適用され、有色

人種(日本など)には適用外で、欧米列強が有する植民地は絶対に手放さない、
有色人種

には独立は絶対に許さない白人国家支配下に置く
と言っているのである。

 


この「大西洋憲章」の4ヶ月後に「大東亜戦争」が始るのであるが、この戦いは白人から

東亜の植民地を開放する戦いであった。即ち、「白人対有色人種の戦」と言う意味合い

を持っていたのである、と言うよりも、「白人有色人種の戦いそのものであった。

 


この「大西洋憲章」の考えをべースにアメリカは、戦後の日本を、2度と独立した外交政

策が実行できない国にする。日本から、永久に自主防衛能力を剥奪しておく
と言うことを

決めていたのである。アメリカは日本のおかげで、中国に利権を獲得できなかったことを、

いかに無念と思っていたことか、このことでよくわかるのである。アメリカの潜在意識の中

には、「大西洋憲章」が色濃く残っていたのであろう。そのこころは、人種差別の温存である

(ジャップの黄色い猿めがと言ったところ)

 


こんな国のアメリカに日本の主権が握られていて、よいものであろうか。やがては中国に売

られてしまう、と言うことが現実味を帯びてくるのである。ただし中国も有色人種である。しか

し中国は核を持っている。アメリカはその核に敬意を表しているのである。インドにも敬意を

表したではないか。紙に書かれた約束をいかに有効なものとするかは、どうも、核武装

必要なのである。これは今までの考察でわかる。果たして四つ目のポイントは何であろうか。

 

日本の信頼する同盟国「アメリカ合衆国」は、果たして、信頼できる国なのか。以上見てきた

ように、米国は大西洋憲章の原則を、今でも堅持している、と推定できる。こんな国を信頼

できる、と言えるものか。否、信頼できない。もともと国際社会は、無政府状態と言ったでは

ないか。

(続く)