尖閣諸島問題その3(21)

ここで言う太平洋に於ける一切の島嶼とは、次に説明するヴェルサイユ条約によって日本

委任統治領となった南洋諸島のことである。


1919年6月28日、ベルサイユ宮殿にて第一次世界大戦講和条約が、連合国とドイツによ

って調印された。日本は連合国側としてドイツに参戦し、ドイツ領ニューギニアの赤道より

以北の各諸島は日本の委任統治領となった。これが日本名「南洋諸島」のことで、パラオ

のあるマリアナ諸島ミクロネシアと言われるカロリン諸島、そしてビキニ環礁のあるマーシ

ャル諸島
である。この南洋諸島は、大東亜戦争終了後は、即座にアメリカの信託統治領と

なっている。信託統治領となると同時にアメリカは、マーシャル諸島ビキニ環礁ですぐに

2回の原爆実験を行っている。以後十数回、この太平洋地区で核実験を行っている。


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946.7.1、高度158mにて、第4回目の核実験実施。(1回目ニューメキシコ、2・3回目広島

・長崎、第4回目がこのビキニ環礁上空での核実験となる。)

1946.7.25、水深27mにて、第5回目の核実験実施。(第6回目の核実験も予定されてい

たが、放射能汚染がひどかったので、中止となった。)


もちろんこの「南洋諸島」は盗み取ったものではない。れっきとした国際条約であるベルサ

イユ条約により日本の委任統治となったものであり、これまたもちろん尖閣諸島を含む琉

球群島には該当しない。


だから、遠藤誉氏の言う通り、中華民国に返還される一切の島嶼」「一切の領域」の中に、

琉球群島」は含まれてない
のである。


重ねて言う。中国猿園の楊潔チ猿の言う「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」により中国に返還

された地域(満州・台湾・澎湖諸島)には、尖閣琉球も含まれていないのである。


さて話を元に戻そう。

 

 

共産党との戦いを優先した蒋介石


 様々な理由が考えられる。私は、国民党の蒋介石は日本と新たな摩擦を起こすより、毛

沢東が率いる中国共産党を倒すことに全力を注ぎかったかたらではないかと思う。

 ちなみに中国の二つのウェブサイトは、この部分の記述に関して「日本を恐れるあまり、

二度も断る」という小見出しがついている。

 国民党と共産党の間で戦われた「国共内戦」は、第二次世界大戦中も何度か戦われてい

たが、終戦後(特に1946年以降)から激化して1949年10月1日中華人民共和国が誕生

した。惨敗した蒋介石は台湾に逃亡し、亡命政府である「中華民国」を継続、国連にも創立

時から加盟
していた。しかし1971年にはついに国連から脱退している。「中華人民共和国」が

国連に加盟したからである。

 蒋介石は結局、国共内戦に敗れ去る。しかしルーズベルトと秘密会談をした時点では、

日本との揉め事が起こるリスクを避け、全ての力を中国共産党打倒に注ぎたかったのだ

ろう。彼は中国の覇者になることを優先して、明確に「尖閣諸島を含んだ琉球群島=沖縄

県の領有を拒否した
」のだ。

 しかし「カイロ密談」の後、実は蒋介石琉球群島領有を断ったことを、ひどく後悔した

密談後、「果たしてこれで良かったのだろうか」と悩み、王寵恵にこっそり悩みを打ち明けた

というのだ。

 「中国共産党新聞網」と「新華網」の情報の、最も興味深い部分はここにある。

 二つの記事は続ける。以下は、新聞記事の後半部分の紹介である。

王寵惠
琉球の戦略的位置は非常に重要だ。もし軍事的視点から言うならば、われわれに

は必要だ。

蒋介石
:でもそんなことをしたら、将来、日本といがみ合うことになると思う。そうなったら、ど

うするんだ?

王寵惠
:いや、いろんな角度から見て、琉球は歴史上われわれの付属国だ。われわれにく

れるというのは理にかなっている。日本が文句を言うというのは道理が立たない。

蒋介石は王寵惠のこの言葉を聞いて、少し後悔し始めた。)

蒋介石
:もしそう言うんなら、なぜ(あのときに)君はそう言わなかったのかね?

王寵惠
ルーズベルトが最初に琉球をわれわれにくれると言ったときに、あなたは中米が

共同で占拠し、共同で管理しようと言った。私は委員長(蒋介石)の部下として、委員長と意

見を一致させていなければならない立場にある。


 「中国共産党新聞網」と「新華網」はこのように二人の会話を公開し、蒋介石のさらなる秘

密を暴露している。以下、ふたたび記事からの引用である。

 蒋介石はあまりにもったいないことをしてしまったと後悔した。そこで王寵惠にしつこく念を

押した。


蒋介石
:「いいか?ルーズベルト琉球を我々にくれようとしたことは、ほんの少数の人し

か知らない。だから絶対に外部に漏らしてはいけない。もし誰かがこのことに関して尋ね

たら、われわれにはいかなる条約も根拠もなく、理由なんかはないと答えるんだぞ、いいな」

 その後、国民党におけるすべての書類、雑誌および書物に関して、琉球諸島に関連した

問題
に触れるときにはすべて「根拠がない。なぜならカイロ会談では琉球問題は一切取り

上げられなかったのだから
」と書くことが決まった。


 
そして第二次世界大戦後、米国は単独で琉球群島を占領した。


 ここまでが中国共産党と中国政府が持つ、二つのメディアのウェブサイトからの引用で

ある。この記事の最後にある一文は非常に重要だ。

 つまりアメリカが当時の中国(中華民国)に「共同出兵して日本を占領しよう」と申し出た

のに、中国は「出兵に参加しなかった」ということである。「中華民国」の蒋介石主席は自分

が提案した「米中による共同管理」さえ自ら放棄した。なぜなら毛沢東が率いる中国共産党

を倒すことに全力を尽くしていて
、他国の事などに力を注ぐゆとりはなかったからなので

ある。

 カイロ宣言を出す前に蒋介石ルーズベルトの二人だけの間で「会談」があったことは、

一部の関係者や研究者は知っている。ルーズベルトが我々の感覚からすると、あまりに日

本をないがしろにした提案をしたことも、研究論文や書籍に出たことがある。

 しかし、蒋介石が「琉球群島はいらない」と、ルーズベルトのプレゼントを拒否してしまった

ことをひどく後悔し、「この密談はなかったことにしろ」と部下に命じたことまでは、あまり知

られていない。もちろん、中国人の間では何となく囁かれてはいた。だから筆者もそれを追い

かけてきた。

 筆者は、この中国側が正式に公表したに等しい「カイロ密談」の内幕を読み解くことによ

って尖閣問題解決の糸口が見い出せるのではないかと考えている。

 中国は今、「一つの中国」を大原則としている。

 ならば、「中華民国」の主席だった蒋介石が国際舞台で言明したことは引き継ぐべきだろう。

 日本は決して清王朝が弱体化したのをいいことにしてその「ドサクサ」に紛れて尖閣諸島

を掠め取ったのではない。中国の楊外交部長は2012年9月国連総会においてもこの「

め取った
」という言葉を用いて日本を攻撃した。そして冒頭に書いたように「カイロ宣言」で

釣魚島を含む島嶼は日本に占領されたその他の中国領土と共に中国に返還されたと語

った


 しかし事実は全く逆だった。

 1943年11月、カイロ密談が行われていたとき、中国(当時の「中華民国」)は権力の絶頂

期にあった。世界の三大強国として米英とともにカイロに集まったほどなのだ。

 もし中国がこのとき「尖閣諸島=釣魚島」に関心を持ち、それを「欲しい」と言えば、

100%、ルーズベルトはそれを承認したはずだ。それどころかルーズベルトが「琉球全体を

中国にあげるよ
」と言っているのに、中国が「いらない」と言ったのである。

 また「カイロ宣言」にある「一切の島嶼」の中に琉球群島(沖縄県)が入っていない根拠

を、中国にっとって最も権威ある「中国共産党新聞網」と「新華網」に載せているのだから、

現在の中国政府が認めたということになる。

(続く)