尖閣諸島問題その3(23)

中国国盗り物語~9つの椅子の行方を追う        日経ビジネスONLINE
「人民日報」が断言していた「尖閣諸島は日本のもの」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130219/243926/?mlp&rt=nocnt

2013年2月22日(金)  遠藤 誉

 前回の記事では、「中華民国」国民政府の主席である蒋介石が、かつて尖閣諸島の領有

を放棄した事実と、それを中国共産党が自らのメディアで公開していることをお知らせした。

 これに関して、「そんなことをいっても、現在の中国(中華人民共和国)は、『あれは中華民

国の主席が言ったことであって、中国とは関係ない』と言われるのがオチだ」という主旨のコ

メントをいただいた。


まずちょっとだけ解説を


 この点に関して少しだけ説明をさせていただきたい。

 中国は「一つの中国」を大前提として1971年国連に加盟した。日本やアメリカ合衆国

国交正常化をするときにも必ず「一つの中国」を条件とした。「一つの中国」とは主として「

湾を中国の不可分の領土
」とする立場を意味し、「中華人民共和国」を唯一の「中国」を代

表する国家である、とする言葉だ。


 その根拠に関して、2004年3月14日温家宝首相全人代(中国の国会に相当)の後、

次のように述べている。

中国が台湾に対して有している主権は、「カイロ宣言」および「ポツダム宣言」において

確に規定されている


 カイロ宣言ポツダム宣言で中国を代表する立場にあったのは、蒋介石である。


 つまり中国は、かつての「中華民国」の主席(のちに総統)であった蒋介石が発言した「カ

イロ宣言」を基軸として領土問題を主張
しているのである。だからこそ、2012年9月27日

中国の楊外交部長もまた尖閣諸島(釣魚島)の領有権を主張する際に、このカイロ宣言

と「ポツダム宣言」に根拠を置いた


 この基礎知識を共有していないと、「カイロ密談」の舞台裏を発掘した意義はご理解いた

だけないだろう。ご迷惑をおかけした。


 気になったのは「何を言ったところで、中国はなんだかんだととぼけたり難癖を付けてまと

もに対応しないだろう」という声の意外な多さだ。「無益な論争に巻き込まれるのはムダだ」

という態度は理解できないではないが、しかしそれなら私たちに何ができるだろう。ただ

力衝突
を待つのか、それとも日本の軍備を強化するのか。いずれにしても行きつく先は戦

争か日本の敗北だ。それを招かないようにして次世代を守っていくために努力するのは、

筆者は無駄なことではないと思う。


 気楽な読み物としてはしんどい、ということならばお詫びするしかないが、私も、そして多く

の読者の方々も、真剣に日本を守りたいと思ってこのページをご覧いただいていると私は信

じたい。そのためにも、疑問にはできる限りお答えしていくつもりだ。


 コメントの中には「カイロ密談」の信憑性を疑うものもあった。これに関しては次回の記事

で、アメリカ公文書館にあった議事録をご紹介することを予告しておこう。


 さらに「カイロ密談」において琉球群島(=沖縄県)を論じる時に「尖閣諸島」が「台湾の所

属か
」それとも「沖縄に帰属するのか」が問題となるというご意見もあるだろう。
Book01

『チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車』

 「尖閣諸島沖縄県に所属し、沖縄県は日本の領土である」ことに関して、「カイロ密談

時」では微塵も疑問がもたれなかった。日清戦争講和条約である下関条約の時にも

尖閣」も「琉球(沖縄)」も、台湾に属する可能性については一切言及されていない。その

議事録を発掘し、それを拙著『チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車』で資料付きで

説明している(p.158)。疑問を抱かれる方は、そちらをご覧いただきたい。



現在につながる中国政府はどう発言してきたか?


 さて、国民党政府が領有を否定したという事実は事実として、では1949年10月1日に誕生

した中華人民共和国(以下、中国とのみ表記)は、「尖閣諸島」を含んだ「琉球群島」を、ど

のように位置付けていたのか。今回はこれがテーマだ。


 結論を先に述べる。

 中国は「尖閣諸島」を中国流の「釣魚島」と呼ばずに日本流に「尖閣諸島」と呼称し、か

つ「琉球群島(沖縄県)に帰属する」と定義している。また琉球群島に関して「いかなる国際

協定も琉球群島が日本から脱離すると言ったことはない」(日本に帰属することを否定した

ことはない)とさえ言っている。これはつまり「尖閣諸島は中国のものではない」と中国政府

が断言していた
ことを証明するものである。


 この発言は、中国共産党の機関紙である「人民日報」が何度も載せている。また「人民

日報」だけでなく、毛沢東自身も明確に沖縄県は日本の領土」と言明し、そのときに「尖

閣諸島」を除外していない
。その記録も含めてご紹介する。


【典拠1】1953年1月8日付け「人民日報」


 「人民日報」には昔から「資料」という欄があった。一般の記事や社説とは別に、あまり社

会現象を知らない人や、何かしらの話題となっているトピックスに関して、別枠で解説する

「親切欄」だ。


 1953年1月8日付の「資料」欄には「アメリカの占領に反対する琉球群島人民の闘争」と言

うタイトルの解説が載った。

Ph01_s

『チャイナ・ギャップ』p.131の資料5より   

 

 この「資料」欄の最初の部分には以下のようなことが書いてある。

琉球群島は我が国・台湾東北と日本の九州西南の海面上に散在しており、
尖閣諸島

先島諸島大東諸島沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隅諸島等を含む、七組の島嶼


(とうしょ)から成る。


 このように定義した上で、「アメリカ帝国主義の占領に対して琉球人民が抗議し闘争して

いる」ことを紹介している。そして「琉球人民よ、頑張れ!」と「エール」を送っている。

 中国流の呼称である「釣魚島」を使わず日本的呼称の「尖閣諸島」を用いて表現し、か

つ「尖閣諸島」を「琉球群島」の領土として定義しているのである。


 これは「
尖閣は日本の領土と認めているということだ。


 事情に詳しくない人たちのために解説してあげる「資料欄」に書いてあるのだから、論説

委員たちの総意を反映しているはずである。なんと言っても中国共産党の機関紙なのだ

から。


 いま中国では、「これは単なる資料であって、中国政府の見解を示したものではない」とい

う弁明が数多く聞かれる。中国のネット空間には「日本はいよいよ日本の領土であると主張

する根拠が無くなったので、ついには藁(わら)をもつかむような気持ちで古い『人民日報』

の揚げ足を取り始めた」という書き込みもある。

 しかし、この「資料」が、どれほど当時の社会状況を如実に反映したものであるかは、これ

も拙著『チャイナ・ギャップ』で詳述した。私はそのとき天津の小学校にいたので、授業で教

わり、また毎日歌わされた歌が、覆せない事実として残っている。その頃の歌集(1952年5

月出版)を日本に持ち帰っており、それも資料として拙著に貼り付けてある(p.133)。


 概略を述べると、要は
1950年6月25日から始まった朝鮮戦争によりアメリカが対中包囲網

を形成した。これに反発して「アメリカ帝国主義憎し」の雰囲気が中国全土を覆い、「アメリ

帝国主義を打倒せよ!
」というスローガンが叫ばれた。その勢いが高じて出されたのが、

この解説欄の記事だ。中国社会の実像を反映していると筆者は確信している。

(続く)