尖閣諸島問題その3(50)

しかし、わずかな可能性として、

尖閣諸島は地理的に台湾の附属島嶼であり、台湾が清代に中国領土となったときに、い

わば自動的に尖閣諸島も中国領土となった」と言うことも、確認する必要がある、と言って

それを検証して「そんな事実はない」と結論づけている。


台湾の付属島嶼であった事実はない」として、この論も成り立たない、と次のように論破し

ている。


先ずその前に台湾の帰属がどうなったか、を調べたい。

皆さんは、宮古島島民遭難事件はご存知のことと思う。台湾出兵とも牡丹社事件とも言わ

れている事件である。


先ずは下記の2008.11.20の小生のブロク「ヨーロッパと日本(29)」の次の一文を参照願う

 

1874年5月6日(明治7年台湾へ軍事出兵する。さて3年前の1871年(明治4年

10月
琉球の御用船が台風で難破し、台湾南部に漂着した。乗員69名(内3名溺死)は台

湾先住民に囚われの身となり、54名が殺されてしまう明治政府清国へ賠償を要求

するが拒否され、外交経験もなく国際慣習も知らない明治政府はどうしようもなく、その後3

年間も放置される。しかし清国駐在のアメリカ合衆国総領事より「懲らしむるべし」との忠告

を受けた明治政府は、征韓論の対立や、廃藩置県による士族の失業などの不満などで世

の中がざわめいている中、大久保は台湾出兵を計画する。陸軍中将西郷従道は政府の

明確な指示がないうちに3,000名を率いて出兵させる。5月6日に台湾南部に上陸、5月

22日本格的な制圧を開始、6月には事件発生地域を占領してしまう。この台湾出兵につい

ては、何事も無知だった明治政府は、清国や清国に権益を持つ列強に対して通達・根回し

などは行っていなかったため、国際問題になりかけたがイギリスの駐清公使トーマス・ウェ

ードの斡旋で清国が賠償金50万両(テール)を日本に支払うことで、日本の征伐軍は撤退

することになる。又この結果帰属がはっきりしなかった琉球は、日本に帰属することが国際

的に認知された。又この台湾出兵をめぐる意見対立から長州の木戸孝允までもが職を辞し

ている。

 

この事件を、もう少し時系列的に整理してみよう。この件のテーマは、琉球の帰属台湾の

帰属
国際的に認知された、と言うことであるので、この作業は有意義なことになるであ

ろう。

 

1871年(M4)  廃藩置県の実施

1871年(M4)10月
年貢を納めた宮古島の御用船が、帰路、台風の強風で遭難し台湾に

漂着。

1871年(M4)12月
宮古島島民69名中3名溺死。66名の内54名が台湾先住民パイワン

族に   殺害・斬首されてしまう。その後生存者12名は琉球に帰される。

1872年(M5)
  明治政府は、琉球王国を廃止して、琉球藩とする。

1873年(M6
)  備中の国(倉敷市)の船が台湾に漂着して略奪を受ける。これを受けて明治

政府は、副島種臣外務卿を清国に派遣し、宮古島島民遭難事件などの件   を問いただ

す。しかし清国は、「台湾は化外の地」であり、清朝の統治の及ばぬ地域であるとして、受

け付けなかった。これに対して日本は軍を派遣してこれを懲らしめるが文句を言うなと言明

している。

1874年(M7)5月
台湾藩地事務都督に任命された陸軍中将西郷従道は、独断で征伐

軍約   3,000名を出港させる。5月22日に台湾西南部に全軍集結、制圧開始する。

1874年(M7)6月
6月3日には事件発生地の牡丹社などを制圧し、占領を続ける。戦死

者は   12名だったが、風土病のマラリアで561名も死亡する事態となる。

1874年(M7)10月
駐清英国大使ウェードの斡旋を受け、全権弁理大使として大久保利通

は清国と北京で交渉し、難航の末10月31日日清両国互換条款」が調印される。当初日

本は台湾 は清国の領土ではないとの立場に立って交渉したが、清国は台湾は清国の属

地であると主張した。しかしこのままでは賠償金を取れないので、大久保は台湾は中国の

属地
である事を認め、賠償金を引き出すことに成功する。


   ・日本軍の出兵は義挙であり、構築した道路、宿舎は有料で清国に譲る。

   ・清国は50万両の賠償金などを支払う。日本が台湾を清国領と認めた。

   ・清国は台湾生藩(清朝に服さない部族の意)の取締りを保証する。

   ・日本軍は1874年12月20日までに撤退する。

   ・琉球人は日本人であることが、国際的に承認される。(琉球の日本帰属

1874年(M7)12月
54名の日本人の遺体は現地の善意の人達により埋葬されていたが、

西郷   従道らは中国大陸から墓石を取り寄せて、「大日本琉球藩民五十四名墓」と刻み、

新たな墓を作り日本将兵、軍属一同で慰霊の祭祀(さいし)を行う。
20091216171344812

   「大日本」の文字の色が変わっているのは、一時塗り潰されていたため。

ちなみに、台湾は日清戦争で日本に割譲され、その後台湾人は日本人として処遇され、大

いに発展しました。大東亜戦争で負けた日本はその台湾の処分を放棄しましたが、その主

権はまだ放棄していません
、といった主張もあります。従って「台湾は中国固有の領土で

はない
」と、中国に言ってやりましょう。


「台湾と主権のお話」

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1674.html

を参照願います。


尖閣諸島は一度も中国の領土になってはいない。
ずっと日本の領土であるのだが、馬賊

匪賊の国・中国
は「日本が盗んだ」などと捏造話を吹聴している。ならば日本は「台湾は中

国固有の領土ではない
」と、世界に言ってやりましょう。

(続く)