東京五輪2020と尖閣諸島(15)

話は戻るが以上みてきたように、朝鮮半島355年高句麗時代北燕朝貢)から周

辺国家へ朝貢している。それ以来ずっと満州、中国などの周辺国家に服属し、朝貢してき

ている。黄文雄氏は、朝鮮のことを千年属国と称しているが、このように史実を眺めると千

年どころか1500年の長き(355年から1895年まで)にわたり属国であったのだ。


最近の研究によれば、清朝宮廷から朝鮮政府への恩賜は、朝鮮側の貢物のたった十分の

一であったと言う。属国朝鮮は、ずっと清帝国に搾取され、奴婢以下の扱いを受けていた

最貧の国であった。そして、天朝(清帝国)が朝鮮に与えた朝貢国の規定は、じつに厳しか

った。金銀牛馬の特産品から貢女や宦官などに至るまで、献上すべき物品が細かく決めら

れていた。そして半島内で起こったすべての出来事や特に日本の情勢などは細かく明細書

に書き出し、清国に提出しなければならなかった。日本への使節派遣などは、清朝朝廷へ

の報告と許可が義務付けられていた。こうして朝鮮国王は天朝朝廷の臣下として一地方の
官僚と同じ扱いを受けていたのである。韓国の学者などは、「属国からの貢物よりも、宗主

国からの回賜(返礼)、恩賜のほうが多かった。朝鮮にとっては朝貢冊封秩序における宗属

関係も単に形式的なもので、実質的には朝貢貿易という実益を狙った経済活動だった。

だから政治的な隷属関係ではなかった」と主張しており、この考えが韓国内では通説になっ

ているが、それは真っ赤な嘘である。

これも黄文雄の『捏造された日本史』(日本文芸社)に記載されている文章である。


そのため属国根性が体全体にまで浸み込んでおり、その劣等感から脱却したいがためにあ

りもしない「日帝36年」の間だけが朝鮮の独立が侵されていた、などと大嘘をついているの

である。


「朝鮮と宗主国である清国との関係は、繁文縟礼と言えるほど「礼」によって厳しく統制さ

れ、このように朝貢品の内容は厳しく規定されており、規定の厳守を義務付けられていた」と

黄文雄は『韓国は日本人がつくった』(ワック、2005年第3刷、以後K呼ぶ。)で述べて

いる。例えば朝鮮から清国への「国書」も、上奏文としての格式が厳しく決められ、その書

式や用語は、一つ一つ中華朝廷の礼部によっ厳格にチェックされていた。例えば北京朝廷

のみが使用できる言葉として、天皇の「皇」や「奉勅」の「勅」、「朕」、「詔」が定められてお

り、朝貢国である朝鮮の国書では使うことが許されていなかった。そのため、明治維新直後

明治新政府対馬藩を通じて李朝へ渡そうとした国書に、「皇祖」とか「奉勅」と言った朝

鮮では使用が禁止されていた言葉が記載されていたため、李朝朝廷ではパニックとなり

日本の国書の受け取りをかたくなに拒否している。このことが清国に伝わってその逆鱗に

触れたら一大事なのである。このため日本は何度も国書を送り、日本が明治新政府となっ

たことを伝えようとしたが、朝鮮は受け取りを拒否したのである。そのため征韓論が叫ばれ、

江華島事件
の遠因とも成っている。(P38-Kの引用頁)


ちなみに、繁文縟礼はんぶんじょんれいとは、礼儀や規則、形式がこまごまと決められており

そのため手続きや行いが非常に煩わしい事を言う。


朝鮮は中華帝国の属国であったために、その朝貢品は細かく決められておりその中には

慰安婦である「貢女」も含まれていた。その内容を上記文書Kに従い解説しよう。先にも触

れたが、日本には「従軍慰安婦」などは存在しなかったが、慰安婦は古来から続く韓民族

独自の文化
であったために、1980年代以降韓国が日本を非難する材料として捏造するこ

とが出来たものである。そのような日本軍に対しての具体的な捏造を作ることが出来たの

は、それが朝鮮独自の文化であったためである。最近まで韓国では「妓生(キーセン)」と言

う管理売春が存在していたことはご承知のことであろう。韓国人は日帝が大量に朝鮮女性

従軍慰安婦として強制連行したなどと非難するが、そんなことを示す客観的な証拠などは

この世に一切存在しないのである。それよりもこれらのことは、朝鮮が昔から実際に行って

きたことであり、この朝鮮独自の歴史を反日のプロパガンダの材料として作り変えただけの

ことなのである。(P39)
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この書籍では、「統一新羅の時代から李朝朝鮮に至るまで、例年、宗主国の元、明、清へ

と貢女を進貢してきたとの記録もある」と述べている。「婚姻の習慣から言えば、古代朝鮮

は売春婚の国である。中華帝国をはじめとする北方諸王朝への貢女の献上は、古代から

すでに有名
だったのだ。とくに元の時代、モンゴル人の百数十年に渡る長期支配化では、

貢女、娘の供出の催促が厳しかった。」と記されている。そしてこの貢女の歴史は、中国の

歴史書だけでなく、『韓国通史』(学生社)などの韓国人学者による通史にも散見できる、と

も記されている。


元の時代の朝鮮は高麗朝である。あの元寇は、高麗・元の連合軍が九州北部を襲ったこ

とは先にも述べたが、その高麗である。もともと朝鮮は朝貢国家であったために、古くから

貢女の習慣はあったようで、先に見たように朝鮮の朝貢の歴史は高句麗の355年北燕

貢から始まっている。朝鮮の歴史はこのように朝貢の歴史であり、朝貢品の中には必ずや

奴婢などの奴隷が含まれており「性奴隷」として扱われていた。貢女の献上古代からす

でに有名
だったと黄氏も述べているように朝鮮の文化でもあったが、とくにモンゴル人によ

るむすめの供出の催促は厳しかったために、高麗朝の貴族社会にとっては、かなりの苦痛

であったと言われている。献上するむすめは「処女」でなけばならず、明や清の時代にもそ

れが受け継がれ、美女で処女であることが原則で更にはその身分もそれなりに高いことが

求められた。そのため朝鮮国王の妹や王女、あるいは王室や大臣の娘が好ましいとされ

た。そして両班の娘、またはその妾(めかけ、こしもと)が望ましく、それ以外の地位のもの

を貢女としてはならないとされていた。誤魔化そうとした場合には、厳しく罰せられたと言う。

そして黄文雄氏は次のように史料を上げて説明している。


1274年
、と言えば文永元年の文永の役の年であるが、元寇のために元は南宋の軍人を

朝鮮に派遣した。いわゆる蛮子軍華北の住民が漢人、江南の住民を南人または蛮子マ

ンジ
と呼んだ。)であるが、元は蛮子軍のために高麗の婦女140名の供出を要求した。

高麗の元宗は「結婚都監」を設けて、市井の独身女性、逆賊の妻、僧人の女を集めて供出

した。その時は処女、童女ではなく、独身婦女や罪人の妻を強制連行して、一人絹12匹

(布地24反、1匹は2反)で、モンゴル政府に売ったのである。これは政府と言う国家権力

による人身売買と強制連行である。日帝の朝鮮女性の強制連行などの捏造は、朝鮮史

中にこのような史実があったから、捏造できたことなのである。


その翌年の1275年元宗の子・忠烈王の元年に、元は蛮子軍・1400人を派遣し駐屯し

た。高麗政府は蛮子軍に営妓を売るために「寡婦処女推考別監」を設け、役人を各道に派

遣し婦女を推考、選別したのである。『明実録』(1409年2月、永楽七年)に記録されてい

る例では、明の永楽帝時代に内使(内々の点検のために中央から地方へ派遣された使者

のことか?)が朝鮮へ派遣され、直接美女を選んだとされている。そのため驚いた朝鮮政

府は、あわてて全国に結婚を禁止し、13才から25才までの処女を各所からかき集めたと

言う。


事ほど左様に「朝鮮では統一新羅の時代から李朝朝鮮に至るまで、例年、宗主国の元、

明、清へと貢女を進貢してきたとの記録もある。婚姻の習慣からからいえば、古代朝鮮の

売春婚の国である。中華帝国をはじめとする北方諸王朝への貢女の献上は、古代からす

でに有名だったのだ。」とKには記されていることは先にも述べた。p40


「西洋の伝道師シャルル・ダレが書いた『朝鮮事情』(平凡社東洋文庫)には、李朝朝鮮は

毎年、宮廷慰安婦として「美女3000人」を供出していたと書いてある。しかし(韓国の)朝

鮮史の専門家までが、朝鮮の妓生はただの踊り子や楽師、またはせいぜい日本の芸者の

ようなものであり、娼妓や売春婦ではないなどと言っている。しかし、史実をいくら「美化」し

ようとしてもウソはウソだ。これは明らかに歴史の捏造である。」p43
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そして更に続けている。


「韓国は、1000年以上にわたって宗主国への貢女と宦官の献上と言う哀史を抱えてい

る。妓生の秘史も、過去の軍妓、駐留軍慰安専用の「ウォーカーヒル」つまり「米軍将兵慰

安総合遊興村」などから、現在の「退廃理髪店」に至るまで、脈々と続いてきたのだ。それ

はつい最近までの歴史であり、韓国は「売春立国」と言う自慢できない歴史を持っているわ

けだ。」p45


「もし韓国が歴史から真の反省や教訓を得ようとするなら、まず自ら1000年以上も続いた

売春史や妓生史として学ぶのが本筋だろう。しかし、実際は日本について、「過去の一時

期」にあったかどうかわからない従軍慰安婦についての記述を、中学の歴史教科書に入れ

るように強制するばかりである。韓国の子弟に自国の慰安婦史を教えると言うのなら判る

が、これではあまりにも本末転倒であり、日本にとっては大きなお世話だろう。」p45


至極真っ当な意見である。菅や仙石も肝に銘ずるべきであろう。なお朝鮮の売春立国に関

する件については、当ブログの2007年5月14日の「慰安婦問題について」も参照願う。

これには、朝鮮人が自国で婦女子を拉致して慰安婦にするという朝鮮の東亜新聞の記事

が紹介されている。


この貢女の歴史も、日清戦争講和条約下関条約により朝鮮の独立を清国に認めさせ

たことによりなくなったのであるが、上の記事によれば朝鮮国内では朝鮮人による慰安婦

りが横行していたのであろう。誠にもって朝鮮人とは、信用ならざる人種である。


ちなみに朝鮮から中国(清国)への朝貢を止めさせたと言う日清講和条約下関条約)の

第一条を次に示す。


第一条

清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。因って右独立自主を損害

すべき朝鮮国より清国に対する貢献典礼は将来全くこれを廃止すべし。

(続く)