■船舶の航路にも
竹島付近に北海道と対馬海峡を結ぶ航路が点線で記載された「太平洋素図」
さらに、竹島付近を通る船舶の航路が書かれた戦時中の地図2点も見つかった。島根県
は「竹島が近代以降も日本の船舶の目印になっていたことが分かる」と強調する。
地図は、昭和17年発行の「太平洋素図」と18年の「太平洋全図」。国土地理院の前身に
あたる大日本帝国陸地測量部が発行した。
地図には、2点とも左上に「竹島」とあり、鬱陵島は「欝陵島(松島)」と書かれていた。
太平洋素図には航路上に「小樽-大連」の表記があり、昭和元年に開設された航路「大連
・朝鮮・北海道線」とみられる。
地図は、宮崎市の男性が島根県が資料提供を呼び掛けているのを知り、提供した。県の
調べで、同じ地図が国会図書館や東北大学に所蔵されていることも分かった。
県は「陸地測量部が発行した地図は明治38年の竹島の島根県編入後、明確に島根県
所属と記載している」とした上で、「近代に入っても竹島が日本海を通る日本船舶の目印と
なっていたのが確認されたのは重要な発見」と説明している。
■日本固有の領土
領土問題をめぐっては、産経新聞が創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として発表
した「国民の憲法」要綱で、現行憲法にない「領土規定」を提唱。「日本固有の領土である
北方領土と竹島は、ロシアと韓国に不法占拠されたまま。日本が実効統治している尖閣諸
島周辺では中国公船が領海侵犯を繰り返し、奪取を狙っている」と指摘したうえで、日本の
主権が及ぶ領土(領海、領空を含む)の範囲を内外に明確に知らしめるべきとしている。
また、橋下徹大阪市長、石原慎太郎氏が共同代表を務める「日本維新の会」のロゴマー
クには竹島と尖閣諸島を入れた日本地図が記されている。橋下氏は「日本地図にこだわ
り、全国政党なので竹島も尖閣諸島も入れた」などと説明している。
竹島をめぐっては、今年2月、島根県で開催の「竹島の日」(2月22日)式典に抗議するた
め関西国際空港から入国しようとした韓国の市民団体が入国審査で7時間足止めになるな
どして話題となり、日本、韓国両国内での関心は高まっている。
竹島は明治38年に島根県編入され、昭和初期の地図では当時の島の様子や隠岐の人
々との関わりが具体的に記載され、竹島と隠岐の人々の歩みを知るうえで貴重な証左とも
いえる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130503/waf13050318010030-n1.htm
さて次には、下記ブログを参照願う。ここには江戸時代からの「竹島」との繋がりが、かなり
詳しく記載されています。古くから日本の領土だったことがわかります。
ねずさんの ひとりごと 今日は竹島の日!
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-801.html
かなりの長文となりますので、次に概略を示します。ただし読みやすいので是非参照願う。
ここから引用した竹島の位置を示す図を、次に載せます。
(11)この「ねずさんの ひとりごと 今日は竹島の日!」によると、
江戸時代の『元和4(1618)年、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が、米子
藩主を通じて幕府から竹島への渡海免許を受け、以降、毎年「鬱陵島」に渡航し、あわび
の採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等をしています。』
話は更に続きます。
『両家は、将軍家の葵の紋を打ち出した船印をたてて竹島で漁猟に従事し、採取したあわ
びについては将軍家等に献上するのを常としており、いわば同島の独占的経営を幕府公
認で行ないました。
両家は、隠岐から鬱陵島へ漁に行く航行の目印として、途中の船がかりとして、また、あし
かやあわびの漁獲の好地として、「竹島」を利用しています。
このことは逆にいえば、日本は、遅くとも江戸時代初期には、竹島の領有権を確立してい
たということを示します。』
これによると、鬱陵島も日本の江戸幕府が管轄していたことになります。事実、次のように
話は続いています。
『当時、日本は、鎖国していたのです。
もし、鬱陵島や竹島を幕府が外国領であると認識していたならば、そこへの日本人の渡航
は禁止されています。
そうした措置が行われず、両島で将軍家に献上するあわびを獲っていたということは、この
時点で日本が「鬱陵島」も「竹島」も、日本の領土という認識に立っていたとことを表してい
ます。』
(続く)