馬鹿な韓国、頓馬な朴槿恵(21)

船舶の航路にも

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竹島付近に北海道と対馬海峡を結ぶ航路が点線で記載された「太平洋素図」

 さらに、竹島付近を通る船舶の航路が書かれた戦時中の地図2点も見つかった。島根県

は「竹島が近代以降も日本の船舶の目印になっていたことが分かる」と強調する。


 地図は、昭和17年発行の「太平洋素図」と18年の「太平洋全図」。国土地理院の前身に

あたる大日本帝国陸地測量部が発行した。


 地図には、2点とも左上に「竹島」とあり、鬱陵島は「欝陵島(松島)」と書かれていた。


 太平洋素図には航路上に「小樽-大連」の表記があり、昭和元年に開設された航路「大連

・朝鮮・北海道線」とみられる。


 地図は、宮崎市の男性が島根県が資料提供を呼び掛けているのを知り、提供した。県の

調べで、同じ地図が国会図書館東北大学に所蔵されていることも分かった。 


 県は「陸地測量部が発行した地図は明治38年竹島島根県編入後、明確に島根県

所属と記載
している」とした上で、「近代に入っても竹島が日本海を通る日本船舶の目印と

なっていたのが確認されたのは重要な発見
」と説明している。


■日本固有の領土


 領土問題をめぐっては、産経新聞が創刊80周年と「正論」40周年の記念事業として発表

した「国民の憲法」要綱で、現行憲法にない「領土規定」を提唱。「日本固有の領土である

北方領土竹島は、ロシアと韓国に不法占拠されたまま。日本が実効統治している尖閣

島周辺では中国公船が領海侵犯を繰り返し、奪取を狙っている」と指摘したうえで、日本の

主権が及ぶ領土(領海、領空を含む)の範囲を内外に明確に知らしめるべきとしている。


 また、橋下徹大阪市長石原慎太郎氏が共同代表を務める「日本維新の会」のロゴマー

クには竹島尖閣諸島を入れた日本地図が記されている。橋下氏は「日本地図にこだわ

り、全国政党なので竹島尖閣諸島も入れた」などと説明している。


 竹島をめぐっては、今年2月島根県で開催の「竹島の日
(2月22日)式典に抗議するた

関西国際空港から入国しようとした韓国の市民団体が入国審査で7時間足止めになるな

どして話題となり、日本、韓国両国内での関心は高まっている。


 竹島は明治38年に島根県編入され、昭和初期の地図では当時の島の様子や隠岐の人

々との関わりが具体的に記載され、竹島隠岐の人々の歩みを知るうえで貴重な証左とも

いえる。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130503/waf13050318010030-n1.htm

 

さて次には、下記ブログを参照願う。ここには江戸時代からの「竹島」との繋がりが、かなり

詳しく記載されています。古くから日本の領土だったことがわかります。


ねずさんの ひとりごと  今日は竹島の日
 
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-801.html

かなりの長文となりますので、次に概略を示します。ただし読みやすいので是非参照願う。

ここから引用した竹島の位置を示す図を、次に載せます。 
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(11)この「ねずさんの ひとりごと  今日は竹島の日!」によると、

江戸時代の『元和4(1618)年鳥取伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が、米子

藩主を通じて
幕府から竹島への渡海免許を受け、以降、毎年鬱陵島」に渡航し、あわび

の採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等
をしています。


話は更に続きます。


両家は、将軍家の葵の紋を打ち出した船印をたてて竹島で漁猟に従事し、採取したあわ

びについては将軍家等に献上するのを常としており、いわば同島の独占的経営を幕府公

認で行ないました。

 

両家は、隠岐から鬱陵島へ漁に行く航行の目印として、途中の船がかりとして、また、あし

かやあわびの漁獲の好地として、「竹島」を利用しています。

 

このことは逆にいえば、日本は、遅くとも江戸時代初期には、竹島の領有権を確立してい

たということを示します。


これによると、鬱陵島も日本の江戸幕府が管轄していたことになります。事実、次のように

話は続いています。

当時、日本は、鎖国していたのです。

もし、鬱陵島竹島を幕府が外国領であると認識していたならば、そこへの日本人の渡航

は禁止されています。

そうした措置が行われず、両島で将軍家に献上するあわびを獲っていたということは、この

時点で日本が「鬱陵島」も「竹島」も、日本の領土という認識に立っていたとことを表してい

ます。

(続く)