馬鹿な韓国、頓馬な朴槿恵(79)

朝鮮人は偉い」と語った伊藤博文

 日本での「伊藤博文観」は全く逆だ。初代韓国統監という職責に就きながら、伊藤韓国

併合に否定的だった
とされることはよく知られている。


 五千円札の肖像にもなった農政学者、新渡戸稲造による評伝によれば、新渡戸が「朝鮮

人だけでこの国を開くことが、果してできましょうか」と問うと、伊藤はこう答えたとされる。


 「君、朝鮮人は偉いよ。この国の歴史を見ても、その進歩したことは日本より遥以上であっ

た時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。才能において

は決してお互いに劣ることはないのだ」


 続けて「しかるに今日のありさまになったのは、人民が悪いのじゃなくて、政治が悪かった

のだ。国さえ治まれば、人民は量においても質においても不足はない」とも語ったという(新

渡戸著『偉人群像』)。


 1909年10月に起きた伊藤暗殺からわずか10カ月後には、日本による韓国併合が行わ

れている。


 朝鮮日報の表現を借りれば、「安が伊藤を狙撃したことで、日本は伊藤が敷いたレールを

外れ、朝鮮侵略日中戦争へと突き進んだ」といえ、「安が伊藤を撃った大義が“誤って

いた
”ことはその後の歴史でも証明されている」と言い換えることができる。


安重根天皇に忠義尽くさんがため」


 では、当の安重根は当時、日本を、伊藤博文をどうみていたのだろうか。


 安重根1910年3月処刑される直前、自伝「安応七歴史」や未完となった「東洋平和

」などを書き残しており、そこからうかがい知ることができる。


 これらについての故中野泰雄・亜細亜大学名誉教授の研究などによると、安重根は取り

調べに当たった検察官に対し、伊藤暗殺に至ったのは「東洋平和を破壊したためだ」とす

る「伊藤の罪状」を挙げ、「私の思っていることをすぐに日本の天皇に上奏(じょうそう)してく

ださい。伊藤のよからぬ政略を改めて東洋危急の大勢を救ってくださることを切望します」と

述べたという。


 「みな仁厚な人たちばかりだ」と中国にいた日本人についての印象にも触れている。日中

韓の関係については「弟(日本)の一族がみな悪いのではなく、その家の伊藤というものが

悪い」とも語った。


 韓国を日本の保護国としたことについては、「日本の天皇の趣旨ではないと思いました。

それで伊藤は天皇を欺き、韓国人をも欺いたので、韓国の独立を期するには、伊藤を亡き

者にしなければならぬと思った」と説明。「私は日本4千万、韓国2千万同胞のため、かつ

天皇陛下と韓国皇帝陛下に忠義を尽くさんがために今回の挙に出た」とも述べている。


 つまり、安重根の世界観では、日本が韓国を併合しようとたくらんでいるのは、日本人や

天皇陛下が悪いわけではなく、伊藤博文という“奸臣”が陛下の目を曇らせている。この奸

臣一人を取り除けば、日本は「正しい道」に立ち戻るだろう-と考えたのだ。


 安重根は「東洋平和論」で、1894~95年日清戦争での清の敗北について「清国人は

自ら中華の大国と称し、外邦を夷狄(いてき)と呼び、おごり高ぶること甚だしく、上下が和す
ることがなかったので、このような恥辱に遭った」と中華思想からの脱却の必要性に触れて

いた。


 ただ、安重根が抱いた、王や皇帝に誤りはなく、悪い臣下がいるから政道を誤るという見

方は、儒教の強い影響から王朝時代の中国や朝鮮でみられた典型的な考えだ。中華思想

の脱却を唱えながら、安重根もまた、同時代の清韓の官僚同様、王朝時代の思想に拘泥

していたといえる。


韓国人は「日本の勝利喜んだ」


 安重根が描いていた当時の世界観は「東洋平和論」の序文にさらに鮮明に表れている。


 1904~05年日露戦争について「欧州の列国は全て道徳心を忘れ、中でもロシアは甚

だしく、暴行残害は西欧と東亜の至る所に及び、悪に満ち罪にあふれ、神人ともに怒るに至

った。そのため、天は機会を与えて東海の小さな島に過ぎない日本強大なロシア打倒

させた
」と記している。


 当時の韓国人や中国人の反応について「日本軍を歓迎し、運輸、道路建設、偵察、探索

などに労苦をいとわず力を尽くした
」とし、日本の勝利に「自分たちが勝ったように喜んだ

とも描いている。


 結論として「現在、西洋の勢力が東洋にやってくる禍患に対しては、東洋の人種は一致団

結して極力防御するのとが最上の策であることは一尺の童子であっても、はっきりと知って

いる」と主張する。


 その上で「なぜ日本はこの順然の勢いをかえりみることなく、同種の隣邦を分割し、友誼

を断絶して自ら鷸蚌(ぼういつ)の争いを現出して漁人を待つようなことをしでかすのだろ

うか。韓清両国民の望んでいるのは、日本の現在の政略を大いに断絶することだ」と訴えた。


 つまり、単純な「抗日」ではなく、ロシアをはじめとした西欧列強を最大の敵とみなし、本来、

日本と韓国、中国は「一致団結して」当たるべきだというのが安重根の最大の主張だ。

そのために「天皇の目を曇らせた奸臣を討った」というのが彼の大義名分だった。


安重根が持つ「親日」「反日」両面性


 暗殺という手段は批判しながら、このような安重根の思想に共鳴した日本人は当時、取り

調べを担当した検察官をはじめ、少なくなかったという。


 安重根天皇への思いだけを取り出せば一見、親日とも受け止められる。「反日」では

ひとくくりにできない複雑な日本観を持っていた。韓国併合を受け入れた韓国人官僚らをは

じめ、他の当時の韓国人らもまた、「反日」「親日」とは決め付けられない日本観を抱いてい

たはずだ。


 菅官房長官や世耕官房副長官は、彼が「犯罪者」で「死刑判決を受けた」という政府の見

解を述べた。半面、日本国内では、安重根が掲げた「東洋平和」の思想は評価するという

立場も許される言論の自由がある。


 一方、韓国では、安重根の「東洋平和論」は大いにたたえつつ、日本や伊藤に対しては一

刀両断に「侵略の元凶」と決め付けられている。


 韓国で今年、検定を受けた保守系の高校歴史教科書をめぐり、「安重根を“テロリスト

描いている」とこの教科書の検定通過を阻止するためのデマに基づく攻撃がなされた。


 抗日によって立つ韓国の「正史」において、安重根を「テロリスト」とみなすことは絶対に許

されない歴史認識であり、検定通過を阻止したい勢力にとってこの種のデマが最も打撃を

与えられるからだ。


 同じ文脈で韓国が掲げる「正しい歴史」において、伊藤博文を評価する余地は一切ない。

韓国で「親日」というタブーがからめば、言論の自由は消えてなくなる。


 このような条件に拘束されている限り、歴史認識をめぐる日韓の対立で、より狭隘(きょ

うあい)な主張
を繰り返しているのはどちらか
ということは、火を見るより明らかだろう。

(外信部記者)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131208/plc13120818000007-n1.htm

 

さてこのような狭隘な、と言うよりも間違った捏造歴史認識を、朝鮮・韓国はなぜ持つように

なったのか。

(続く)