馬鹿な韓国、頓馬な朴槿恵(107)

この「ぐいっと回ってバランスを失い」とは、舵をきった際に船が傾き船荷が片方に寄ったた

めに、更に船が振られて舵が動いてしまったのであろう。


朝鮮・韓国の国柄と言えば、こんなこともあった。1995.6.25に、三豊百貨が自分の重さ

に耐えかねて、完全に崩壊してしまったと言う大惨事か起こっている。建設費をケチったた

めの不良・手抜き建築が、崩壊の原因だった。

 

 

事故災害研究室 きうり
三豊百貨店崩壊事故(1995年・韓国)
最終更新日 : 2012-01-22 12:20:54

 1989年からソウルに存在し、1995年に姿を消した三豊(サンプン)百貨店。

 この百貨店がソウルから「姿を消した」のは、決して閉店して取り壊されたなどという真っ

当な理由からではない。冗談のような話だが、この建物は真ッ昼間にいきなり崩壊してしま

ったのである。

 ソウルの一等地に建てられたこのデパートは、その日、1995年6月25日もごく普通に営業

していた。しかし午後5時55分に建物がメキメキグラグラ、ガタガタと音を立て始めたかと思

ったら、20秒ほどで崩れ落ちたのだ。

 死者502人、負傷者937名というこの被害の大きさは、もはや天災クラスである。どんなに

規模の大きい炭鉱事故や飛行機事故でも、なかなかこうはいかない。

 大変だァ、地震かガス爆発かそれとも北朝鮮のテロか!? 崩壊直後にはそんな憶測が飛

び交い、海外の多くのニュースソースがこの大事件に注目した。そして救助活動が難航す

る中で原因の究明が進められていった。

 しかし、この崩壊がまさか本当に「ただの崩壊事故」だったとは、当初誰もが考えなかった

に違いない。地震もガスも爆弾も、ましてやお隣のならず者国家などはこれっぽっちも関係

なく、この三豊百貨店はまるきり自分自身の重量を支えきれずに崩れ落ちたのだった。

 実はこの事故、「いずれこういうことになるんじゃないか」と薄々勘付いていたひとりの人

物がいた。当時の施設マネージャーだった男性である。

 彼は、事故前夜には「建物から異様な音がする」という報告を受けていた。また彼自身も、

あるフロアの床で、柱の周辺がひび割れているのを目撃していたのだ。だがその時は、こ

の柱があった食堂を封鎖する程度でお茶を濁していた。

 まずいな、この建物、まさか崩れるんじゃないだろうな――。彼には、その不安を杞憂とし

て笑い飛ばせないような理由があった。

 そもそも三豊百貨店は、建設の段階からして、その強度には問題があったのである。

建設途中で建物の用途を変更してしまったり(もともと地上4階のオフィスビルにする予

定が、急遽5階建てデパートになった)、柱の材料をケチったりしたせいで、建物の総重量と

それを支える強度とのバランスがおかしくなっていたのだ。

 しかも事故の前年には、地下の売り場で違法の増改築を行っていた。さらに言えば最上

階のレストランにも床暖房
を入れたせいでさらに重量が増しており、これで不安に思わない

ほうがおかしい、というような状態だったのである。

 挙句の果てに、である。事故直前には屋上にあったエアコンを移動する作業を行ったの

だが、この時に、屋上の床に盛大にヒビが入っていたからもういよいよ洒落にならない。

普通ならクレーンあたりで持ち上げて空中を移動させるべきところを、費用をケチるために

ズズズッと引きずって動かしたのだ。それで床が壊れたのである。

 マネージャーの脳裏でこうした不安要素がよぎりまくっている間にも、建物の中ではミシミ

シガタガタと異音
が響き渡っていた。「この建物あぶないんじゃないか」という噂が店員の間

でも囁かれており、ああもうこれは一刻の猶予もない。マネージャーはオーナーに相談した。

「オーナー、かくかくしかじかで、営業を停止して建物を点検したほうが」

「バカモン、営業を停止するとは何事だ! そんなものは閉店後に行えばいいのだ!」

 ちなみに、三豊百貨店の建物の用途を建築段階でいきなり変えてしまったり、それに反対

した建築業者を解雇
したりしたのもこのオーナーである。

 オーナーの思いつきで、行き当たりばったり、出たとこ勝負で建築された悲劇の商業施

設、三豊百貨店。これは変更に次ぐ変更、追加に次ぐ追加で、気がつけば最早まともな建

物ではなくなっていたのだった。しかも、こうした変更を行政に認めてもらう見返りにと、

経営陣はちゃ~んと役人に賄賂を渡していたという。

 どうせ労力と費用を注ぎ込むなら、建物の修繕のほうにすればいいのにねえ。思わず

「そっちかよ」と突っ込みを入れたくなるのは筆者だけではあるまい。

 かくしてこの百貨店は崩壊した。崩壊一歩手前の状態に最後のとどめを加えたのは、業

務用の巨大エアコンだったと言われている。ヒビだらけの建物では、エアコンの振動には耐

えられなかったのである。

 百貨店の経営陣は、3人が業務上過失致死傷罪で逮捕された。オーナーは懲役刑を食

らい、さらに全財産を没収までされて2003年には病死している。

 まあ、「あり得ないだろうこんなの」と言いたくなる事故ではある。だが少し考えてみれ

ば、我々(日本人)が今までこのような事故に遭遇せずに済んできたのは、たまたま幸運

だったからに過ぎない気もするのである。

 建物の崩壊とまではいかなくとも、たとえば日本で70年代に多く発生したビル火災では、

やはり建築構造の杜撰さから大量の死者が出ている。結果は違えど、建造物に関するル

ールをいかに守らせるか
――という問題は根っこでしっかり共通していると思う。

 そうした事例を教訓とし、今では建築基準法や消防法の遵守も徹底されるようになって

きた。だが、遵守の実態というのは本当に抜き打ちでの点検でもしない限り把握できないも

のだと思うし、それに一級建築士が強度の偽装を絶対に行わないとも言えないだろう。

 こうしたことを踏まえて考えると、この三豊百貨店の崩壊事故は、日本にとって決して縁遠

い「トンデモ事故」ではないのである。

【参考資料】

ウィキペディア
ディスカバリーチャンネル

http://p.booklog.jp/book/8921/page/306222

29881b0c
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/29933849.html

 


この百貨店の図面によれば、次のような手抜きがあったと言う。

(続く)