日清戦争開始120年に考える。(46)

(ⅳ)田中訪中と日中国交正常化の影に何があったのか?

それは1971年の7月と10月に訪中して「日本の軍備は主要四島の防衛に押しとどめる」と

キッシンジャーが約束してから、丁度一年後の事であり、しかも1972.9.29田中訪中の直

後の事でもあった。田中訪中では日中共同声明が発表され、それにより日中国交正常化

がなされたのである。


1972.10.14
参議院決算委員会に内閣法制局の解釈が提出された。それは次のようなも

のであった。


従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、

国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛権の措置の限界を越えるも

のであって許されないとの立場に立っている

キッシンジャーは訪中で、「日本の自衛隊には台湾や朝鮮半島の紛争には関わらせな

い」、即ち集団的自衛権は行使させない中国に約束し、その結果を田中の訪中で確認さ

せたのである。


その結果が中国側の意向を反映させた先の内閣法制局解釈だったのである。この冒頭

の「従来から一貫して」の文言は、今まで見てきたような事実から全くの欺瞞である事がわ

かるであろう。何らかの作為があったのである。従来は集団的自衛権認めていたのであ

るから。


田中・大平訪中の結果、日中が国交を樹立し中国は「戦時賠償」を放棄した。その見返りに

日本は多額のODAを提供することになった。これでは中国が戦時賠償は放棄したことには

ならないのだが、「保持しているが行使できない」などと言う田中内閣の解釈は、多分にこの

ODA利権との絡みもあったかもしれない。


田中は(アメリカから伝えられた?)中国の意向に沿って、台湾紛争では集団的自衛権

行使しないと約束し、中国は戦時賠償を放棄し、日本は多額のODAを提供する事で田中ら

はその利権を獲得した、と言う図式ではないか。

 

もう一つ。1971.11.24には国会で「非核三原則の遵守」の決議がなされている。「核兵器

持たず、作らず、持ち込まさず
」というものである。7年前の1964.10.16には(東京オリンピ

ック開催中にもかかわらず)、中国は第1回の原爆実験に成功している。更にはその直後

の10.27には東風2号Aミサイルに核弾頭を搭載した発射実験にも成功しているのである。

従って中国の核は日本にとっては、相当な脅威であったにも拘わらず、何故こんな「非核三

原則」を決議したのか、はなはだ疑問が残るものである。


これも先にも指摘しておいたが、1971.7.9キッシンジャー周恩来との会談で持ち出さ

れたものであった。


このように無防備になっていった日本をひそかに眺めていた国があった。北朝鮮である。

1977.9.19に三鷹市役所の警備員の久米裕さんが、北朝鮮工作員に拉致されたのである。

この工作員は逮捕され、暗号表などの証拠品も押収されていたにも拘わらず逮捕・起訴さ

れなかった。これ以来横田めぐみさんをはじめ、多くの日本人が北朝鮮に拉致されていった。

集団的自衛権の放棄など日中友好の結果、日本としての国家の堕落が始まってしまった

のである。自国を防衛するという気力、意欲、努力を無くすと、国家は消滅してしまうので

ある。


その後1979.1.1米中国交が樹立され、同年4月には米国議会で「台湾関係法」が制定さ

れ米国は台湾を軍事的に守ることになった。

またソ連が援助していたアフガニスタンでは1978年にソ連共産党政権を樹立させたが、

全土で抵抗運動が活発化し泥沼化していた。共産政権はその為、ソ連に軍事介入を要請し、

1979.12.24ソ連アフガニスタン侵攻が開始された。


米中との国交の樹立を達成した中国は、隣国のソ連覇権主義に脅威を感じていたため、

ソ連と日本とを対峙させようと考えていた。そのため日本への対ソ軍備の増強を唱えだし

た。しかし反面、その力が中国に向かってくることを恐れて、台湾有事の際には自衛隊

介入をさせない
という保障を日本に求めてきた。


この結果が、1981.5.29の稲葉誠一日本社会党衆院議員質問主意書に対する政府答

弁書であった。


・・・憲法九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必

要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使するこ

とは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。

なお、我が国は、自衛権の行使に当たっては我が国を防衛するため必要最小限度の実

力を行使することを旨としているのであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されな

いことによって不利益が生じるというようなものではない。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b094032.htm

 


いわゆる「保持するが行使できない」と言う偽善的な解釈であった。


中国がどのような形で日本に働きかけてきたかは詳らかでは無いが、日本社会党の議員

が質問しているところを見ると、この頃は日本社会党などは中国の手先として動いていたの

であろう。最近くたばった土井たか子などは中国の手先の先鋒であろう。福島瑞穂、辻本

清美、村山富一しかり。

このように中国の働きかけとそれに呼応して動く中国共産党の手下のような議員達の、

日本を無防備にするような働きかけに対抗してゆかなければ、やがては日本は滅びてし

まう。


これに対抗する一連の政治的な動きが、「集団的自衛権に対する解釈への言及である。

(続く)