正しい判断をされんことを祈る他はないが、2010.2.24の米下院公聴会召喚での証言はかなり屈辱的な体験であったに違いない。豊田章男は前年の2009年6月に社長になったばかりであった。
そして2013年になって豊田章男社長は、現地現物で経営の判断が出来るように、「大きなトヨタ」から「小さなトヨタ」への脱皮を図っていったのである。
その集大成と思われる組織改変が、2013.4月付けで発令されている。トヨタと言う大所帯を五つの部門と一つのサブ部門に組織改変したことだ。そして夫々の部門に副社長を頭として、意思決定が、迅速にできる様にしたのである。今までの中央集権的な何事も本社での判断待ち体制から、現地で、しかも現物で、直接そして迅速に物事が判断できる体制を作り上げた、ものと思われる。
各部門は、夫々あたかも独立した企業と看做され、その長はその仮想カンパニーの社長格としてその運営に責任を持つものである、と言う様な事が2013.11.30号の「週刊ダイヤモンド」の『トヨタ大攻勢、豊田章男は何を変えたのか』には書かれていた。
これが豊田章男社長が、屈辱的な米下院公聴会で証言させられたものへの回答でもあった。証言では豊田章男社長は、会社が大きくなりすぎてすばやく情報がトップ層に届かなくなっていた、と言った趣旨の証言をしている。
豊田章男社長が米議会の公聴会で証言
2010.02.25 Thursday author : sato501
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注目の豊田章男社長は、日本時間の25日(2010.2.25日本時間)午前4時20分すぎから証言を始めました。この中で豊田社長は、トヨタ車にリコールが相次いだ背景について、「過去数年、急激に業容を拡大してきたが、正直ややその成長のスピードが速すぎたと感じている。安全性や品質を重んじるトヨタ経営の優先順位が崩れていた」として、事業の拡大を優先するあまり、安全や品質の確保が不十分になっていたことを率直に認めました。
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http://blog.sato501.com/?eid=1037546
ここで一つ指摘しておかなければならないことがある。
この2013.11.30号の「週刊ダイヤモンド」のトヨタ特集のPart2の「豊田章男の発奮」のPage37にある”リコールの教訓 大きなトヨタから小さなトヨタへ”の項での冒頭に、『09年2月24日、米下院公聴会へ召喚されたときのことを、豊田社長はまざまざと覚えている。』と記載されている。
”小さなトヨタへ”はその通りで間違いないのであるが、日にちが間違っている。豊田社長が召喚されて証言をした日にちの年は、2009年ではなくて2010年の2月24日である。
この間違いは、「週刊ダイヤモンド」の大きなミスである。
この件は、小生の2010.3.16 から始まったブログ「プリウス急加速問題」で詳しく述べている。その2010.3.17.NO.2では、その公聴会の件をある程度詳しく述べているので参照願いたいが、その公聴会は2010年2月23日(米国トヨタのジム・レンツ社長が証言)に始まり2月24日(豊田章男社長と北米社長稲葉よしみが証言)、2月25日(トヨタの佐々木真一副社長、内山田竹志副社長が証言)と、3日間にわたって行われている。
もう一度言うが、2009年ではなくて2010年のことである。2013.11.30号の「週刊ダイヤモンド」の、大チョンボではないのかな。
そのため豊田章男社長は、この召喚された2月24日を「再出発の日」として、トヨタ社内では屈辱の記念日として「品質のトヨタ」「世界のトヨタ」への礎となるべく、記憶にとどめているようだ。
だから世界初の量産型燃料電池車「ミライ」の生産ラインの報道陣公開を、発売から2カ月も後の2月24日にもってきたのであろう。
その2013.4月のトヨタの新体制と言われる組織は、先に挙げた「週刊ダイヤモンド」などによれば、次の様になっている。
代表取締役会長 内山田 竹志
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代表取締役社長 豊田 章男
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|--TNGA企画本部 代表取締役副社長 加藤光久(統括)
| Toyto New Global Arckitecture新設計構想
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|--レクサスインターナショナル 専務役員 伊勢 清貴(President)
| 豊田章男社長直轄 専務役員 福市 得雄(Executive Vice President)
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| 代表取締役副社長 加藤 光久(技術・事業)
| 代表取締役副社長 前川 眞基マサモト(事業)
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|--第二トヨタ 代表取締役副社長 加藤 光久(技術・事業)
| 代表取締役副社長 伊原 保守ヤスモリ(事業)
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|--ユニットセンター 代表取締役副社長 須藤 誠一
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|--IT・ITS 渉外・広報 総務・人事 経理 代表取締役副社長 小平 信因ノブヨリ
そしてこの6人の副社長の経歴が振るっている。小沢哲副社長と小平信因副社長を除く4人の副社長が、すべてトヨタを退職して子会社で社長職を経験した強者であり、これこそが豊田章男社長が練り上げた、米下院公聴会での屈辱に対する回答の一つだったのである。
小沢 哲 1974年(S49)トヨタ自販入社、総務人事、情報システム本部長、2013年副社長就任
小平信因 2004年(H16)経産省資源エネルギー庁長官、2006年(H18)三井住友海上保険KK顧問、2008年(H20)トヨタ顧問、2012年(H24/6)副社長就任
加藤光久 1975年(S50)トヨタ自工入社、2006年(H18)トヨタテクノクラフトKK社長就任、2010年(H22)トヨタ専務役員就任、2012年(H24)副社長就任
前川眞基 1973年(S48)トヨタ自販入社、2007年(H19)トヨタアドミニスタKK社長就任、2009年(H21)トヨタ専務役員就任、2012年(H24)副社長就任
伊原保守 1975年(S50)トヨタ自販入社、2007年(H19)トヨタ輸送KK社長就任、2009年(H21)トヨタ専務役員就任、2013年(H25) 副社長就任
須藤誠一 1974年(S49)トヨタ自工入社、 2005年(H17)トヨタMマニュファクチャリングNA.KK社長就任、 2012年(H24)トヨタ専務役員就任、2013年(H25)副社長就任
このように6人中4人の副社長達は、トヨタから出て子会社の社長を経験している強者達であった。それを豊田章男社長が呼び寄せたものであった。このことを豊田章男社長は、「適材適所で決めている。彼らは子会社社長時代にさまざまな意思決定を行ってきており、その経験が副社長で生きる」と説明している、と先の「週刊ダイヤモンド」では表現している。
(続く)