戦後70年談話はヒストリーで!(33)

(3) 電源開発と工業化2011.10.26,NO.180~

 

朝鮮半島では地下資源が豊富である、などの噂があったが実際に朝鮮総督府が調べてみると、これが真っ赤な嘘で、地下資源にはほとんど見るべきものはなかった。唯一利用できる資源といえるものは、「」しかなかったと言っても過言ではなかった。そのため朝鮮総督府は、水力発電を利用して総合的な国土開発に着手した。

現在の北朝鮮北部には、中朝国境を流れる鴨緑工へ向かって、数多くの川が流れている。北朝鮮の北部中央よりやや東側に長津(チャンジン)、そのすぐ東北に赴戦(プジョン)の町がある。そこにそれぞれ川が流れている。その赴戦江(ふせんこう)が長津江(ちょうしんこう、チャンジンガン)と合流して鴨緑江に流れ込んでいる。さらにはこれらの川の東には、虚川江(きょせんこう)が鴨緑江に流れている。これらを堰き止めて、日本海側への急峻な地形を利用して、日本海側へ水を落として発電所をつくることを考えた。長津湖は長津江ダムによって堰き止められた人造湖であり、赴戦湖も赴戦江を堰き止めてつくられた人造湖である。

「日本は朝鮮半島に何を残したか-終戦後半島に残った資産」

http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/7316198.html によれば、

 

この計画を最初に思いついたのは、電気技師の森田一雄氏と土木技師の久保田豊です。大正13(1924)年、両氏は朝鮮半島の5万分の1の地図を見ながら、「鴨緑江の水を逆方向の日本海側に落とせば、巨大な電力が得られるのではないか」、と考えました。朝鮮半島の東側の急勾配に着目した発想でした。
この計画を大手電気化学工業日本窒素肥料社長、野□遵氏に持ち込んだところ、野□氏も賛同し、その資金援助によって朝鮮北部の電源開発がスタートしました。

 

野口遵(したがう)は、Wikipediaによれば、日窒コンツェルンを一代で築いた「電気化学工業の父」とも「朝鮮半島事業主」とも言われている実業家で、旭化成積水化学工業積水ハウス信越化学工業の実質的な創業者である。1896年に帝国大学工科大学電気工学科(現東京大学工学部電気工学科)を卒業、1906年に曽木電気を設立し、鹿児島県大口に曽木水力発電所を開く。これが日本窒素肥料をはじめ上記の企業の前身となる。1924年に朝鮮半島進出を決め、2年後に朝鮮水力電気、朝鮮窒素肥料の2社を設立している、と記述されている。野口は当時、イタリアから「空中窒素固定法」の特許を買っていたが、それには莫大な電力を必要とした。そのため日本では電力が不足し、この特許をもてあましていたところに森田と久保田は、朝鮮での水力発電の話を持ち込んだ、と言うわけであった。

 

なお久保田豊は、1914(T3)年に東京帝国大学土木工学科を卒業し、内務省で河川改修工事に従事し、やがて水力開発に傾注し野口の下で上記の朝鮮の電力事業開発にのめりこみ、彼の手がけた鴨緑江水豊発電所1941年完成、70kw)は当時ダム体積で世界一を誇った。地図で見ると、新義州から60~70km北東に水豊(すいほう、スプン)の町があり、大きな湖がある。これが70kw10kw×7基の発電機)の水豊ダムであろう。黒四ダムが335kwであることからして、この水豊発電所の馬鹿でかいことがわかるであろう。これらの電気は今では中国からの援助の見返りに半分は中国へ送られているというが、残りの半分の電気でも朝鮮の経済に役立っていることであろう。ただしメンテナンスが行き届いていないため、効率はとても悪くなっているという。久保田は後に日本工営株式会社をつくるが、これらの日本が北朝鮮に残した莫大な資産は、日本に返還されるべきものである。

「久保田 豊」 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kubota_yu.html 

北朝鮮は日本に補償を要求できない」 http://wwwi.netwave.or.jp/~tn-mgm/kita.htm を参照のこと)

 

森田一雄氏は、その時、早川電力を退職した直後で、知人に勧められて朝鮮の水力発電の可能性を調べ始めた。そして土木コンサルタント事務所を開いたばかりの久保田豊の事務所を訪ねたのであった。森田は日窒の野口とは、東京帝国大学時代同級生であったので、資金援助を得るために野口に話しを持ち込んだのであった。

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ここら辺の話しは、

NORTH KOREA TODAY 「帝国の遺産」~日本のゼネコンと北朝鮮をむすぶもの

http://www.pyongyangology.com/index.php?Itemid=2&id=354&option=com_content&task=view

を参照願う。

 

赴戦江発電所1929,S4完工)の工事が軌道に乗ると、野口は日本海側の町、興南朝鮮窒素肥料会社を設立(1927,S2/1)した。そしてその興南に大規模な重化学コンビナートを建設し、アンモニアの合成、肥料の硫安などが大量生産された。赴戦江発電所の電力は、100%その興南のコンビナートに供給された。そのため日窒は大成功を収め、日窒コンツェルンへと成長したのである。興南は日窒が作った都市と言ってよい。また赴戦江の第二発電所の水車は東芝前進芝浦製作所が受注し、以後は水車・発電機のすべてが芝浦製作所製となり、国産技術の向上に役立っている。このときダム建設に従事した施行業者の多くは、西松のように現在はどうも小沢一郎と何かにつけ繋がっている業者のようだ。

 

ダイオキシン問題-毒づけ社会でどう生きるか」( http://6242.teacup.com/pyonta/bbs/448 )によれば、これらの発電所やダムはメンテナンスが全く行き届いていないようだと言われている。ダムには土砂が堆積し、タービンや発電機も部品交換や補修が必要であろう。この手の事業に日本のゼネコンの手がどうしても借りたい、と言う事情があると言う。さらには北朝鮮でのウランレアメタルの開発にも、日本の手を借りたいようだ。だから小沢一郎に、西松や間組から不正献金の疑惑がささやかれている裏には、何かこのようないわく因縁があるやも知れない。小沢は日本の税金で、北朝鮮発電所補修ウランレアメタル開発手助けを、やらせたいのかもしれない。菅直人北朝鮮系の組織に莫大な献金を行っていることも、なにやら胡散臭い感じがする。

 

朝鮮人なんぞに日本が乗っ取られてなるものか、小沢外国人参政権を強力に推し進めているが、こんなことは絶対に許してはならない。

 

さらに「NORTH KOREA TODAYよると、この「朝鮮窒素肥料会社」は現在も、北朝鮮の代表的な化学肥料生産基地(興南肥料連合企業所)の核として動いているという、事になっている。しかし、この企業所は、「第二経済委員会」に所属しており、この「第二経済」とは軍事経済を管轄しているという(第一経済が民間経済、第三経済が金正日ファミリーの経済)。そして第二経済は、米ドルを自国で自由に刷ることができる(偽ドル)ので、けっして破綻はしない。そしてこの企業所は現在、毒ガス生産を行っているという。そして赴戦江発電所は、この毒ガスを生産している興南肥料連合企業所に電力を供給しているのである。だから北朝鮮の利権に関わるということは、必ずや北朝鮮の軍需生産に繋がる事になる。北朝鮮が欲していることは、強盛大国(軍事も経済も)として民生の向上と言いながら先軍政事が基本理念であるから、必ずやどこかで軍事につながるのである。

 

小沢一郎を始め、日本のゼネコンなどの企業は、けっして北朝鮮の甘言に乗せられてはいけないし、乗ってはいけない。

 

野口遵は、1940(S15)年に脳溢血で倒れた後、全財産の3千万円を寄付し、2千5百万円で(財)野口研究所を設立し、化学工業の発展に寄与している。残りの5百万円は朝鮮人子弟の教育のために朝鮮総督府に寄付され、朝鮮奨学会として朝鮮の地から4万人の奨学生を巣立たせている。

 

病に倒れた時、野口は側近にこう語ったという。

 

「古い考えかもしれんが、報徳とか報恩ということが、おれの最終の目的だよ・・・化学工業で今日を成したのだから、化学方面に財産を寄付したい。それと、朝鮮で成功したから、朝鮮の奨学資金のようなものに役立てたい」と。

 

「朝鮮産業革命の祖・野口遵」(http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/wing1109.htmlより。

 

野口遵の業績を知るにつけ、台湾発展の基を作った明石元二郎大佐や八田与一土木技師や後藤新平を思い出す。明石と八田は嘉南平野を肥沃な大農地とする大灌漑事業を完遂し、八田与一の「八田ダム」は当時世界一となっている。また後藤新平は、台湾のインフラを整備し、上下水道を整備し衛生管理を広めている。彼らは今も台湾の人たちに敬愛され、明石も八田も、死後台湾の地に手厚く葬られ、台湾の人たちは銅像やお墓まで立てて祀っているという。

 

しかし朝鮮では、どうであろうか。

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朝鮮では、朝鮮の近代化のために学校建設に邁進した初代統監の伊藤博文、初代朝鮮総督として寺内正毅はハングルを広め、目賀田種太郎は朝鮮の財政と貨幣の整理や近代的土地調査を実施し、農業をはじめ朝鮮近代化の基礎を作り、第7代朝鮮総督となった宇垣一成は農村振興運動を展開し、朝鮮を飢餓から救い近代化へと導いている。そして朝鮮産業革命の祖といわれる野口遵は朝鮮北部に水力発電所を沢山作り興南の地に重化学コンビナートを作っている。

 

朝鮮の発展には、多くの日本人が関与している。李氏朝鮮では到底近代化は叶わなかった。しかし、日本が朝鮮に関わったために、朝鮮はわずか36年で、それを成し遂げている。その裏には数多くに日本人が居たのである。しかし朝鮮人は、このことを一切無視しているばかりか、恩人であるべき日本人と日本を次のように貶めている。

 

韓国における反日教育の実態

 

反日教育の画像「真実探求」より 反日教育d54af6172734c357047d945622e2be1e H m7T)

http://ameblo.jp/japan-bear/image-10590033531-10638479044.html

 

多分これは中学生位の生徒が描いた絵であろう。ここには韓国の低脳な精神的にもかたわとなっている子供らが描いた、日本を貶めるような、このような絵画が羅列されている。朝鮮・韓国人は、戦後、人の形をしているが内実は、すべて出来損ないのかたわになってしまっている。是非確認されるとよい。

 

韓国政府は、いまだに「韓国は日本人がつくった」ことを隠蔽して、韓国人がつくったと捏造を教えている。これらを見れば、朝鮮(韓国)人が世界の中で最劣等民族に属することが判るであろう。

 

「真実探求」(http://ameblo.jp/japan-bear/entry-10597270199.htmlのブログを見れば、このことがよくまとめて記載されているので、是非ご一読願う。

(続く)