戦後70年談話はヒストリーで!(41)

このようにして日本は、中国上海では共産党員の「張治中」が、日本国内では生粋の共産党員の「尾崎秀実(ほつみ)」が、嫌がる日本を中国の内戦に引っ張り込んでいったのであった。

 

先にも言及してあるように、日本は仏心など起こさずに、すばやく徹底的に蒋介石軍を叩いて置くべきであった。戦線不拡大のためには、徹底的に叩いておくことが必須なのである。

 

と言うことはさておいて、泥沼の日中戦争は日本が惹き起こしたものではなく、中国共産党ソ連コミンテルンがあらゆる手練手管を使って、嫌がる日本を中国の内戦に引っ張り込んでいったのであり、日本は被害者であった。更に蒋介石が誘拐された西安事件など詳しくは小生のブログ第2次上海事変」(2012.5.28~を参照の事。

 

もうひとつその証拠を示そう。それは先に示した「柳条湖事件」に関するものである。

 

小生のブログでは、「柳条湖事件を起こさざるを得なかった」と述べ「日本の関東軍の自作自演であった」ように記述しているが、詳しく検証してみると証拠と言われるものはどれも事実とは言われないものばかりなのである。

 

事件の首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐(大将、1948.12.23東京裁判死刑、殉国七士廟)と関東軍参戦主任参謀石原莞爾中佐(中将、1949.8.15病死)と言われているが、彼らは戦後何度も聴取されているが、一貫して「そんなことはしていない」と事件への関与を否定しているのである。

 

ではなぜ彼らは罪を着せられてしまったのか。ここにもコミンテルンの手が働いたのである。東京裁判で彼らに不利な証言をしたのが、田中隆吉と言う尾崎穂積と同類の人物であった。陸軍少将で1943.3月に予備役に編入されたが、彼は数々の謀略に関与したが、終戦当時は予備役だったため戦犯は免れている。その代わりに東京裁判では検事側の証言として、悉く上司・同僚に不利な証言をしており、殉国七士達を名指しで不利な証言をしたため、「日本のユダ」などとも言われている。Wikipediaによれば、死刑となった板垣征四郎は、日記に二重丸をつけて「◎人面、獣心ノ田中出テクル。売国的行動悪ミテモ尚余リアリ」と書いている。

 

だから「柳条湖事件」は、もっぱら関東軍の自作自演だと思われているが、実際にはその証拠は存在しない。

張作霖爆殺事件は、ソ連の言うことを聞かなくなった張作霖を、スターリンの命令でソ連特務機関が爆殺したと言う説が、ソ連情報機関の資料から明らかになった、と言う説も有力であるように、この柳条湖事件も意外と、日本軍の目を中国コミンテルンの仕業だったかも知れないのだ。

 

それにしても、「馬鹿頓馬歴史学74人」達が、満州事変から日中戦争、そして大東亜戦争まで、日本の侵略戦争だったなどと、頓馬なことをいっているが、これは全くのヒストリー・歴史的事実を歪曲・捏造・偽造して発言していることなのである。歴史学者、政治学者といわれている輩だけに、本当に気に入らないのである。こいつらは完全な共産党員か共産党かぶれである。きっと中国共産党政府からそれなりに、たっぷりとしたものを貰っているのではないかと、勘ぐってしまう。だから日中戦争を侵略戦争などという必要はない。


 

先にも述べたように

だから「戦後70年談話」の第4には、「日中戦争蒋介石軍に潜んでいた中国共産党により、蒋介石軍と戦うように日本が引っ張り込まれたものであり、日本が侵略したものではないのです。」と言う事を盛り込むことである。

 

中国の言う「世界反ファシズム戦争と中国人民抗日戦争勝利70周年」は、中国による全くの捏造であり、そうでもしないと共産党独裁政権の維持が出来なくなるからである。日中戦争と言われるものは、反対に中国による日本権益への侵害・侵略であった、と声高らかに述べなくてはならない。

 

これが「戦後70年談話」の第四の必須事項である。このように中国は日本が中国を侵略したように吹聴しているが、話は全く逆で中国共産党が、自分の存続のために蒋介石軍の目を日本に向けさせたものであり、日本軍は無理やりに中国内戦に引っ張り込まれたものだったのである。詳しくは小生のブログ第2次上海事変」(2012.5.28~を参照の事。

 

だから「痛切な反省もお詫び」も必要ないのである。あるのは中国からの日本に対する「痛切な反省とお詫び」なのである。判ったか、李克強よ。

 

という事は、次にくるのは当然、「村山談話」の否定である。

 

(12)村山談話の否定と削除廃止が必要。

村山談話については、20081219日からの小生のブログ「日本は侵略国家ではありません。」で述べているので今一度ご参照願いたいが、手っ取り早くそれを読んで頂くために、「村山談話」に言及している2009.1.11~の部分を次に掲載する。

 

これは2008.10.31に公表された田母神論文の「日本は侵略国家であったのか」に関する検証もので、小生のブログの内容がその論文の正しいことを検証している形となっていたので、そのことを述べたブログであった。

 

次にWikipediaに載った田母神論文の論評を、次に掲載しよう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%AF%8D%E7%A5%9E%E4%BF%8A%E9%9B%84#.E6.9C.80.E5.84.AA.E7.A7.80.E8.97.A4.E8.AA.A0.E5.BF.97.E8.B3.9E.E5.8F.97.E8.B3.9E.E8.AB.96.E6.96.87

 

20081031日、「日本は侵略国家であったのか」という題で、「大東亜戦争日本侵略戦争ではなく、蒋介石国民党アメリカを操ったコミンテルンによる策謀が原因であり、むしろ欧米諸国に侵略されていたアジアの国々の独立の道筋を結果として作り上げた」といった内容の論文を発表。

「我が国はコミンテルンに動かされた蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」
張作霖列車爆破事件も(中略)少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。コミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている」
「日米戦争はルーズベルトによる策略であった」
「諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている」
「アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速し、日本の伝統文化が壊されていく」

とする説を展開した。

 

では、2009.1.11~の小生のブログ「日本は侵略国家ではありません。」の「村山談話」に言及している部分を掲載する。

 

このブログ「日本は侵略国家では在りません」を読めば、そのことは証明されるからである。自虐史観から脱却しなければ、明るい未来はなかなか望めそうにない。

 

いかに「村山談話」なるものがゲテモノか、書き表してこのブログを終える。

 

戦後50周年の終戦記念日に当たっての村山首相談話」1995.8.15の戦後50周年記念式典にて

 

『先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。


敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私達の誇りであり、そのために注がれて国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表すものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、改めて深甚(しんじん)な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、更には欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

(続く)