続・次世代エコカー・本命は?(67)

1000万台クラブの覇権争い


 日産はルノーの子会社で、三菱自はその日産の傘下に入る。結局、ルノー三菱自のいいとこ取りをすることになるわけだ。

 ルノー・日産グループに三菱自の販売台数が加わると、世界販売台数は959万台となる。トヨタ1008万台)、独VW993万台)、米GM984万台)に次いで世界第4の地位が確かなものになる。いずれも15年の販売実績だ。

 今後、世界の自動車マーケットは“1000万台クラブ”のメンバー企業が覇を競うことになる。トヨタVW1000万台を売った実績があり、GMも手が届きそうだ。三菱自動車を傘下に収めた日産も仲間入りする環境が整う。

 ルノー・日産連合はゴーン氏の長期政権が続き、世界各地でさまざまな問題が多発している。長期政権の矛盾を外に逃がす意味でも、三菱自MA格好の出物だったわけだ。

 

 三菱自の会長にはゴーン氏が就任する方向だ。日産から会長を含めて4人の役員が派遣され、11人の経営陣(ボード)の3分の1を制することになる。社長は三菱自から出す予定だが、技術のことが本当にわかる人物に替える。日産の傘下に入る前には、益子修会長(三菱商事出身)と相川哲郎社長(三菱自動車出身)は引責辞任するとみられていたが、益子氏はゴーン氏との関係で取締役として残る可能性が出てきた。

日産側は益子氏が社長に復帰する案を秘かに練っている」(日産筋)

 トップ人事も注目点だ。

乏しい全容解明の意思


 相川社長の当事者能力の欠如が今回のスキャンダルで露になってきた。511日の3度目の記者会見に出てきた相川氏の顔つきはまるで別人。実父の相川賢太郎氏(三菱重工元社長・会長)の後押しで三菱自社長に就任したが、益子会長が心配したように、やはり「社長の器」ではなかったという評価も多い。

 511日の3度目の記者会見で初めて姿を見せた益子氏は、相川氏ら同席者による燃費不正の経緯説明に対して、相川氏の力量不足を痛感したような表情を浮かべていた。

 益子氏は同11日の会見で、データ改竄に関与したのが開発部門の関連会社、三菱自動車エンジニアリングであったことを明らかにした。しかし、三菱自で改竄を指示したのが誰で、経営陣による組織的な関与があったのかどうかなど核心部分の解明がまったく進んでいない軍事産業である三菱重工は極密情報を隠すのが習い性になっている。この負のDNA三菱自は受け継いでいるといわれている。現下の三菱自に、全容を解明する意思がないように映るのはこのためだ。

 全容が解明されないままで相川氏が引責辞任するというケースも想定されている。

“ゴーン流”のしたたかな駆け引き


 三菱自と日産は2011年に合弁会社を設立し、軽の共同開発を始めた。日産は開発部門のトップ三菱自に送り込む。その上で、三菱自の水島製作所を拠点として、日産は独自の設計に基づく軽自動車を生産することになる。生産拠点を一体運営することになるとしているが、内実はもっとドロドロしている。三菱自は「軽からの撤退は考えてない」(益子氏)ため、日産の軽自動車が三菱自OEM(相手先ブランド)供給されることも考えられる。

 

 三菱自の多目的スポーツ車SUV)「パジェロ」はタイやインドネシアでは人気が高い。日産トヨタ自動車やホンダに比べてアジアのシェアは低い。中国を除くアジアの販売台数が世界販売に占める割合は10%にも満たない。三菱自のタイなど複数の生産拠点を活用して東南アジアで現地生産に乗り出し、日産車の販売を増やしたいとの思惑がある。

 両社は軽で共同戦線を張っているが、電気自動車EV)の開発でも協力する。EV路線で孤立気味の日産にとって三菱自は数少ない仲間でもある。EVの軽の共同開発が、資本提携後の最初のプロジェクトになる可能性もある。

 軽の生産拠点を持たない日産は、三菱自が潰れては困るのである。燃費データ改竄問題で、日産の被害がどの程度になるかを今後精査することになる。日産側が請求する金額が多くなればなるほど、投資額2373億円から実質的に相殺される。

ゴーン流”のしたたかな駆け引きが展開されることが予想される。三菱自経営危機が、日産にとって絶好のチャンスとなったことだけは間違いない。

周到な準備


 三菱自軽自動車4車種の燃費データの不正は日産自動車の指摘で発覚した。日産が重たい事実を伝えたのは昨年秋だったとされる。三菱自がこの事実を公表したのは今年420だった。相川氏の記者会見における対応のまずさも影響し、新車販売台数が半減するなど三菱自あっという間に窮地に追い込まれた。

「創業以来の経営危機」(三菱グループ企業の首脳)

「日産は今年に入ってすぐから、少人数のタスクフォースを編成。三菱自を買収する場合のシミュレーションを行ってきた。420日の相川氏の記者会見を見て、日産側は『三菱自は持たない』と判断。具体的なプロポーザルを策定する作業に入った」(日産筋)

 この間、三菱自株価は急落した。大型連休最終日の58、ゴーン氏は動いた。軽の共同開発会社を立ち上げるときの窓口で、気心も知れている益子氏に直接、資本提携を申し入れた

 三菱自はこの提案に飛びついた。三菱グループ御三家の支援が、前回の経営危機のときのように期待できないこともあって、益子氏は日産の傘下入りを決断したという。短期間のうちに交渉がまとまったのは、三菱自がそれだけ切羽詰まっていたからである。

 

三菱グループの落日


 三菱重工業は客船事業の大幅赤字などの四重苦で、163月期決算で赤字に転落した。同じく同期赤字に転落した三菱商事の垣内威彦社長は「(燃費不正の)事情がよく理解できておらず、具体的なことは言えない」と三菱自の不正問題と距離を置いていた。三菱UFJ銀もマイナス金利政策が業績に逆風となっている。

 リコール隠しで経営危機に陥った05年には、御三家を中心に三菱グループで総額5400億円の支援を行ったが、今回は環境が大きく違う。「三菱自動車から三菱の冠を外させろ」といった極論が、三菱グループ各社トップが集まる定例会合「金曜会」の一部にはあったほどだ。

 三菱重工の内部も複雑だ。宮永俊一社長は、経営支援するにしても「株主にきちんと説明できる範囲内」で慎重に判断するとしていた。相川氏の実父で元三菱重工会長・社長の賢太郎氏が「週刊新潮」(新潮社)上での放言も、同社内や三菱グループ内で強い反発を呼んでいた。その上、05年の三菱重工のコミットを「やり過ぎ。過剰なコミット」との見方が社内にあって、大宮英明会長、宮永氏とも動きたくても動けない。

 三菱グループの落日の間隙を、日産が巧妙に衝いた。

安い買い物


 三菱自は日産や日産販売店にも、生産中止に伴って発生した損失を補填する。日産に対する補償は最低でも300500億円になると試算されている。日産側は「責任をとってもらう」と強硬姿勢だ。キャンセル分や販売機会を失われた分についても補償を求めるほか、日産ブランドが傷付いたことに対する補償も要求することになるだろう。

 04年秋に三菱自は再建策を話し合った過程で、東京三菱銀行(当時)を中心に軽事業を日産に売却する話が浮上し検討された。だが、三菱重工が強く反対したため、この計画は実現しなかった。一方、日産は軽の開発・生産を何度も検討したが、「単独で利益を出すのは難しい」との結論に達し、三菱自からOEM供給を受けている。自動車業界では、今回の不正は日産が軽に自前で参入する最後のチャンスになるかもしれないといわれていた。

 三菱自512日の株価ストップ高80円高)の575円。12日の終値で計算した時価総額5656億円。日産が燃費データの偽装で被った被害額を500億円と見積もってそれを相殺しても5156億円。このうち軽がどの程度の比重になるかは不明だが、破格の2373億円の投資で落ち着いた。

 

 日産三菱自の株式を1468円で引き受ける。三菱自の株価は偽装発覚前日の終値864円)に比べて4割以上、安い。燃費偽装が発覚した翌日の421日から511日までの三菱自株価や売買高を勘案して日産は買い取り価格を468に決めた。日産の傘下に入ることが決まり、株価は512日にはストップ高80円高)の575円。13日も605円で始まった。

 日産は、安い買い物をしたことになる。
(文=編集部)

http://biz-journal.jp/2016/05/post_15094_1.html

(続く)