日本近代化の流れ(7)

さて五箇条のご誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」の真意とは、どう解釈すればよいのであろうか。一般的には、単純に現在の民主主義を連想するのが普通であるが、もう少し深い意味があるようである。

 

http://datas.w-jp.net/theImperialCovenantOfFiveArticles.htmlEternityに、納得の行く解説がある。それを紹介しよう。この項は小生のブログ「ヨーロッパと日本」より引用しているが、現在はこのURLは削除されていて、ない。

 

 

「広く会議を開催して、政治上の全ての事柄は公の議論を通じて決めようではないか」と言う意味と小生は解釈するが、この思想は、古くは聖徳太子の「十七条の憲法」に既に盛り込まれていると言う。

 

「十七条の憲法」の第十七条がそれである。「現代語訳」が記載されているのでそれを引用する。

 

[十七にいう。物事は1人で判断してはいけない。必ずみんなで論議して判断しなさい。些細なことは、必ずしもみんなで議論しなくても良い。ただ重大な事柄を論議するときは、判断を誤ることもあるかもしれない。その時みんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。] と言うものである。

 

ここで言う「道理にかなう結論」と言うモノは、現代の多数決の民主主義とは大いにその趣をことにしている。今の民主主義は、個人の意見をぶつけ合うものであり、個人の意見を押し通すこととなる。そのために多少の妥協や修正も行われるかもしれないが、結局は多数決となり強いものの意見が往々にして通ることとなる。従ってその場合には必ずしも「道理にかなう」モノにはならないこともあろう。

 

この「万機公論に決すべし」とは、「もっとも理を得た結論を出すための、各人が知恵を出し合って最良の道を共に探る公議(社会全体の議論)公論(公平な議論)」なのである。要するに、議論は個人の利害から離れて、社会全体に対して理にかなったやり方を求めよ、と言っているのである。そういう意味では、利己心をはなれて”公おおやけ”にとって最善と思われる策を論じ合うと言う、現代民主主義を更に発展させたと言うか超越したところに基準を置いているのである。

 

なお、聖徳太子の「十七条の憲法」の第十条には、この民主主義の考えも述べられていると言う。

 

また、昭和天皇裕仁ひろひと陛下はこのことを深く理解されていたため、終戦翌年の1946年(昭和21年)1月1日の「新日本建設に関する詔書」(年頭の詔書)に、このご誓文の条文を加えることをご自身でご提案されたのである。

 

昭和天皇はそのことを次のように述べられている。

 

それが実は、あの詔書天皇の意思表示の公文書)の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義と言うものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。

 

この新日本建設に関する詔書」(年頭の詔書)には、

 

「・・・朕は爾(なんじ)等国民との間の紐帯(ちゅうたい)は、始終相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以って現御神(あきつみかみ、天皇を尊んで言った語)とし、且(かつ)日本国民を以って他の民族に優越せる民族にして、延(ひい)て世界を支配すべき運命を有すとの、架空なる観念に基づくものに非ず。・・・」

 

という文言があり、これが自らの神格性を否定した部分であり、これは昭和21年元旦の各新聞の一面で「天皇人間宣言」として、紹介されたのである。

 

人間宣言」をした昭和天皇は、その後、全国を「巡幸」し、国民の歓迎を受けた。人々は「咽び泣いた。万歳を叫んだ」(戦後最初の侍従長の大金益次郎の著作『巡幸余芳』)のであった。

(続く)