日本近代化の流れ(17)

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幸いにも日清戦争は、このような経過をたどりながら日本の勝利となったものの、もしも日本が負けていたとしたらどんなことになっていたであろうか。南西諸島や場合によっては鹿児島県などは、清国に割譲されていたかもしれない。尖閣諸島どころの問題ではない。

 

そして朝鮮は完全に中国のものとなり、搾取され続けていた事であろう。だから朝鮮の近代化は、ずっと遅れていた事であろう、否、近代化はされなかったことであろう。

 

しかし清国の落ちぶれた状況を鑑(かんが)みると、朝鮮はロシアに取られていたであろう。だからどちらにしても朝鮮と言う国は無くなっていた筈だ。中国もどうなっていたかわかったものではない。

だから「朝鮮は日本(人)が作った」と言われる所以(ゆえん、訳・理由)だ。

 

何度でも言うが、日清戦争は「朝鮮を独立させるために、日本が果敢にも中国(清国)と戦った戦争」であったのである。日本の大陸侵略のための戦争などでは、なかったのである。日本は朝鮮独立の目的の他に、不平等条約の改正が悲願でもあった。そのため日本が近代国家であることを国際社会で認められることも目的の一つであり、日清戦争開始直前の1889年には憲法を発布している。

 

現代の中国は、明らかにならず者振りを強めている。もともと馬賊・匪賊の国柄であるから、南シナ海の状況が落ちついてきたので、今度は東シナ海への侵略を強めてくる事であろう。

 

その中国の「日清戦争開戦記念日」では、盛んに甲午戦争を振り返るキャンペーンを張っている。

 

このことはすでにこのブログでも述べているので今更という感もあるが、中国の内部では、この日清戦争(甲午戦争)の敗北の原因は、どちらかと言うと日本の大陸征服と言う明確な戦略にあった、などと自分勝手な屁理屈をつけており、だから「中華民族の偉大な復興」の原点はこの甲午戦争での敗北だなどと、人民に強調している。

しかも東日本大震災や直近の広島での土砂崩れなどの災害のあとには、日本は好戦的になりやすいなどと、盛んに日本への侵攻を示唆している。

 

そんな事もあろうかと、仔細にこの日清戦争の原因を、当ブログで探っていたのである。明らかに日清戦争は中国に非がある。これは当時の国際社会も認めていた事である。(豊島沖海戦や 高陞号事件など、下関条約不平等条約などではないと国際的にも評価されたものであった。)

 

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その第2条には「清国は次の土地の主権とその地方にある城塁、兵器製造所や官有物を永久に日本の物とする。・遼東半島、台湾、澎湖諸島及びそれらの付属諸島嶼」とあり、これに対して露独仏の三国干渉がなされ遼東半島は返還せざるを得なかったのである。このロシアが主導した三国干渉が、10年後に起こる日露戦争の原因となるのである。

 

 

日清戦争1894.7.25豊島沖海戦高陞号の撃沈で始まり、1895.7.25下関条約で終わっている。今まで述べてきた以上に色々な戦いがあり、1894.11.18秋山好古少佐引きいる750名の捜索騎兵隊と砲6門を持つ6,000人の清国部隊との旅順近郊の『土城子の戦闘』は日本軍の敗北であった。死者11名、負傷者37名を出す苦戦を強いられたが、その戦闘などでの日本軍戦死傷者の生首が鼻や耳などをそがれた状態で、道路脇の柳や民家の軒先に吊るされていたり、体を切り刻まれて放置されていたのである。

 

しかも旅順市街では清国兵は軍服を脱ぎ捨て便意兵となっていので、敗残兵となって攻撃してきたため、日本軍は民間人との判別には苦労していた。しかも土城子での日本兵死者への残虐な扱いに対して激高していたため、便意兵との戦闘では手荒な戦いとなったものと思われる。またその過程では民間人も道連れになったやも知れず、便意兵と戦わざるを得なかったことを考えるとそれもやむを得ないことであった。そのためアメリカの新聞記者らは、「虐殺」と報道した。これを『旅順口虐殺事件』と言われているが、これも事の起こりは清国側にあった。

 

 

日清戦争のその他の経過については、小生のブログ「日清戦争開始120年に考える。」(主として'14.9.15~)や「日韓併合100年」(主として'10.10,3~)などを参照願う。

 

 

さて日清戦争についてはこれくらいにして、次の日露戦争に話題を移そう。

(続く)