日本近代化の流れ(23)

(6)ユダヤ系アメリカ人ジェイコブ(ヤコブ)・シフによる資金援助

 

1904年1月12日御前会議では、最終的に、日本の要求が受け入れられなければ開戦することを確認する。そして必要な金を工面するために日本銀行副総裁の高橋是清を、イギリス・アメリカに派遣する。そしてアメリカを味方につけるために、金子堅太郎を派遣し世論に訴えさせた。

 

高橋是清の金策にはかなり苦労した。外部環境はすこぶる悪かった。極東のちっぽけな島国が世界一強大なロシアと戦って勝てるわけがない、と言うのが当時の常識であった。

 

高橋のロンドンでの金策中に、幸いにも然る晩餐会でアメリカの銀行家ジェイコブ・シフの隣席に席を取り、日露戦争の話をする。するとそのシフが残りの外債500万ポンドを引き受けてくれた。

その後も日本はシフの協力により、合計6回、総額13億円ほどの外債を発行した。1903(M36)年の日本の一般会計歳入が2.6億円といわれていた時に、である。そしてこのシフの資金援助のお陰で日本は、帝政ロシアに勝利することが出来たのである。その結果、帝政ロシアは崩壊していった。

 

ジェイコブ・ヘンリー・シフはドイツ生まれ(1847年1月10日生)のユダヤ系アメリカ人である。18才(1865年)のときにアメリカにわたり、銀行の出納係から身を興し、後に大銀行家となる立志伝中の人物である。そして常にユダヤ人社会への強い絆を感じ続け、慈善という形で同胞のために貢献した、とWikipediaには書かれている。ロシアでは1881年と19034月に、大規模なユダヤ人迫害事件ボグロム)が発生しており、沢山のユダヤ人が殺されている。ロシア皇帝は反ユダヤ主義を広め、皇帝への反抗をそらせるためにボグロムを利用していた。そのため「ロシア帝国に対して立ち上がった日本は神の杖である」と、ユダヤ系アメリカ人のシフは後の回想録に記していると言う。

 

日露戦争後の1906年、シフは日本に招聘され、3月28日に皇居を訪れ、明治天皇より最高勲章の旭日大綬章を贈られている。そして1966(昭和41)年、イスラエルのモシェ・バルトゥール駐日大使が着任した時に、昭和天皇は「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。かつてわが国はヤコブ・シフ氏にたいへんお世話になりました」とお話なされたという。

 

以上のような経過をたどりながら、日本とロシアは交戦状態に入っていくのである。

 

 

その前に一つジェイコブ(ヤコブ)・ヘンリー・シフについて、述べておきたい。

 

シフとロスチャイルドは、フランクフルト時代には、隣合う家に住み旧知の仲であった。この時すでにお互いに金回りはよくなっていた様だが、ロスチャイルドがアメリカで成功すると、シフはアメリカに派遣されロスチャイルドの総支配人の地位につき、更にはイルミナティ系のクール・ローブ商会の共同経営者となっている。クール・ローブ商会はその後「リーマンブラザーズ」に吸収されている。

 

そんな時に高橋是清が、日露戦争の戦費調達にロスチャイルドに融資を依頼するが、断られている。ロスチャイルドはロシアのカスピ海にあるバクー油田の利権を得ようとしていたため、正面切ってロシアを敵に回すことが出来なかったからである。そのためロスチャイルドは、シフを通じて日本に融資しようと企てたのである。だからどちらかと言うとシフの方から、高橋是清の前に現れた、と言った方が合っている様な邂逅(かいこう、めぐりあい)であった。

(続く)