日本近代化の流れ(27)

これらの事態に直面したセオドア・ルーズベルトは、日本人のすごさを知り将来太平洋とアジアで覇権をめぐり戦争となることを直感したと言う。そしてハワイに星条旗を掲げて大艦隊を配置して、日本の脅威に対処しなければならない、とオレンジ計画を遂行していったのである。

 

だから彼セオドア・ルーズベルトは、決して親日家でも知日家でもなく、「嫌日」、「反日」であった。日本の教科書は間違っている。

 

正しい日本の歴史」(http://rekisi.amjt.net/?p=1312)なども参照されるとよい。

 

彼はもともと好戦的で、キューバをめぐってスペインと戦争する時には、勤めていた海軍省を止めて陸軍に志願して、 1898.5.19にラフライダーズ(荒馬乗り)連隊の中佐として指揮を執り、キューバに侵攻し乱暴狼藉を働いている。

 

日本に落とすべく原子爆弾の開発を進めたフランクリン・ルーズベルト(第32代大統領)はセオドア・ルーズベルト(第26代大統領)の五従弟にあたる。ルーズベルト家の元はユダヤ系オランダ人クラウス・M・ローゼンベルツで1649年にオランダから移住し、二代目で名前をルーズベルトに改めて、更にセオドアとフランクリンの二つの家系に分かれた、とWikipediaに記載されているが、このルーズベルト家もユダヤ系であった。

 

F.ルーズベルトに核爆弾の開発を進言したあの有名なアルベルト・アインシュタインユダヤ人であり、原爆開発を推進したマンハッタン計画を主導したジュリアス・ロバート・オッペンハイマーユダヤ系アメリカ人であった。

 

以上みてきたように日本を戦争に巻き込んだり、大量殺戮を意図した核を開発したり、日本に核を投下することを決めたりした人物は、すべてユダヤ人ユダヤ系人物であった。

 

だから、昭和天皇が「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。かつてわが国はヤコブ・シフ氏にたいへんお世話になりました」とお話されたことは、まさに事実であったのですが、杉原千畝氏の「命のビザ」がありながら、残り全部は「日本人はユダヤ民族に大変な目にあわされました。」と言ったことの方が、恐れ多くも正しいのではないかと思っている次第です。

 

まあ日露戦争を遂行できたことの方が、原爆を落とされて多くの日本人が虐殺されても、ロシアに勝利して日本国として独立を維持できたことの方が意義深いかもしれない、などと思ったりもしているのであるが。

 

F.ルーズベルトの次の大統領のハリー・S・トルーマンは、日本への原爆投下命令書にサインした大統領であり、更には援助していた国民党軍(蒋介石)への援助を止めてしまい、結果として毛沢東率いる中国共産党が中国を支配することになる原因を作った大統領でもあり、そして朝鮮戦争を引き起こす原因を作った大統領でもあった。それでもアメリカでは、偉大な大統領と尊敬されていると言う。

 

 

一応日露戦争の勝利で日本は一等国の仲間入りは出来たものの、アメリカからはことあるごとに嫌がらせを受けることになり、結局は「大東亜戦争」に引っ張り込まれることになる運命であった。ロンドン軍縮会議等は、その最たるものであった。

 

 

さて、詳しい日露戦争の内容とその後の歴史は、以後小生のブログ「日韓併合100年」を参照願うこととして、次のテーマ「日韓併合」に話を移そう。

(続く)