日本近代化の流れ(53)

このような事実があるにも拘わらず、この手の支那人の極悪非道な行いを、日本軍が行ったとした漫画を描いて、得意になっている非国民がいる。

 

この漫画は中沢啓治と言う輩が書いた「はだしのゲン」というものだ。

 

この漫画は、佐々木テンさんの目撃談を読んだ人には、支那人が通州で日本人に対して行った

蛮行を余すことなく示したものであるということはすぐにわかるものである。にも拘らず、日本軍の蛮行として描いている。しかも天皇陛下を「最高の殺人者」呼ばわりまでしている、まったくの不埒者である。これはhttp://blogs.yahoo.co.jp/hisao3aruga/38427076.html に載せられていたものであるが、中沢啓治は典型的な支那の宣伝工作員、と断じている。

f:id:altairposeidon:20170123210204g:plain

是非ともこの↓ブログを参照願いたい。

中沢啓治死去「はだしのゲン」の作者・天皇陛下を「最高の殺人者」「戦争狂」呼ばわりし、支那軍の蛮行を日本軍の仕業にすり替え、在日朝鮮人は無理やり連れて来られたと嘘八百の愚劣極まりない極左のプロパガンダ

http://blogs.yahoo.co.jp/hisao3aruga/38427076.html 

 

 

中沢啓治は、きっと中国共産党の手先で、共産党員だったのでしょう。

 

特に共産党の党是「共産化こそが歴史の進歩であるから、共産化のためには虐殺・謀略・陰謀、破壊工作・テロ、虚偽宣伝などあらゆる手段が許されせる」というものを、支那人金科玉条としているから、空恐ろしいと言わざるを得ない。この通州事件は、そのことを現実のものとして世界に示したものである。中沢もこれに殉じたものであろう。

 

2017.1.5の当ブログの➄で示したように、通州事件中国共産党が計画し、実行したものであった。国民党の二十九軍の軍長の宋哲元や通州保安隊の隊長らを、共産党工作員たちが仲間に引き入れていたもので、それぞれの部隊には共産党員や共産党シンパが沢山いたものと思われる。この通州事件には、教導総隊という学生部隊や国民党軍本体が動員されていることからも、国民党軍全体に、上から下まで相当数の共産党員が存在していたことが理解されるものである。

 

中国共産党はもちろんのこと、日本共産党も、決して例外ではない。一種のテロ組織と看做して、扱うことが必要である。

 

 

 

 

 

邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触

2017.1.4 09:18

中国-北京市通州区

 日中戦争193745年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された377月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の中国人部隊が、中国共産党の扇動工作を受けていたことが、中国での研究で明らかになった。日中戦争は今年で開始80年となるが、「抗日民族統一戦線」の結成を急ぐ当時の共産党が、敵対する親日政権の軍・警察組織離反を働きかけたことで、惨劇につながる蜂起の素地が事前に形成されていたことが裏付けられた。(編集委員 山本秀也

                   ◇

 通州事件を起こした「冀東(きとう)防共自治政府」(所在地・通州)の「保安隊」をめぐっては、国民党政権の軍・地方長官と保安隊幹部の通謀が判明する一方、共産党の関与に関しては、日本では可能性が指摘されながら実態が明示されていなかった。

 共産党の関与を示す研究は、党史や地方史に関する報告として、河北省唐山市の機構が運営する研究サイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「国家人文歴史」などで、近年相次ぎ公表された。

 それによると、河北省周辺での地下活動を統括した共産党北方局(劉少奇書記)の下で、「黎巨峰(れい・きょほう)」「王自悟(おう・じご)」という工作員が、35年の冀東防共自治政府の成立直後から、保安隊の張慶余(ちょう・けいよ)・第1総隊長、張硯田(ちょう・けんでん)・第2総隊長と関係を構築した。

 この接触で、共産党は「抗日救国に一致団結する大義」を張らに植え込んだほか、保安隊内への浸透も進めた。

 さらに、盧溝橋事件に始まる日中戦争以前に華北一帯で頻発した抗日活動も、共産党の工作が奏功したものだと指摘。

 実例として、3611月、河北省昌黎県を列車で移動中の山海関守備隊長、古田竜三少佐ら日本軍将校5人が、同じ保安隊の兵士に拉致された事件について、共産党に影響された張硯田の指示だったことを明らかにした。

 3536年当時、毛沢東率いる共産党は、陝西省北部の根拠地で国民党軍の包囲を受けつつ、党勢の立て直しを模索。国民党や親日勢力を取り込む「抗日民族統一戦線」の構築を方針に掲げ、国民党などの支配地域で地下工作を進めていた。

 保安隊工作にあたった黎巨峰は、小学校の教員を務めた地下党員。「通州兵変(クーデター)の推進役」として評価される。事件後は河北省東部(冀東)地区で共産党武装組織の幹部となり、388月に同省楽亭県での暴動を組織した。

 張慶余らは、盧溝橋事件(3777日)で日本軍と衝突する二十九軍の軍長などを務めた国民党の宋哲元らと事前に通じ、資金を供与されていたとされる。

 通州事件で、保安隊は728日の深夜から行動に移り、第1総隊が日本軍守備隊の攻撃、第2総隊が外部との連絡切断、教導総隊が駅の制圧と日本軍増援部隊の阻止を担当した。共産党が蜂起計画に直接関与したのか、あるいは一般居留民の被害まで想定していたのかはなお不明だ。

 蜂起を指揮した張慶余らは通州事件の後、国民党軍の中将となり、戦後まで生存。中国では「抗日将領」として評価されている。

                   ◇

 【用語解説】通州事件

 日中戦争開始直後の1937729日未明、北京の東にある通州(現・北京市通州区)で、親日地方政権「冀東防共自治政府」(殷汝耕=いんじょこう=政務長官)の保安隊が蜂起した事件。自治政府、日本軍の関係機関のほか、日本人居留民が襲撃され、朝鮮半島出身者を含む200人あまりが死亡した。多くの女性や子供が、きわめて残虐な方法で殺害されたことで、日本の国内世論を激高させた。

http://www.sankei.com/world/news/170104/wor1701040025-n1.html

(続く)