まあ大雪の鳥取の国道でクルマが数百台立ち往生した場合を考えると、とてもじゃないがEVだと何の役にも立たない、と言う事が理解できぞっとする。それこそ雪かきされた雪と同じようにEVは、道端に放置されることになろう。
EV,EVと騒いてはいるが、そう考えるとEVは全く特殊なクルマなのでしょう。オールマイティでは絶対にない。雪の季節では、豪雪地帯ではEVは邪魔者扱いされるだけの存在なのであろう。
2040年までにはICEVは禁止されてしまうことになるフランスやイギリスでは、こんな時には運搬は何に頼ることになるのであろうか、などと考えてしまう。FCVであれば、こんな時でもガソリン車の代替になれるのではないのかな。
それでも「パリ協定」の手前、EV(FCVも)化は進展してゆくことになろう。このEV化の流れは留まることはないであろう。ただトヨタはこの流れに乗り遅れているような感じがするのである。だから小生は、トヨタはこの流れに乗らなくてはならないのではないのか、と危惧しているのである。
トヨタも今年のル・マンで、WEC(ル・マン)からは撤退するつもりであったのではないのかな。当然優勝するつもりであったので、優勝して撤退すると言う図柄を考えていたものと思う。それだけTS050 HYBRID の性能は十二分に高かったようだ。
豊田章男社長も TS050レーシングハイブリッドプロジェクトリーダーの村田久武氏も、今年のル・マンの開始冒頭のインタビューでは、「来年もルマンに挑戦を続けるのか」という問いに対しては明言しなかったと言うではないか。これは「挑戦しない」と言う事を意味する、と推察できる。
当然次世代環境車の開発に集中するためである。トヨタは当面の次世代環境車の主軸はハイブリッド車と位置付けてはいるが、PHV、EV、FCVへの開発、特にEVへの開発へも注力しなければならない状況に落ちいっており、相当焦っていたのではないのかな。
欧州や米国では、猫も杓子もEVへ、EVへとなびいているからである。トヨタの考え(というよりも豊田章男社長の考え)は、次の論考でなんとなく解るのではないのかな。
豊田章男社長にル・マンで聞いた話
トレンド・ボックス
「日本でもこういう場を作っていきたい」
2017年7月6日(木)
藤野 太一
あれから365日。
「あの悔しさはすべて、伏線だ。」
と、自らを鼓舞し、TOYOTA GAZOO Racingは6月17~18日、WECの第3戦、ル・マン24時間レースに挑んだ。
WECとは、FIA世界耐久選手権(FIA World Endurance Championship)の略称で、世界三大レースのひとつとされる「ル・マン24時間レース」を含む耐久レースのシリーズ戦だ。2017年シーズンは世界9カ国、全9戦が開催される。
ちなみに、今年ル・マンで優勝した車両の走行距離は5001.23km、平均速度208.2km/hだ。この距離はどのくらいか。高速道路でいうと青森東ICから、桜島の西にある鹿児島ICまでが約2000km。本州の北端から九州の南端まで走り、もういちど青森まで戻って、さらに折り返して豊田東JCT(名古屋の少し手前)まで、平均時速200kmでまる1日走る、ということになる。マシンにもドライバーにもサポートするチームにも、とんでもない負荷がかかることが分かるだろう。
昨年のル・マン24時間レースで、トヨタは23時間57分、ゴールまで残すところ3分を切るところまでトップを走っていた。しかし、無情にもマシンは止まった。詳細は昨年の記事を参考にされたい(「ル・マン敗北、豊田章男社長の言葉の意味」「『勝利』と『人材育成』、トヨタが挑む二律背反」)。
挑戦は今年も退けられた
それゆえ、今年のルマンにかけるトヨタの意気込みは、相当なものだった。
マシンの名称こそ「TS050ハイブリッド」と昨年と変わらないが、中身は全面改良と呼べるほど手が加えられていたという。その言葉のとおり、4月の開幕戦、イギリス・シルバーストーンでいきなり優勝。5月のベルギーのスパ・フランコルシャンは、ルマンを見越してマシンを通常の2台から3台体制(7号車、8号車、9号車)に増員し、1-2フィニッシュを成し遂げた。
そして6月、開幕2連勝を遂げたトヨタは意気揚々とフランス、ル・マンに乗り込んだ。練習走行から好調で、予選では小林可夢偉選手が従来ポルシェがもっていたコースレコードを2秒も更新する3分14秒791という驚異的なタイムでポールポジションを獲得した。関係者もファンも、今年こそはいける、と確信していた。
しかし、結果はすでに多くのメディアで報じられたとおり、ポールポジションからトップを快走していた7号車がスタートから約8時間後にクラッチトラブルでストップ。続いて9号車も他車により追突をきっかけにリタイヤ。残る8号車は、フロントモーター回りのトラブルでピットイン後、約2時間の修復を経たのち走行を続け総合9位でチェッカーを受け、レース後、上位車両の失格により8位となっている。
昨年のレースを日本で観戦していた豊田章男社長が、レース後、チームにかけた言葉が「その場にいてやれなくてごめん」というものだった。例年、ル・マンは株主総会と日程が重なるため、参加できなかったのだという。今年の株主総会は6月14日、まさに第1回目の予選日だった。17日の決勝には十分間に合う。社長就任後初めてル・マンを訪れた豊田章男社長に、インタビューする機会が得られたので、ここでその模様をお届けする。
ル・マンでだってホテルは足りていない
社長に就任されて初めてのル・マンということですが、その印象は
豊田章男社長(以下、豊田):オーケストラだなと。スタートの時に流れたあの音楽がね。ああいう雰囲気はニュル(ニュルブルクリンク、ドイツのサーキット)にも無いですよね。
それと、やっぱりヨーロッパだなと感じました。日本でモータースポーツというと、観客収容人員がどうだとか、周辺に渋滞を起こすとか、すぐにネガティブな話ばかりになってしまう。ホテルのキャパシティーが足りないとかね。
豊田:でも実際、ここだって無いですよ(笑)。だけど、そのないない尽くしの中で、みんなで成り立たせようという思いが、どこか村祭りのような雰囲気を感じさせるんじゃないかと思うんです。ニュルもここも両方を見て、正直うらやましいなと思います。日本でも規模は小さくてもいいから、24時間レースができれば、そうするとプライベートチームが出られるようになる。
われわれはワークスの立場で出ていますが、ワークスが成り立つのはプライベーターがあってのことです。そこから町のチューナーや部品メーカーさんといった、裾野が広がることが必要なんです。単にワークスが強ければいいということではなくて、全体の底上げが重要で、それをここにいる(トヨタの)人たちにも何か感じ取って日本に帰って欲しいですね。
F1などと違って、WECやニュルなどはアマチュアドライバーがプロと一緒に走れる、それが1つの魅力だと。
豊田:そうすると若手が鍛えられるじゃないですか。私だって、はじめてニュルに出たときは、アマチュアもアマチュア、ド素人でした。それがいまはね、(開発者たちに)最後のフィルターだとかね、少し偉そうなことを言えるようになったんですから(笑)。そういう意味で人材育成の場としていいもので、あらためて、日本でもこういう場を作っていきたいと思いました。
(続く)