うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(14)

サイゴン「韓国軍慰安所

そして七月二十五日深夜。

誰もいない支局小部屋で、いつもように犯罪記録公文書を一枚一枚剥ぐように読み込んでいると、一通書簡に行き当たった。

書簡サイゴン(現ホーチミン市)アメリカ軍司令部から、同じくサイゴン韓国軍司令部に送られたもだった。

宛先ベトナム駐留韓国軍最高司令官・蔡命新(チェ・ミュンシン)将軍だ。 こ書簡に日付記載がなかったが、年代順に整理された他公文書や記載内容を基にした関連取材で、六九年一月から四月間に書かれたもと推定された。 書簡主題、韓国兵が関与した経済事件に関するもで、不正な通貨を用いて米軍軍需物資が大量に横流しされていると指摘されていた。

一連犯罪行為舞台うち一つが、サイゴン市中心部にあったという「The Turkish Bath」(トルコ風呂)だ。

「トルコ風呂」について書簡、「売春行為が行われていて、ベトナム人女性が働 かされている」と説明している。

そして、主題である通貨不正事件捜査ために、米軍とベトナム通関当局が共同で家宅捜索を行って、そ結果を、次ように記していた。

施設韓国軍による、韓国兵専用慰安所Welfare Centerである」(The Turkish Bath was a epublic of Korea Army Welfare Center for the sole benefit of Korean Troops.

驚いて何度も読み返したが、米軍司令部がこ施設を「韓国軍韓国兵ため慰 安所」であると捜査に基づいて断定している。

そして、米軍司令部韓国慰安所と指摘するにあたって、二つ根拠を示して いた。

まず、押収資料中から、韓国兵福利厚生を担当する特務部次長任にあった韓国軍大佐署名入り書類が見つかり、そ書類に韓国軍による韓国兵専用慰安所であると示されている事

さらに、家宅捜索でこ施設から押収された物資について、韓国軍幹部がベトナム税関当局に対し返還を求める書類を提出した事実を、対して、経済犯罪に関わった疑 いある大佐や中佐など、韓国兵六名実名を通報した。

友軍司令官に部下犯罪行為を指摘する書簡だけに、そ文章捜査と証拠に基づいていて隙がない。

今回、米国公文書によって初めてそ存在が明らかになった、サイゴン「韓国軍慰安所」と、一体どように運営されていただろうか。

すぐにでもベトナムに飛んで現地取材をしたかったが、ワシントン支局長という立場上長期間アメリカを離れる事難しい。

そこで私当時サイゴン風俗事情に詳しい人間がアメリカにいないか、そしてできれば問題施設そを知る人物がいないか改めてリサーチを開始した。

まず、当時米軍関係者とベトナム系アメリカ人に照準を絞って、アメリカにおけるベト ナム関連ネットワークを探した。

関連フォーラムに出席したり、米政府退役軍人省データベースを調べたりして、連絡先判明した関係者に虱つぶしに手紙や E メールを送った。

また、サイゴンに住んだ経験ある人証言を得る為、ワシントン郊外バージニア州 ベトナム人集住地区新聞に情報提供を求める広告を出した。

すると、ほどなくして広告を見たアメリカ人から E メールが来た。

ハンス・イケス氏(70)。

六〇年代後半にアメリカ通信インフラ会社からサイゴンに派遣され、そ後数年間にわたってベトナムとアメリカを往復したというイケス氏、今バージニア州東部で年金生活を送っている。

若くして訪れたサイゴン印象が強烈だったという事で、当時様子を饒舌に語 ってくれた。

しかし、トルコ風呂について質問が及ぶと、周りを憚るように声を潜めた。

「『トルコ風呂』、当時サイゴンにいた人間で、『射精パーラー』(Steam and Cream Parlor)と呼ばれていました。

若いベトナム人女性から性的サービスを受けることが出来たからです」

サイゴン駐在経験ある米軍OB 、匿名を条件に次ように証言した。

「トルコ風呂で働いているほとんどが二十歳未満農村部出身少女だった。 十六歳だと語る人もいたし、もっと若く見える女子もいた。

素朴で華奢な少女達に夢中になる兵士も多く、彼ら周りからYellow Fever(黄熱病) と揶揄されていた」こうした証言を通じて、当時サイゴントルコ風呂が、かつて日本と同じく売春施設別称であった事明らかになってきたが、問題韓国軍慰安所を知っている人物なかなか辿り着けなかった。

そして、作業を続けて半年程経った頃、ベトナム戦争を戦った経験ある米軍 OB から E メールが送られてきた。

アンドリュー・フィンライソン氏(71)。

海兵隊歩兵部隊長として六七年から二年八カ月に渡ってベトナム戦争を戦い、サイゴンじめ南ベトナム各地を転戦。

退役後紛争地域軍事顧問団として活躍し、ベトナム戦争に関する著作も発表している研究者だ。 早インタビューを申し込むと、快く応じてくれた。

 

「休息と回復期間」兵士

朝晩冷え込みが厳しくなってきた昨年初冬、アメリカ東海岸バージニア州小さな ホテルに現れたフィンライソン氏、黒いタートルにジャケットを着た、温厚な容貌紳士だった。

だが、衣服越しにも明らかな分厚い胸板と鋭い眼光が、元海兵隊幹部という肩書きを裏付けていた。

韓国軍慰安所、確かにサイゴンにありました。

よく知っています」そ体躯とうららに、フィンライソン氏語り口、研究者だけあってあくまで知的で静かだった。

南ベトナム各地農村偵察部隊責任者として、韓国軍と連絡調整に従事した経験があり、韓国軍実情に詳しかった。

「米軍司令官が指摘している韓国慰安所と、韓国軍兵士に奉仕するため大きな性的施設です。

韓国兵士にセックスを提供するため施設です。それ以外何もでもありません」

フィンライソン氏によれば、問題施設、トルコ風呂としてかなり大規模なもだっ たという。

後取材で、施設が入っていた建物が今なお現地に存在する事が確認され、問題施設が隣接する二つビルを合わせて一つ施設として一体的に運営されていた事や、通り向かい側にも別棟があるなど相当な規模で運営されていた事がわか った。

しかし、フィンライソン氏によれば、サイゴン市内別場所に、これよりもさらに大 きい慰安所があったという。

これら施設、内部が多くブロックに分かれていて、一区画に二十人前後ベト ナム人女性が働かされていたという。

韓国軍が、なぜサイゴン市内に大規模な慰安所を作らなければならなかったかを尋ると、フィンライソン氏即座にこう答えた。

韓国兵がベトナム人女性をレイプしたり、個別に性的関係を持ったりするを防ぎたかったからです。

また、韓国軍将校が農村で女性を売春婦として囲う恐れもあり、こうした行為ベトナ ム社会と韓国兵間で政治的トラブルに発展する危険性がありました」「また軍にとっ て性病も重大な懸念でした。

慰安所ならば慰安婦健康を管理できます。

当時南ベトナムで性病が深刻な問題になっていて、特に梅毒が蔓延していました」 ベトナム戦争当時、一定期間前線で戦った韓国軍兵士、「休息と回復期間(est & ecuperation)」として戦地を離れ、サイゴンで休養する事を許された。 こ「静養中」韓国兵がサイゴンや近郊農村でトラブルを起こしたり、性病に罹っ たりしないよう、韓国軍が韓国兵ため慰安所を、サイゴン市内に設置したというだ。

韓国兵士相手をさせられたベトナム人慰安婦、どんな女性たちだったか。

フィンライソン氏、そほとんどがベトナム各地農村出身少女だったと証言し た。

「こうした売春施設で働いている女性ほぼ例外なく農村部出身きわめて若い女性でした。 彼女達が施設に来た理由様々です。

貧困ために家族に売られてきた少女もいたし、自ら意思で来た女性もいた。

彼女たち、職を失って慰安婦となった。

騙されて連れてこられた女性も当然いたでしょう」

書簡に、こ施設韓国兵専用慰安所として設立されたが、米軍など友軍兵士も特別に利用する事ができ、そ場合一回につき三十八ドルが請求されたと書かれている。

韓国軍慰安所が友軍兵士を受け入れるようになった経緯について、フィンライ ソン氏こう説明した。


(続く)