うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(16)

この調子だと、馬韓国は自国の汚点を世に晒されたくないために、今後ますますこの慰安婦像を世界中に展開するものと考えて、強烈に反撃しなければならない。2011年に挺対協が水曜デモ千回を記念して、日本軍の慰安婦として日本大使館前に設置し始めたものが最初である。今は、この少女像を世界のあちこちに設置して、そこに世界の目を向けさせて、ライダイハンと言う自国の汚点を拭い去ろうと使われ始めるのではないのかな、そんな風にも考えられるのである。

 

こんなことで日本は貶められていては、その恨み骨髄に徹する。日本は国を挙げて、馬韓国に怒りをぶつけなければならないのである。

 

馬韓国を消し去るくらいの強さで、怒りをぶつける必要がある。2002年に米軍ジープにはねられた2人の少女像も作成されたが、アメリカの力の前にうやむやになっているようだから、日本は毅然と馬韓国をねじ伏せる必要がある。

 

馬韓国は弱いと思われる相手には強く出る馬鹿な国だ。だからベトナムが弱い国だと言うわけでもないがその混乱に乗じて、馬韓国軍はベトナムでは、若い女性をかどわかしたりさらったりして軍のために慰安所を経営したのではないのかな。

 

そんな事実は、SAPIOと言う雑誌でも何度か報道されている。

 

 

韓国軍がベトナムで働いた婦女子への性暴行 現地からの報告

2014.07.12 16:00

 

 韓国軍によるベトナム戦争中の大量虐殺事件は、現代史の一大汚点である。韓国軍はベトナム全土で、100か所、推計1万人から3万人の大量虐殺事件を起こしている。

 韓国軍が行なった戦争犯罪は民間人虐殺だけではない。彼らは行く先々で婦女子への性暴行を働いた。凌辱の末に殺害された者、韓国兵の子供を身ごもる者もいた。ベトナムの大地には犠牲となった女性たちの慟哭が埋もれている

 韓国軍が繰り返した蛮行の実態を、フォトジャーナリストの村山康文氏がレポートする。

 * * *
 ベトナム南部の大都市・ホーチミンから列車と陸路で16時間。国道1号線を北上すると、南シナ海に面したフーイエン省・ドンホア県に到着する。

 国道沿いには水田が広がり、水牛が田畑を耕していた。この長閑な田舎町の風景が地獄絵図と化したのは1966年、韓国軍の駐留が始まった直後だった。

 地元紙『フーイエン新聞』のファン・タン・ビン編集長が語る。

19661968年にかけて、韓国軍はフーイエン省の海側のほぼ全域に駐留していました。ドンホア県をはじめ、フーイエン省には韓国軍による虐殺現場が点在しています」

 ビン編集長が纏めた「韓国軍による虐殺の実態調査報告書には、韓国軍の蛮行の数々が収録されている。

ベトナム旧正月に当たる1966218日、フーイエン省内の基地を移動する韓国軍が道中にあるホンドア村を襲った。韓国兵たちは村人30人を1か所に集め、若い女性を強姦した。その後、村人は銃で皆殺しにされ、井戸に放り込まれた」

「トゥイホア市のホアドン村では、シエンという名の少女が10人の韓国兵に輪姦された。彼女はその後殺害され、ナイフでバラバラに切り刻まれた」

 本誌が取材を進めると、省内のいたるところに虐殺の爪痕が残されていた。ドンホア県のホアヒエップナム村では、19661月と5月の2回に亘って韓国軍による殺戮が行なわれた。当時11歳だったグエン・ティ・マンさんが振り返る。

12日の攻撃では37人の村人が殺されました。村の男たちは捕まれば確実に殺されるので、ほぼ全員が逃げました。

 まさか、残った女と子供に手を出すとは思わなかったのでしょう。しかし、韓国兵は女と子供ばかりの村人を整列させ、1人ずつ撃ち殺していったのです」

 514日の攻撃では村人47人が犠牲となり、親きょうだい、親戚を皆殺しにされ孤児となった子供もいたという。

SAPIO2014
8月号

http://www.news-postseven.com/archives/20140712_265319.html

(続く)