うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(24)

これも小生の先のブログから引用しておこう。(2011.10.21~,NO.177~

 

 

Wikipediaでは軍人、政治家として余り評判のよい書き方はされていなかったが、朝鮮総督時代には「内鮮融和を掲げ、皇民化政策を行う。一方で農村振興と工鉱併進政策を推進したが実効性に乏しく、宇垣の次の朝鮮総督の南次郎には農村振興政策は受け継がれなかった。・・・ただし大谷敬二郎によれば、朝鮮人の間で歴代総督の中で「朝鮮人のために尽くしてくれた唯一の総督」と宇垣が高く評価されていたと回顧している。」と記されている。彼は薩長ではなく岡山の出身であったために、それほど評価されなかったかもしれない。

 

朝鮮に渡った日本の開拓農民は、悪戦苦闘の末その農業精神と農業技術を確実に朝鮮の地に根付かせていった。日本農業の集約農法や養豚、養鶏、養蚕などの多角経営など、改良農法、新式農法などは、朝鮮小作人のモデルとなり次々と朝鮮農業に普及していったとも、記されている。

朝鮮では屋外で仕事をする習慣が無かった女性達も、日本農民の老若男女の区別なく家族揃って朝から晩まで暗くなるまで農作業に勤(いそ)しむ姿に影響されて、少しずつ畑作業をするようになっていった、とも記されている。

 

この結果何が起こったかと言うと、朝鮮半島の人口が爆発的に増えたことである。朝鮮半島の人口増加は、先の'11/10/5NO.165で示したが、第2次日韓協約を結んだ翌年の1906年の人口が980万人で、日韓併合20年経った1930年の人口が1,968万人と、2倍以上の人口増加となっている。これは、人口が増える裏づけとなる食料が、日本人の指導などで増産されたことを意味する。

 

朝鮮での米の平均収穫量は反当り9斗のみで、日本の反当り平均収穫量(1石6斗)の半分程度しかなかった(日本農務省、韓国土地調査報告)。それなのに1906年から1930年の24年間で人口は2倍以上980万人→1,968万人)に増えていたのだ。

 

この間、朝鮮総督府は農業改革も着実に実施していた。朝鮮総督府は、米を略奪するどころか、農業改革、農地改革の一環として奨励金を出し、逆ザヤ制度まで設けて、その質と量とを安定させた。その結果、史上空前の米生産量倍増と言う偉業を成し遂げ、朝鮮半島の人口倍増を支える基盤を作ったのである、と黄文雄氏は続けている。

 

そして、朝鮮総督府のスタート当時(1910年)、約一千石前後だった米穀収穫量は、18年後の1928(S3)には1,700万石、1933(S8)には1,900万石と急伸した。半島の米産は、史上一度も1,000万石を超えたことがなかった。しかし、日韓合邦から20年後の1930年代に入ると、常に2.000万石を突破するようになった。また、1926年(T15)時点では、大豆と雑穀の生産も合邦当初の6割増しに達した、とも述べている。

 

 

次に米穀収穫量と人口増加を、今まで示した年代別に示す。上記では1933年は1,900万石となっているが、小生が引用した史料は1,630万石となっているので、1,630万石をつかった。1928年と1933年の人口は比例計算で算出した。

 

       米穀生産   人口     消費量

1906年            980万人

1910年  1,000万石  1,312万人 

1920年  1,270万石  1,691万人  1.085万石

1928年  1,700万石  1,913万人  988万石

1930年  1,370万石  1,968万人  830万石

1933年  1,630万石  2,066万人  760万石

1940年  1,436万石  2,295万人  1,398万石

 

米穀生産は、「日本による朝鮮の米収奪のウソ」

http://www.tamanegiya.com/tyousenn-kome-.html

 

人口は、「植民地統治の検証1」

http://mirror.jijisama.org/syokuminti1.htm

 

などを参照させてもらっている。読者諸氏も一度、是非これらのURLを訪れるとよい。

 

更には、つぎのURLも一読の価値があるので、是非訪れてみて欲しい。

 

「搾取は幻想」

http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/sakushu.html

 

 

何はともあれ、上表でもわかるように、朝鮮の人口は1906980万人→19402,295万人と34年間で2.34倍と、倍増どころか、2倍半近くも増えているのである。人口が増えるということは、朝鮮が日本のために飢餓状態にあったなどと言うことが、如何にひどい捏造で、意図的に朝鮮人たちをスリードしているかを示すものである。

 

上表における朝鮮における米の消費量が上下しているのは、朝鮮総督府の政策で逆ザヤで米を買い上げて日本などへ輸出していたからである。農民達はそのお金で米より安い雑穀などを買って食料としていたのであり、その差額が更なる儲けとなり生活水準の向上につながり、人口増加となったわけである。そのため日本国内の米は余剰気味となり、度々日本政府と朝鮮総督府とは米の輸出入で衝突している。ある意味日本の農家やサラリーマンの犠牲の上で、朝鮮の農業が蘇(よみがえ)ったのである。これらの逆ザヤは総て日本人の税金から賄われていたからである。ちなみに1941(S16)年の米価設定では、生産者の手取り価格は一石で50円だったのに対し、消費者価格は43円に据え置かれた。この差額は政府が負担している、黄文雄氏は記述している。この差額は日本人が稼いだ税金から賄(まかな)われたのである。

 

ここら辺の事情を、黄文雄は「朝鮮は日本人がつくった」の中では、さらに次のように述べている。

 

朝鮮近代史では、輸出による米価の高騰、日本商人による流通の支配、朝鮮商人の従属化、朝鮮農民は正確な米穀の相場を知らずに米穀商人の言い値で売り渡すことを余儀なくされた、などという記述が目に付く。

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この「逆ザヤ制度」は、すでに戦前の朝鮮でも施行されていた。つまり、日帝36年の農業政策は、日本国内の農民よりも朝鮮の農民を手厚く保護していたのである。

さて、こうした食糧事情の好転、また前述した衛生事情の良化により、朝鮮半島の人口は次第に増加して言った。

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豊かになったがゆえに人口が増えたのであって、日帝が搾取し朝鮮の民を貧困のどん底に陥れていたなら、このような増加などありえるはずもない。食料が欠乏している状態では、子供を増やすことなど考えられないからだ。

また、韓国人が非難するような大虐殺があったというなら、なぜかえって人口が増えているのか説明してもらいたいものだ。

 

 

と言う事で、小生のブログ「日韓併合100年」も、ちょくちょく参照頂きたいのであるが、話を戻す。

 

馬韓国政府は、「ベトナムでの強姦と虐殺への謝罪の日」を設けるべきなのに、ありもしない慰安婦問題を記憶するためにとか言って、8月14日を「慰安婦の日」と言う法定記念日を定めている。

 

全く馬韓国は、その名の通り、馬鹿と言うか頓馬と言うか、近代国家の体を成していない。こんな国は滅びて当然だ。

(続く)