うつけ者・文在寅、滅びよ韓国(56)

この問題に対してよくまとめられているし、小生の言う「慰安婦問題研究会」なるシンクタンクを作って世界に向かって誤解を正せ、と言う小生の提案にも近いことを述べている。

 

一寸長いがご一読願う。尚、( )内の注書きはブログ筆者が挿入したものです。

 

それから、小平奈緒選手、金メダルおめでとうございます。



『元海上保安官一色正春

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196713日生まれ。元海上保安官201011月、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件において「sengoku38」名で映像をYouTubeへ最初に投稿した。海上保安官退職後は執筆やテレビ出演、講演活動など幅広くこなす。12年、論文「中国の狙いは尖閣だけではない」でアパグループ5「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀藤誠志賞を受賞。著書に『何かのために sengoku38の告白』(朝日新聞出版)などがある。

 

韓国人が言い逃れ続ける「慰安婦」の嘘

『一色正春』 2016/06/12 06:48 http://ironna.jp/article/?media=16 http://ironna.jp/article/3454

 

 前回の「韓国人が目を背ける「強制連行」と「強制労働」の真実」に、引き続き日韓双方の主張が大きく異なる主な出来事のうち、今回は「慰安婦」の問題を取り上げます。
http://ironna.jp/article/3223)   2016/05/01 16:14

 

 この問題を語るにあたり最初に確認しておかなければならないのは、日本軍が朝鮮の若い女性を従軍慰安婦という名の性奴隷として集め、虐げていたという話は事実ではないということです。そう言うと「慰安婦は一人もいなかったと言うのか」などと咬みついてくる人がいますが、そういう人たちは自分たちに都合の良いように話を、すり替えているにすぎません。

 

 要は当時、慰安婦と呼ばれた兵士相手に春を鬻(ひさ)ぐ女性がいたことは事実ですが、日本という国が若い女性を拉致監禁し奴隷のように拷問や強姦した事実はないということです。このようなロジックは「虐殺はなかった」と言うと「戦争なのに人が死なない訳がない」と、微妙に言葉を変えて意図的に誤解させようとする悪質なもので、メディアで繰り返し聞かされると予備知識のない人たちはすぐに騙されてしまいます。

 

ソウル日本大使館前の少女像(中央)の周辺で開かれた「水曜集会」=6月1日(共同)


 そもそも「従軍」というのは読んで字のごとく軍に従う人たちのことで、軍隊と戦場を共にした記者や看護婦を「従軍記者」「従軍看護婦」と呼びますが、軍隊相手に戦場から遠く離れた場所で商売している人たちに使われる言葉ではありません。「従軍慰安婦」というのは、事実に反して軍との関連性を強調するために戦後に創られた言葉で、その言葉を使うこと自体が虚偽だと言っても過言ではありません。

 

 彼らは、この「従軍慰安婦」に限らず、状況に応じ巧みに言葉を変えて自己の立場を正当化しようとします。例えば強制連行の嘘がばれるといつの間にか「強制売春」、元慰安婦の年齢が若すぎて辻褄が合わないと指摘されると慰安婦像から「少女像」に、慰安婦ではインパクトが弱いと考え「性奴隷」というふうに、自分たちにとって都合の良い言葉に言い換え嘘を取り繕っています。

 

 しかし本当は、慰安婦という言葉には別の意味で、ある思いが込められているのではないかと私は思っています。本来、彼女たちは「売春婦」と呼ばれてしかるべき存在でしたが、若い兵士にとっては初めての女性だった人もいたかもしれません。戦場に散った兵士の最後の夜の相手となった人もいたでしょう。そのように彼女たちは兵士の心の支えとなる形で、ある意味、銃を持たなくとも日本のために戦っていたのです。そのような女性たちに対して「売春婦」と呼ぶことに抵抗があったが故に、先人は「慰安婦」なる言葉を生み出したのでしょうが、残念ながらそのような感覚は日本人以外には理解できません。そこを日本に敵意を持つ人間たちが利用して「慰安婦」というのは、ただの売春婦ではなく奴隷のような扱いを受けた女性たちの呼び名であるかのように宣伝した結果、日本のことを良く知らない人たちが「慰安婦」という言葉に対して誤った負のイメージを持ようになったのです。

 

 彼らは慰安婦たちに、ある程度の自由があり、彼女たちが多額の金銭を受領していたことを知りません。この慰安婦=「sex slave」という誤解は長い間、日本政府が放置してきた結果、看過できないほど世界に広まり日本のイメージを損なっています。斯くなる上は日本のために戦っていただいた方々に対して甚だ遺憾ではありますが、取り返しのつかない事態になる前に今後、我が国が対外発信する際においては、持って回ったような言い方で誤解され易い「comfort women」という表現を使用することをやめ、彼女たちの実態を端的に表現する「prostitute(売春婦の意味です。)に改めることも検討していかなければなりません。

 

 とにもかくにも彼らは御都合主義で、慰安婦問題に限らず前回話した強制連行や強制労働に関しても、最初は奴隷狩りのように集められ強制的に連れて行かれて働かされたという主張をしていましたが、それが通用しないと見るや「民間業者や末端官憲が詐欺まがいの行為で連れて行った」と言うようになり、最近は、その証拠もないとわかると、「たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果である」などと言い出す始末です。そんなことを言い出せば、家のローンを抱えて事実上、職業選択の自由がないサラリーマンが、行きたくない会社に行くのも国家による強制労働になってしまいます。

 

 仮に彼らの主張通りに売春行為を行っていた女性の人権を守れというのであれば、はるか昔の真偽不明の話よりも、今、夜の街で春を鬻ぐ女性たちを、その環境から救い出すことこそ喫緊の課題ではないでしょうか。ところが彼らは、韓国の国会議員が世界中に約10万人、そのうち日本には5万人いると国会で明言した韓国人売春婦を無視し、多額の費用を費やしてジュネーブまで出かけ「慰安婦の問題は女性の人権問題だ」などと、70年以上前の存在自体に疑問が呈されている問題を虚実取り混ぜながら国連人権理事会などに訴え、ただでさえ多忙な国連職員の業務を増やし、その結果として中東やアフリカで本物の性奴隷として囚われている切に救済が必要な人たちを見殺しにしているのです。(韓国人売春婦については、小生のブログ「馬鹿な韓国、頓馬な朴槿恵2014.1.23,NO.46~2014.2.24,NO.70~などを参照のこと)

 

 百歩譲って、もし何らかの理由により、それらの問題を差し置いて慰安婦問題にかかわらなければならないのだとしても、どうして一番数の多かった日本人慰安婦を無視するのでしょうか、朝鮮人という人種にこだわるのだとすれば、どうして韓国国内で韓国兵やアメリカ兵を相手にしていた慰安婦を無視するのでしょうか。それは、彼らが人権とは違う何か別の目的で運動を行っているからではないでしょうか。そもそも年老いた女性に思い出したくない過去を衆目の前で語らせて晒し者にした挙句、彼女たちを公衆の場において平気で「奴隷」と呼ぶ人たちが彼女たちのことを本気で考えているとは思えません。

 

 ただ、私は何も証拠がないからと言って、己の意に反して体を売らなければいけなかった女性や現代の生活と比べれば奴隷のような生活を送った人が、全くいなかったなどとは思っておりません。現代日本でも借金苦のために風俗店で働く人もいれば、少女をさらって監禁する人間もいるわけで、そのことをもって今の日本が犯罪国家だと言う人はいないでしょう。

 

 問題は、国家として日本が、そのような行為を行ったのかということで、それは証拠がない以上は認めることはできません。それにクマラスワミ報告書(インターネットで探せば出てきますので、是非読んでみてください)に書かれているような、口に出すのもはばかれるような残忍な拷問や殺害の方法は、私の知る限りでは日本の歴史上、元寇のときに元と高麗の連合軍が対馬の住民に対して行った以外に記録はありません。私には、そのような日本人が、先の大戦の時だけ無抵抗の婦女子に対して鬼畜のような行為を行ったとはとても信じられません。むしろそのような証言は、彼らが終戦後、日本人に対して行った残虐行為の裏返しではないかと思われます。私は、日本軍兵士にとっての慰安婦というのは一緒になって欧米列強と戦った戦友のようなものであったと思っており、その点では感謝しています。ですから、なおのこと彼女たちを己の欲望のために利用する人間たちを許し難く思うのです。

 

 では、なぜ性奴隷が事実ではないと言えるのかというと、それは「証拠がない」の一言に尽きます。一昨年に日本政府が行った、河野談話作成過程等に関する検討過程において、当時、事務方のトップであった元官房副長官が、日本の強制連行を裏付けるため関係省庁に調査を要請したところ何も出てこなかったので、アメリカの図書館まで探したが「それでも何一つ資料が見つからなかった。」と国会で証言しており、韓国側もソウル大学の名誉教授が3年の歳月を費やして韓国挺身隊問題対策協議会と共同で調査をおこなった結果「客観的資料は一つも見つからなかった」と発言しています(その後、同教授は韓国国内で厳しく糾弾されたためか発言を微妙に変えています)。

20142月、衆院予算委員会で答弁する石原信雄元官房副長官(左、酒巻俊介撮影)

(続く)