ハリルホジッチは2008年からコートジボワールの監督として、2010年6月11日から始まる第19回W.Cup南ア大会への最終予選を突破させていたが、その3ヵ月前の2010年2月28日に突然解雇されている。
それと言うのも2010年1月のアフリカ・ネーションズカップでは優勝を期待されていたにもかかわらず、準々決勝で敗退してしまったからである。この敗退でハリルは解雇されたわけであるが、これには政治的な理由もあったようではあるが。
翻ろうされたコートジボワール代表
エリクソン新監督任命の背景
木村かや子 2010年4月5日(月) 10:30
W杯3カ月前に監督を解任
アフリカ選手権でベスト8に終わったコートジボワール。この後、ハリルホジッチ監督は解任された【Photo:AP/アフロ】
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長いことさまよった末に、ついにコートジボワール代表監督が、スベン・ゴラン・エリクソンに決まった。この元イングランド代表監督の名は、前指揮官が解雇された直後から候補に名を連ねていたのだが、その当時、本人はあまり興味を示していないと伝えられていたのだ。しかし、後任候補の筆頭だったフース・ヒディンクが申し出を断ってから、その名が再浮上。監督解任劇から1カ月が経った3月28日夜半、エリクソンの監督就任は、コートジボワールの国営テレビで大々的に発表された。
“エレファンツ”(コートジボワール代表)の監督はなぜなかなか決まらなかったのか――。それを語る前に、まず、なぜ前監督バヒド・ハリルホジッチがワールドカップ(W杯)を3カ月後に控えた2月28日、突然解雇されるに至ったのかについて説明する必要がある。
ディディエ・ドログバ、サロモン・カルー(共にチェルシー)ら欧州トップクラブで活躍するスター選手、また現在リールでゴールを量産しているジェルビーニョといった新進気鋭の選手も擁するコートジボワールは、アフリカ最強の代表と誉れ高い。当然のように、今年1月のアフリカ・ネーションズカップ(アフリカ選手権)で優勝が期待されていたのだが、彼らは準々決勝でアルジェリアに敗れてベスト8で敗退。これが、監督交代劇の引き金を引いた。
とはいえ、パリ・サンジェルマンなどを率いたことで知られるハリルホジッチは、監督に就任して以来、アルジェリアに敗れるまで23試合負けなしの好成績を誇り、コートジボワール史上最高の監督とたたえられていた。つまり、このアフリカ選手権での黒星は、彼が指揮した24試合で初めての敗戦だったのだ。W杯が間近に迫っている時に、たった1つの黒星で解雇――常識に照らせばかなり無謀に思えるこの決断の裏には、政治的問題が絡んでいたと言われる。
「コートジボワール代表の目標は、アフリカ選手権優勝だった。政治家たちはわれわれにプレッシャーをかけ始めていた」。ハリルホジッチは解雇の直後、いら立ちを隠せない様子でこう説明した。
「何としてでも優勝しなければならない、というのが大統領からのメッセージだった。わたしには、なぜ解雇されたのか本当の意味で理解できないが、彼らは誰かを生贄(いけにえ)にしなければならず、血祭りに挙げられたのが監督だったんだ」
大統領選挙がサッカー人事に与えた影響
この不可解な行為の理由を知るには、アフリカの政府とサッカーの関係を知っておかなければならない。元カメルーン代表のパトリック・エムボマが、一度こう説明したことがある。
「代表の成績は、選挙にも大きな影響を与える。例えば、カメルーンがアフリカ選手権で優勝したり、W杯でいい成績を挙げれば、現政府や首相が次の選挙で再選される可能性はぐっと高くなるのさ。だから代表の成績は、政府にとって非常に重要なものなんだ」
コートジボワールの大統領選挙は、通常5年に一度行われ、現大統領が勝利を収めたのは2000年。ところが05年に行われるはずだった選挙が、さまざまな理由から延びに延びて現在に至っているという背景がある。07年、それから08年だと言いつつ何度も延期された後、今度は10年、つまり今年の実施が予定されているのだ。選挙の後延ばしは現政府が苦戦を予想している証拠であり、そのため、現政府と大統領にとってアフリカ選手権での代表の成績は、この上なく重要な要素だった。
そんな政治的緊迫感の中で代表が期待外れの成績に終わり、国民の怒りが爆発する中、政府は国民の支持と自分たちの覇権を守るために、大々的な手を打つ必要に迫られた。こうして、プレッシャー下に置かれたサッカー協会会長ジャック・アヌマは、自分の首を守るため、ハリルホジッチを生贄とすることを決めるのである。スポーツ面のことだけを考えれば、アフリカ選手権の1敗を事故ととり、迫るW杯を考慮して続投させた方が賢明だったはず。前監督自身が主張したように、彼は政治的思惑のとばっちりを受けたと見て間違いない。
当初は興味を示していたヒディンクだが……
次になかなか後任監督が決まらなかった理由は、単に、協会が目星をつけた候補にことごとく断れたからだった。アフリカの状況に詳しい『フランス・フットボール』誌のパスカル・フェレ氏によれば、会長は最初、簡単に代わりを見つけられると高をくくっていたらしい。国民を納得させるためには、後任監督はビッグネームでなければならない。誰をも納得させる候補は、言うまでもなくヒディンクだった。
・・・・・・・ (以後略)
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201004030006-spnavi?p=1
何はともあれハリルホジッチにしてみれば気の毒な事ではあったが、肝心な試合で敗退したことは確かな事である。それまでの23試合負けなしであったと言うので、全くの気の毒としか言いようがないのであるが、何故か運がなかったと言う事であろう。
ここでは絶対に勝たなければならないと言う事は、ハリルホジッチにしても分かっていたことであろう。ここで負けたと言う事は、ハリルホジッチは本番に弱いと言う事ではないのかな。
(続く)