女々しいぞハリル、代表監督不適格(15)

小生はそんなに(というよりも全く)サッカーに詳しくはないが、これほど連続して批判されている代表監督はいなかったのではないのかな。

 

 

ある意味、それほどヴァイッド・ハリルホジッチひねくれているのではないのかな、と感じてしまう。そして完全に彼は東洋のジャップをなめていた、としか思えないのだ。人種的偏見の持ち主であろう。何の根拠もないが、そんな感じがするのである。そうでなければ、あれほど選手たちに高圧的な態度は取れないであろうし、E-1選手権での韓国戦での「相手が日本より強いことは、試合前からわかっていた。韓国のほうが格上であり、勝利に値する」というハリルホジッチの物言いは考えられない。

 

 

彼は1952.5.15ボスニア・ヘルツェゴヴィナに生まれているが、余りフランス語は得意ではないようだがボスニア紛争でフランスに逃げ、敢えてフランス国籍を取得して現在はパリに住んでいる事からもわかろう。父はクロアチア人(とどこかで読んだ記憶があるが)、母はセルビア人だと言う。と言う事はハリルホジッチセルビア人なのかと言うと、あるところではボシュニアク人だと書いてある。ボシュニアク人とは、イスラム教に改宗したスラブ系の民族だと言う。いずれにしても、ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国は、ボシュニアク人、クロアチア人、セルビア人で構成されており、この三民族間での激烈な民族紛争が起こっている。1992年から1995年のことである。

 

それ(ひねくれ)は彼が巻き込まれたボスニア紛争にも起因している可能性も否定できない、と小生には感じられるのであるが。

 

ひねくれているということは、代表監督にとっては障害以外の何物でもない。将に監督不適格な性格ではないか。

 

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナで育ったヴァイッド・ハリルホジッチは、19才でヴィレジュ・モスタルと言うサッカークラブに入り(1971~1981)11年間プレイしている。そしてストライカーとして名を馳せ、幾度となく得点王にも輝いている。ユーゴスラビア代表にも選ばれているが、ヴィレジュ・モスタルというクラブは主流からは距離があったため、それほど活躍は出来ていない。

 

海外移籍の権利を獲得できる28才で、フランスのナントに移籍し(1981~1986)、ここでも2度ほど得点王に輝いている。1986~1987年には、パリ・サンジェルマンでフプレイするも、実母の死で故郷に戻る。そして選手時代の蓄えを投資して、ネルトバ川の西側(ボシュニアク人とクロアチア人が住む地域)で飲食店や衣料品店などを経営する。

 

1990~1992年には、彼の出身チームであるヴィレジュ・モスタルの監督を引き受けているが、1992~1995年のボスニア紛争が勃発して、彼は自宅の庭で銃弾に被弾したこともあった。彼は戦争を止めようと奮闘したが、そのため命を狙われかねない事態となり、友人を頼りフランスに逃げる。

 

その後彼の残してきた店舗などは、味方と見られていたクロアチア人の民兵に焼き討ちされ、無一文でフランスでのサッカー生活を始めることとなる。

 

1995年に、フランス国籍を取得しサッカー関係の資格も取得する。

1997~1998年には、モロッコラジャ・カサブランカの監督となり、国内リーグ2連覇、アフリカチャンピオンにも輝いている。

 

その後フランスでチーム監督として名を馳せ、年間最優秀監督にも選ばれている。

 

2008/5に、コートジボワールの代表監督に就任し、2008/5/24にはキリンチャレンジカップ岡田武史の日本代表チームと豊田スタジアムで対戦し、1×0で負けている。

2009/10月にはアフリカ予選を突破して南アW.Cupの出場権を獲得する。

 

しかし2010227アフリカネーションズカップ2010で準々決勝でアルジェリアに負けてしまい、代表監督を解任されてしまう。(前述)

だが2011/6月にアルジェリア代表監督に就任し、2014FIFAW.Cupブラジル大会では、アルジェリアをベスト16に導いている。

 

2015312には、日本代表監督に就任し、201847に解任されている。(前述)

 

と言ったところがヴァイッド・ハリルホジッチの経歴である。

 

 

このようにしてみると、彼は選手としても、一応監督としても、それなりの成績を収めていることが判る。まあ一流選手であり、一流監督であったと言う事であろう。ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは超有名人というよりも、歴史上の一流人物、である。

 

しかしボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、彼の全財産を味方と見られていたクロアチア民兵に焼き討ちされたことは、彼の脳裏にそれなりのトラウマとして残ったことであろう。そんなところから、天は我に味方せず、と言った幾分ひねくれた感情が湧き出ていたとしても、おかしくはないものと思われる。

 

そんなところから、日本代表監督となったからにはと、選手管理にはきつく当たったのではないかと、推測するのである。

 

監督を解任されたときの感情を、スカンダラス(Scandarous、けしからん)、セ・オ・オント(C'est la honte、恥だ)と言った(Wikipediaより)ことからも、それは推察できる。ひねくれていたからこそ、自分が解任されるとは夢にも思わなかったのではないのかな。

 

日本での彼の2017年以降の戦績を見てみよう。

 

2017.03.23 W杯最終予選 対UAE 2×0 で勝利 アルアイン

2017.03.28 W杯最終予選 対タイ 4×0 で勝利 埼玉スタジアム2002

2017.06.07 国際親善試合 対シリア 1×1 引き分け 味の素スタジアム

2017.06.13 W杯最終予選 対イラク 1×1 引き分け テヘラン

2017.08.31 W杯最終予選 対オーストラリア 2×0で勝利 埼玉スタジアム2002

2017.09.05 W杯最終予選 対サウジアラビア 0×1で負け ジッタ

2017.10.06 国際親善試合 対ニュージーランド 2×1で勝利 豊田スタジアム

2017.10.10 国際親善試合 対ハイチ 3×3引き分け 横浜・日産スタジアム

2017.11.10 国際親善試合 対ブラジル 1×3 で負け リール(仏)

2017.11.14 国際親善試合 対ベルギー 0×1 で負け ブリュージュ(ベルギー)

2017.12. 09 東アE1選手権 対北朝鮮 1×0 で勝利 味の素スタジアム 

2017.12.12 東アE1選手権 対中国 2×1 で勝利 味の素スタジアム

2017.12.16 東アE1選手権 対韓国 1×4 で負け 味の素スタジアム

2018.03.23 国際親善試合 対マリ 1×1引き分け リェージュ(ベルギー)キリンチャレンジ

2018.03.27 国際親善試合 対ウクライナ 1×2 で負け リェージュ(ベルギー)カップ杯

https://www.nikkansports.com/soccer/japan/data/halil_japan.htmlより)

 

こうしてみてみると、ハリルホジッチ勝利は殆どがホームゲームとなっている。また、アウェイでは、殆どが負けゲームとなっている。

 

これって何かを象徴しているようにも見える。いわゆる内弁慶と言う奴だ。監督の力で勝っている、と思っていたら、それは大間違いであった、ホームゲームでは、大勢の観客の大声援で選手がハッスルした結果の勝利で、監督の采配は関係なかったと言われても仕方がない。何となれば、アウェイではほぼ全敗だったからだ。

 

 

そのハリルホジッチが、契約解除に対して訴訟を準備しているというニュースも流れている。

大分古い記事となるが、ハリルは本当に訴訟を起こすのか、起こすとしたら本当にひねくれた男だ。益々代表監督不適格だ。
(続く)